幸いなるかな滑稽なる者よ――大江健三郎と中野重治

 いささか旧聞に属するというべきかもしれないが、先月、六月二十日の朝日新聞朝刊に掲載された大江健三郎のエッセイ「定義集」(月に一度の連載)に感ずるところがあったので書いておきたい。


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 「それが敗戦に向かう年から戦後数年にかけてだったことを不思議に思い合わせるのですが、私は「滑稽」という言葉にとりつかれていました」と書き始めて、大江は十歳から十四、五歳にかけて「滑稽」と名のつく本をよく探したものだと回想する。高校に入り、「きみは本をよく読むが、コッケイなやつだ、といってくれる同級生」、伊丹十三と出会い、のちにその妹と結婚することになるのだが、「ふたりの父、伊丹万作の骨格の大きいエッセイとユーモアにみちた映画」を評価していた中野重治が、「開戦迫る苦しいなかで、「若い女性に望むこと」というアンケートにこう答えて」いると引用する。


 《「滑稽」を理解すること、たとえば、害にならぬ程度の他人の欠点をそのまま受け取る心がけをすること。》(全集28巻)


 大江は伊丹万作中野重治に「資質の近さ」を見てきたといい、「当時、かれらが直接会っていたら、子どもの心の育ち方と滑稽との関係について同意したろう」と思うと述べる。
 この中野のアンケートへの回答は、表現の核心にある種の分かりにくさを抱えているためにその分印象が強まるといった態のもので、中野のエッセイや小説に通じる(私の中野にたいする従来の印象に通じる)ように思われる。
<「滑稽」を理解すること>もしくは<害にならぬ程度の他人の欠点をそのまま受け取る心がけをすること>という回答ならなんの不思議もない。だが、それが<たとえば>という副詞で接続されるとき、ある種の分かりにくさが生じる。この短い文から、「滑稽」=「害にならぬ程度の他人の欠点」、といった命題が受け取れる。そして、「理解する」とは「そのまま受け取る心がけをする」ことである、と、私は中野の文章をそのまま受け取ってそう理解する。文章を正確に書くことを誰よりも心がけた小説家である中野重治が書いた文章である以上、アンケートへの回答といえども、充分に思考され推敲された文章であると見なさねばならない*1
 「理解する」ことを「そのまま受け取る心がけをする」ことであると考える中野は、「理解」が往々にして「そのまま受け取る」ことでない場合が多いと考えていることになる。だから及ばずながらそう心がけよ、と、おそらくは自戒をこめてそう考えているのだろうと私は推察する。誰かの書いたもの、言った言葉、それをまずは「そのまま受け取る」ことが肝要である、なんらかの予断、思い込み、先入見に捉われることは正しい「理解」につながらず、また、自由な思考を妨げる懼れがある、中野はそう考えたにちがいない。私はそう理解する。
 そしてもう一点。「滑稽」とはたとえていえば「害にならぬ程度の他人の欠点」である、とはどういうことか。大江のエッセイに立ち戻って、その問題を考えてみたい。


   2

 大江は、先のアンケートの回答の引用につづけて、戦後すぐに中野が発表した短篇小説「おどる男」を紹介する。「大混雑が常態の電車」を待っている「中野自身が語り手」の小説である。大江はこの小説から次の一文を引用する。


 「(電車を待っている)誰もが《心が快活に、外へ外へと、本質的なものへ本質的なものへとはたらいて行かぬときの顔つきで》いる。」


 ほら、これが中野重治の文章ですよ、という意味をこめて大江はこの一文を引用したのであろう、と私は思う。アンケートの回答のある種の分かりにくさについて、大江はなにも言わない。かわりに、中野独得の思考と相即する中野独得の文章を例示する。この文章を読んで、私も、ここに中野がいる、と思う。
 電車がやってきて、みんなが乗り込む。なかはいまのラッシュアワーのような混雑だ。ひとりの女が「なんておかしな人でしょう」と言葉を発する。「おどったりなんかして……」。背の低い男が混雑から逃れようと伸び上がったのだ。語り手=「おれ」は、こう思う。「おやじはとどめを刺されて、そのうえ滑稽なものとして刺されたのだった」。男はそれでも「まだまだ飛びあがりつづけねばならぬ……」。追い討ちをかけるように「あら、またおどる!」の声が上がる。「おれ」は「女が憎くなって」くる。「しようがないじゃないか」と「おれ」は口に出しそうになる。「しようがないじゃないか。彼は位置で不幸なのだ。彼は上へ、空中へ逃げてるのだ。さもなけれや潰されてしまうのだ。そう『なる』じゃないか……」。
 こうして誰もが「電車の中へ前屈みに突っ込んで行くかたちになって」運ばれてゆく、と簡潔に小説を要約したうえで、大江は次のように書く。


 「戦後東京の市民生活と心情にジャストミートしたこの短編には、やむをえぬ滑稽と、それを受けとめようとする心、そしてその逆の残酷までが活写されます。わずかな時を置いて表現のかたちをあたえられるなかで、滑稽を軸にそのすべてが(女性像までも)生き生きと魅力を発するのです。
 滑稽を見つめる目は、しばしば残酷さを同居させますし、漫才やコントの演出する滑稽は、演者と観客の共有する残酷な笑い声こそ目標にしています。滑稽であるほかない窮境にある者を、さらに残酷さの淵に突き落とすか、人間らしい崖っぷちへ引き戻してやるか……その微妙なところを正視する中野重治と、その人間観につらなる人たちの懐かしさ。そうしたことを思いながら、私もつい家族とテレビの前で笑っているのです。」


 大江の、この小説の読み取りを通じて、先のアンケートへの回答の問題を考えてみたい。
 満員電車で「窮境にある」男が、女のひと言によって「滑稽なものとして」「さらに残酷さの淵に突き落と」される。男の滑稽は「やむをえぬ滑稽」であり、「おれ」はそれを「しようがないじゃないか」とそのまま「受けとめようとする」。そう受けとめることが「人間らしい崖っぷちへ引き戻してやる」ことである、と大江は言う。
 たとえば、駅のホームで階段を踏み外して転んだり、台風でさしていた雨傘がお猪口になったり、といったことは、おそらく誰もが経験したことがあるだろう。いまは階段で転んだとしても誰もそれを笑ったりしないだろうが、転ぶという動作が滑稽と見なされてきたことは誰もが知っている。だから指差して笑われるとさらに惨めな気持に陥るであろうということも。
 そうした意味において、傍目には滑稽と見える「害にならぬ程度の他人の欠点」もしくは失敗を、ことさらに滑稽であると指弾せず「そのまま受け取る心がけをすること」は、かれを「人間らしい崖っぷちへ引き戻してやる」ことにちがいあるまい。元来は別々に書かれたアンケートの回答とこの小説とを並置することによって、大江はこの二つの文章の連関を浮き彫りにする。引用がすなわち批評行為である鮮やかな実例である。
 大江の言うように、滑稽を見つめる目がときに残酷であったり、窮境にある者を滑稽と見なして笑ったりする例は、漫才やコントに限らず伝統藝能の狂言や落語でも枚挙に暇はない。だがそれは、はたして本当に残酷な笑いなのだろうか。
 笑いには二つの側面がある。ひとつは、残酷な笑い。もうひとつは、シンパシーとしての笑い。前者を高みから見下ろした笑いだとすれば、後者は同じ地平に立った笑い。ひとつ間違えば自分も同じ立場に立たされるはずだ、そうなるともう笑っちゃうしかないよね。嘲りや憐れみでなく共鳴の笑い。窮境にある者も自らを客体化して笑わざるをえなくなる。こうした笑いのもつ力、豊饒さについては、ひと頃流行した愚者や道化の象徴分析ですでに馴染みのものだ。
 中野重治がこの小説で滑稽の否定的側面にもっぱら焦点を当てたのは、当時の社会が「心が快活に、外へ外へと、本質的なものへ本質的なものへとはたらいて行かぬ」状況であったからにほかならない。もっともそういうときにこそ滑稽の肯定的側面がひときわ重要であるのだけれども。


   3

 この「おどる男」という小説に大江が反応したのは、おそらく大江自身の考える滑稽に「ジャストミート」したからであろうと思われる。大江のあれこれの小説にこうした滑稽を指摘するのは難しくはない*2。だがここでは小説でなく、伊丹十三の言う「コッケイなやつ」である大江の側面を書きとめておきたい。
 伊丹は、ある文学全集の大江健三郎の巻に附したエッセイ*3で、大江が中学生のときに発明したという「永久式ネズミトリ機」をくわしく紹介したのち、「以下は、大江健三郎から最近聞いた話である」と、以下のようなエピソードを紹介する(「最近」といっても、このエッセイが書かれたのは三十五年以上前のことであるが)。これは私の大好きなホラ話で、伊丹の語り口とも相俟って要約不能なので長くなるがそのまま引用したい。


 《オーストラリアからね、友人が来てね、一緒に夕飯を食べたのね、ボクが招待して。
 その友人はね、日本語がとてもうまいんだけどね、やっぱり外国人だからね、少しおかしいわけ。たとえばね、うまいですというときにね、ウマデスというのね、これおいしいですか、ウマデス、というのね。
 それからねェ、変なところに何何的のテキをつけるのね。肉が堅いというような時に、堅いにテキをつけちゃうのね。カタイテキっていうのね。それがね、カテイテキに聞えちゃうの、家庭的に。
 「オーエサン、日本ノビーフハ、トテモ、テンダーデス」
 そういってその人がいうのね。ボクたちはステーキを食べてたわけ、レストランで。
 「日本ノビーフハトテモテンダーデス。日本ノビーフハ、トテモウマデス」
 ね?
 「オーエサン、ニホンノウシハ、ウマデス」
 ボクはもう、びっくりしちゃってねえ。
 「デモ、オーエサン、ワタシノ国ノ、オーストレイリアデハ、人人ハ羊ヲタベマス。シカシ、羊――オー」
 と肩をすくめるのね外人だからね。
 「オー、羊ハウマデナイ。ナゼナラ、羊ハ、カテイテキダカラデス。シカシ、日本ノ牛ハ馬デス。ナゼナラ、ソレハ、家庭的デナイカラデス、シカシ羊、オー、羊ハ馬デナイ、羊ハ馬デナイデス、ナゼナラ、オーエサン、羊ハ、羊ハ、家庭的ダカラデス、羊ハ、家庭的ダカラ馬デナイデス……」

 大江健三郎は、滑稽な男であることをやめてしまったわけでは全然ない。》

*1:中野重治の文章にたいするこうした姿勢をさらに徹底して推し進めた小説家に大西巨人がいる。

*2:伊丹十三は「永久式ネズミトリ機」というエッセイでこう書いている。「高校を卒業すると、大江健三郎はすぐに小説を書き始めたが、おそらく初期において、彼にとっての小説というものは、手の混んだ作り話、長大なジョーク、友人の間で回覧するための文学的冗談のようなものではなかったかと思う。」、グリーン版日本文学全集50『大江健三郎』巻末の「作家の横顔」、河出書房新社、一九七一年。カフカの小説がそうであるように、大江の小説もその滑稽な側面を不当に無視されてきたと言えるだろう。

*3:同上