万国の喫煙者諸君に告ぐ


 ひとつの幽霊が国中を徘徊してゐる。喫煙者と云ふ幽霊が。国家権力と結託した喫煙者撲滅団体がこの幽霊に対する討伐の同盟を結んでゐる。
 かつては国中到る処で自由に煙草を買ふことが出来たと云つても今の若者には想像もつかないだらう。コンビニエンスストアは無論のこと、駅のキオスクでもなんら隠し立てすることなく白昼堂々と煙草を販売してゐたし、煙草を専門に販売する店すら到る処に点在してゐたことは吾が国の古老なら今も脳裡に残つていよう。街角の自動販売機で少年少女ですら自由に煙草を買ふことが出来たなどと云ふと卒倒する者も出かねまい。
 金銭さえ払へば、それも今のやうにサラリーマンの一箇月の給料ほどの値段ではなく喫茶店で喫む一杯の珈琲程度の代金で一箱手に入れることが出来たし、役所に喫煙届を提出して気の滅入るやうな面倒な審査(戸籍謄本、健康診断書、収入証明書、非喫煙者三名による保証人証書を提出して、最近では漸く三箇月程で喫煙許可証が交附されるやうになつたと聞くが、かつては半年はかかると云ふのが相場だつた。それにしても喫煙許可証を毎年更新しなければならないのは面倒極まりない)を経ることなく何処ででも自由に喫ふことができた。さう、家の中ででも喫茶店ででも路上ででも到る処でだ。あゝなんと云ふことだ。あの頃を思ひ出しただけで眩暈がする。吾輩の居住する区域では喫煙許可ポイントが三箇所しかないのだ! 隣接する区域では二箇所、その隣の区域に至つては一箇所もないのだから私の居住する区域は未だましな方かも知れない。
 しかし老体に鞭打つてバスを乗り継ぎ喫煙許可ポイントまで出かけるのは聊か骨が折れる。先日など豪雨の中を出かけて足を滑らし危くほんたうに骨を折るところだつた。天気が悪ければ出かけなければ好いものを、生憎と吾輩は三の附く日と三の倍数の日に喫煙することに決めてゐて丁度十三日の金曜日が雨だつたのだ。息子夫婦や孫たちは私の袖を引つ張つて外出を引き止めたのだが二日続けて煙草を喫ふことのできる滅多にない機会なので逃す訳には行かない。煙草を喫はない野蛮な奴らにこの気持は到底解るまい。
 政府及び喫煙者撲滅団体のロビイストたちは紀元前より伝はるこの高貴なる嗜みを吾輩の世代限りで抹殺したいのだらう。だがさうは問屋が卸しはしない。吾々もそれなりに手は打つてある。ここだけの話だが見所のある若者たちを選抜して能動喫煙の秘儀を伝授せんと着々と準備しつつある。全国各地に密かにスモーカーブラザーフッド、スモーカーシスターフッドが結成されつつあるのだ。今はまだ小さな集りに過ぎないがやがては喫煙者の群れが恰も燎原の火のやうに拡がり、彼らの吐く高貴なる紫煙が全国、否、世界を蔽ふであらう。
 その日を目指して起て、万国の喫煙者諸君!