微笑と憂鬱――「老妓抄」を読む


                                 
 週末、一本原稿を仕上げるのに時間をとられたので、旧稿をディスクの底から引っ張り出して虫干しすることにした。ちょうど一年前、雑誌「国文学」の特集<家族の肖像――岡本太郎・かの子・一平>(07年2月号)に掲載されたもの。学者さんたちの業界誌のような雑誌に書くのに躊躇いはあったが、門外漢には門外漢なりの面白さがあると煽てられて書かせてもらうことにした。ペンネームはqfwfqでどうかと言ったら断られた。小説家にはばななやナオコーラがいるし、詩人には小笠原鳥類とかキキダダマママキキ(どこまでが苗字だ)なんてのもいるのにね。
 けっこう長文なので取扱要注意です。


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 むろん十数年におよぶ期間に少なからぬ習作があるとはいえ、「鶴は病みき」で文壇にデビューを果した後、岡本かの子が遺した夥しいと言わぬまでも決して少なくはない数の小説と随筆とが三年足らずの間に、より正確に言えば二年半ほどのうちに書かれたのは驚くべきことであるけれども、それはそれで奔逸する過剰なまでの生のエネルギーを持て余していたかに見えるかの子にはいかにも似つかわしいと言わねばならない。むしろ真に驚くべきはその二年余の間に急速に作家的成熟を遂げたことであって、石川淳が「女人の歌からおこつた女史の文學は、つひに男子の事業たる小説の世界に『老妓抄』と『河明り』とをたたきつけるに至つてゐる」と嘆賞したように、数篇の傑作を遺して死に急ぐかのごとくあっけなくかの子はこの世を去ってしまった。かの子自ら会心の作と自負し、この作品によって小説家として不動の地位を築いたとされる「老妓抄」の末尾を締めくくる短歌のように「華やぐいのち」の直中、知命を目睫にしての長逝だった。


 年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり


 塚本邦雄は「小説『老妓抄』の末尾に、作中人物の老妓小そのこと平出園子が、作者に送つた詠草の中の一首、それも添削済のものとして左の一首が紹介される」と上掲の歌を引用したのち、こう述べる。


 「飼殺しにされてゐる、息子くらゐの年の電気技師柚木も、その愛人に擬されてゐる老妓の養女みちも、そして誰よりもまづ老妓自身も、最後まで知つて知らぬ振をしてゐるが、この老たる妖精は明らかに若いヴァガボンドを愛してゐる。女として恋してゐる。言はぬが華、言つてしまへばこの短篇はたちまち腥くなり、この得も言へぬ半透明の枯と侘は変質してしまふ。『いよよ華やぐ』ゆゑに悲しみは深いのだ。別の日の彼女ならばこれを煩悩とも呼んだことだらう。死に向つていよよ艶になりまさる女の命のあはれ、それを潔く吐露した一首から、この一篇は生れてゐる。」
(「もの書き沈む」、岡本かの子全集第八巻付録、冬樹社)


 かつては向島の藝妓であったが「永年の辛苦でひととおりの財産もでき」、いまでは幾人かの抱妓を置く置屋の女将となった小そのは、電気器具店に勤めていた柚木という発明好きの青年を「手ごろな言葉仇」として家作のひとつに住まわせる。四五日ごとに訪ねては身の回りの世話を焼き、「初午の日には稲荷鮨など取寄せて、母子のやうな寛ぎで食べたり」する様子に、口さがない連中は「老妓の若い燕」と噂するようになる。
 一方、幼い頃に貰われて小そのの養女となったみち子は気まぐれに柚木を訪ね「遊び相手」にしているが、周囲に同年輩の異性がいないせいもあってかこの一風変った若者を憎からず思っているふうである。言わぬが華、老妓が柚木に寄せる思いは老妓の口にする言葉にせよ語り手の叙述にせよ能う限り抑制されており、たとえば「淪落」する女を好んで取り上げ、女を描いて並ぶものなしと称された溝口健二の『噂の女』であれば、島原遊郭の女将田中絹代と若い医師大谷友右衛門、女将の娘久我美子との三角関係はじゅうぶんに「腥く」、田中絹代の華やぎもまた老残の哀れを誘うのと好対照というべきか。「死に向つていよよ艶になりまさる」ふたりの女のいずれの華やぎの悲しみが深いかは問うところでない。ここでは、末尾の一首に向ってぎりぎりと引き絞られてゆく弓のような叙述の跡を辿ってみる誘惑にしばし身を委ねてみたいと思う。


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 冒頭「平出園子といふのが老妓の本名だが、これは歌舞伎俳優の戸籍名のやうに当人の感じになずまないところがある」、かといって小そのでは「今日の彼女の気品にそぐはない」、「こゝではたゞ何となく老妓といつて置く方がよからうと思ふ」と、のっけから語り手が前景化される。次いで老妓の風貌をひと筆で描き、若い藝妓たちとのやり取りのワンシーンで手際よく老妓のキャラクターを読者に印象づけたのち、「この物語を書き記す作者のもとへは、下町のある知人の紹介で和歌を学びに来た」が、「むしろ俳句に適する性格を持つてゐるのが判つたので」女流俳人に紹介した、と語り手はいま語られつつある物語の作者として物語のなかへフレームインする。そして画面に束の間姿を現すヒッチコックのようにそそくさと物語からフレームアウトして以降は語り手に専念し、次に登場するのはラストシーン、くだんの詠草が老妓から届けられる場面まで待たねばならない。
 これがたとえば「河明り」ならば、同様に小説家である「私」が冒頭から登場するけれども、「河明り」の作者としてではなく別の物語を書きつつあるひとりの小説家としてであって、「河明り」のナラティブは私=語り手の一人称の枠内にとどまっており、そこではむしろ作中人物が語り手となっているというべきだろう。一方、「老妓抄」の場合は登場人物の内面に自在に入り込む全能の特権的作者が自らの小説の中に登場する。作者が物語に介入する例は、読者に向って作者が語りかけるスターンの『トリストラム・シャンディ』やフィールデングの『トム・ジョーンズ』、バルザックの諸作品など十八世紀以降の西欧の小説に枚挙に暇がないけれども、「老妓抄」にあってはフィクション自体を前景化する現代小説におけるメタフィクションの手法に近い。西欧でメタフィクションと呼ばれる小説が登場してきたのは藝術上のポストモダニズムと歩調を揃える一九六〇年代以降であって、それより三十年以上も前のかの子に小説の実験を行なっている意識はなかっただろう。かの子の没後まもなく発表された「雛妓」に、物語を中断して作者が読者に向って口上を述べる一節がある。スターンの先蹤に倣って聊か脇道に逸れるけれども、読者諸賢よ、諒とせられよ。


 「(筆者はここで、ちよつとお断りして置かねばならない事柄がある。ここに現れ出たこの物語の主人公雛妓かの子は、この物語の副主人公わたくしといふ人物とも、また、物語を書く筆者とも同名である。このことは作品に於ける藝術上の議論に疑惑を惹き起し易い。また、なにか為にするところがあるやうにも取られ易い。これを思ふと筆はちよつと臆する。それで筆者は幾度か考え直すに努めて見たものの、これを更へてしまつては、全然この物語を書く情熱を失つてしまふのである。そこでいつもながらの捨身の勇気を奮ひ気の弱い筆を叱つて進めることにした。よしやわざくれ、作品のモチーフとなる切情に殉ぜんかなと)」


 かの子の逡巡が覗える但書きである。「なにか為にするところがあ」って、「作品に於ける藝術上の議論に疑惑を惹き起し」たのがメタフィクションであってみれば、かの子はそのとば口で躊躇っていたわけで、「老妓抄」において小説の実験の意図がなかったとすれば作者を物語の中に登場させたのはおそらくは審級の錯誤であったにちがいない。後述することになるけれども、この一点を除けば「老妓抄」は古典的リアリズム小説の典型といっていいからである。


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 「老妓抄」は奇妙なテクストである。いま述べたように、「藝術上の議論に疑惑を惹き起」す危険をあえて冒してまで「この物語を書き記す作者」が登場しなければならぬ必然性はない。ある小説家もしくはある歌人であったとしてもなんら不都合はないかに見える。また、塚本邦雄の評言に反して、老妓が「若いヴァガボンドを愛してゐる」かどうかはテクストからは判然としない。読者は判断を宙吊りにしたまま読み終えて、にもかかわらず、老妓のしんとした悲しみとうらはらの華やぎとを深く感受して頁を閉じることになる。この手妻の秘密は、しかしテクストの表面、ナラティブに詳らかに顕れている。
 再び冒頭に立ち戻り、先に「老妓の風貌をひと筆で描き」と述べた場面を仔細に眺めてみよう。
 老妓は「真昼の百貨店」によく姿を現す。「目立たない洋髪に結び、市楽の着物を堅気風につけ、小女一人連れて、憂鬱な顔をして店内を歩き廻る」。べつだん何かを求めてのことではない。そのさまを語り手は「彼女は真昼の寂しさ以外、何も意識してゐない」と評し、さらに念押しするように「かうやつて自分を真昼の寂しさに憩はしてゐる、そのことさへも意識してゐない」と続ける。「ひよつと目星い品が視野から彼女を呼び覚すと、彼女の青みがかつた横長の眼がゆつたりと開いて、対象の品物を夢のなかの牡丹のやうに眺める。唇が娘時代のやうに捲れ気味に、片隅へ寄ると其処に微笑が泛ぶ。また憂鬱に返る」。
 微笑と憂鬱。だが老妓にとってはそのいずれもがしかと意識されてはいない。語り手は続けて「だが、彼女は職業の場所に出て、好敵手が見つかると、はじめはちよつと呆けたやうな表情をしたあとから、いくらでも快活に喋舌り出す」と、微笑と憂鬱のように老妓のなかで無意識にスイッチが切り換るさまを描き出し、若い藝妓を仕方話で笑わせる老妓は「物の怪」がついたようでもあり、「若さを嫉妬して、老いが狡猾な方法で巧みに責め苛んでゐるやうにさへ見える」とも評する。「何人男を代へてもつゞまるところ、たつた一人の男を求めてゐるに過ぎないのだね」と老妓はいい、その男とはと訊き返す藝妓に「それがはつきり判れば、苦労なんかしやしないやね」とはぐらかす。そのさまは「日常生活の場合の憂鬱な美しさを生地で出し」たようでもあるのだが、老妓の憂鬱が何に由来するものか、それは老妓にも、そして読者にも未だ不明である。
 住まいを改築したり養女を貰ったり作者のもとへ和歌を学びに来たりと、いまでは「何となく健康で常識的な生活を望むやうに」なっている老妓は、電気湯沸し器のような「文明の利器」に心を「新鮮に慄」わせ、その「端的で速力的な世界」に反して「あたしたちのして来たことは、まるで行燈をつけては消し、消してはつけるやうなまどろい生涯だつた」と来し方を振り返る。毎朝子どものように早起きしては電気器具をいじって楽しんでいる老妓の「文化に対する驚異」をあたかも体現するかのように登場するのが青年柚木である。
 電気器具の修繕のような仕事には「パツシヨンが起らない」と嘯く柚木に、パッションとは何かと老妓は問う。「いろ気」のことだという柚木の答えに「ふと(二字傍点)、老妓に自分の生涯に憐みの心が起」る(傍点引用者)。パッションとは無縁に過してきた藝妓としての生活、「相手の数々(五字傍点)」(同)を老妓は思い浮べる。のちに柚木に向って語られることになるのだが、何人もの男たちと交渉を重ねてきたけれども老妓にとって彼らは「求めてゐる男の一部々々の切れはし」に過ぎず、だから「一人では永くは続かなかつた」のだという。発明をして金を儲けることにならパッションが起るという柚木に老妓はパトロネスとなることを申し出る。それが「パツシヨンとやらが起らずに」過してきた「まどろい生涯」の代償行為であるのは自明である。電気器具店での煩瑣な仕事に辟易していた柚木は老妓の申し出を承諾する。


 「しかし、彼はたいして有難いとは思はなかつた。散々あぶく銭を男たちから絞つて、好き放題なことをした商売女が、年老いて良心への償ひのため、誰でもこんなことはしたいのだらう。こつちから恩恵を施してやるのだといふ太々しい考は持たないまでも、老妓の好意を負担には感じられなかつた。」


 ここで柚木は老妓の真意を掴みそこねているのだが、読者はあるいは柚木の解釈に同調するかもしれない。そうしたミスディレクションを語り手は意図しているかのようでもある。柚木は半年ばかりは幸福だったが発明は思うようにゆかず、それ以上に生活の心配のない日常がかえって「単調で苦渋なもの」に思えてくる。遊びにさえたいして熱が入らない柚木は人生に倦怠を感じているかのような自分に心寒い思いを感じる。


 「それに引きかへ、あの老妓は何といふ女だらう。憂鬱な顔をしながら、根に判らない逞ましいものがあつて、稽古ごと一つだつて、次から次へと、未知のものを貪り食つて行かうとしてゐる。常に満足と不満が交るゞゞ彼女を押し進めてゐる。」


 ここに引用した二ヶ所における自由間接話法がこの小説のナラティブの鍵をにぎっている。とりわけ前者におけるディエゲーシスとミメーシスのなめらかな移動。自由間接話法はこの小説においてもっぱら柚木の思考と感情を描写するさいに使用される。たとえば、


 「柚木にはだんゞゞ老妓のすることが判らなくなつた。むかしの男たちへの罪滅ぼしのために若いものゝ世話でもして気を取直すつもりかと思つてゐたが、さうでもない。(略)何で一人前の男をこんな放胆な飼ひ方をするのだらう。」


と、先だっての推測に修正をくわえ、


 「彼は自分は発明なんて大それたことより、普通の生活が欲しいのではないかと考へ始めたりした。ふと、みち子のことが頭に上つた。老妓は高いところから何も知らない顔をして、鷹揚に見てゐるが、実は出来ることなら自分をみち子の婿にでもして、ゆくゝゝ老後の面倒でも見て貰はうとの腹であるのかもしれない。だがまたさうとばかり判断も仕切れない。あの気嵩な老妓がそんなしみつたれた計画で、ひと(二字傍点)に好意をするのでないことも判る。」


と自問自答する。ここでもまた、語り手の声(ディエゲーシス)と作中人物の声(ミメーシス)とが見分けがたいまでに融合されている。
 デイヴィッド・ロッジは『バフチン以後』において、自由間接話法によって「作中人物の感性が言説を支配するのを可能にし、それに応じて語り手自身の声、意見、価値評価を抑制するのを可能にする」と説き、「これらの言説が叙述的言説(ナラティヴ・ディスコース)そのものに、さまざまに伝達される言葉もしくは思考というかたちで入り込むと、作者の声の、解釈に及ぼす支配力は、不可避的にある程度弱められ、読者による解釈の作業が増大する」(第三章『ミドルマーチ』と古典的リアリズム小説の概念、伊藤誓訳、法政大学出版局)と述べているが、これが十九世紀の西欧小説、いわゆる古典的リアリズム小説において高度に達成された小説技法であって、先に述べたように「老妓抄」もまたその技法を自家薬籠中のものとしているのである。
 語り手は柚木の声を模倣する(ミメーシス)ことによって読者を解釈の場(テレイン)に連れ出す。そして読者はいつしか柚木とともに老妓の思惑を忖度していることに気づかされるのである。


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 一方、みち子の描写に自由間接話法は用いられず、老妓にはこの小説でただ一ヶ所のみ効果的に用いられる。老妓は柚木に対して、みち子を心の底から惚れているならいいけれども、「切れつぱしだけの惚れ合ひ方で」付き合うなら止したほうがいい、自分もそれで苦労してきたが「それなら何度やつても同じことなのだ」と忠告する。その直接話法で語られる言葉と言葉の間に、


 「仕事であれ、男女の間柄であれ、混り気のない没頭した一途な姿を見たいと思ふ。私はさういふものを身近に見て、素直に死に度いと思ふ」


と自由間接話法で語り手は老妓の声を響かせる。「彼女に出来なかつたことを自分にさせやうとしてゐるのだ」と柚木が正しく推測しているように「混り気のない没頭した一途な姿」への憧憬が老妓にいのちの華やぎをうながしているのである。それゆえに老妓の思惑にはまるのを嫌って出奔を重ねる柚木への老妓の思いもまたアンビバレントなものとならざるをえない。内心の「口惜しさ」を毛ほども見せず表面を取り繕いつつ、気の置けない電気器具店の主には「自分が世話をしてゐる青年の手前勝手」を激しく詰り、その一方で「心の中は不安な脅えがやゝ情緒的に醗酵して寂しさの微醺(ほろよひ)のやうなものになつて、精神を活溌に」するのである。


 「『やつぱり若い者は元気があるね。さうなくちや』呟きながら眼がしらにちよつと袖口を当てた。彼女は柚木が逃げる度に、柚木に尊敬の念を持つて来た。だがまた彼女は、柚木がもし帰つて来なくなつたらと想像すると、毎度のことながら取り返しのつかない気がするのである。」


 「尊敬の念」とは自分が果せなかった「単調で苦渋な」日常からの脱出へのそれであり、「取り返しのつかない」思いとは老妓の華やぎを唯一うながしている対象の突然の消滅へのそれであろう。老妓の憂鬱の正体はそれと意識しないできた自らの生涯への憐みの心にほかならない。それは年々に深まるSelf-Pityであって、それゆえにパッションを求める「無限の憧憬」にいのちはいよよ華やぐけれども、その相手が柚木であり、求め続けるたった一人の男であるかと問えば、「それがはつきり判れば、苦労なんかしやしないやね」と老妓はこともなげにはぐらかすにちがいない。
 冒頭に登場した微笑と憂鬱の主題系を、若さと老い、憧憬と諦念、悲しみと華やぎ、とさまざまに変奏し、複数の声を響かせながら作者は物語を統治する。作者の物語への侵入は、テクストの外部より自作の一首を召喚したいという「作品のモチーフとなる切情に殉」じたためかもしれない。多声が響きあう(ポリフォニック)解釈の闘技場としてこの一篇のテクストは、かくして岡本かの子が到達した作家的成熟の一指標となっているのである。