白鳥について私の知っている二、三の事柄



 前回、浅見淵随筆集『新編 燈火頬杖』の藤田三男による解説文を引いて、「「細雪」の世界」は正宗白鳥によって強く推挽された、と書いた。その後、手許にある白鳥の本を拾い読みしていたら、思いがけず当の文章に出くわした。とんだ所へ北村大膳。その本とは昭和三十年に出た三笠新書、『読書雑記』という題名どおりの書物随筆である。吉川英治の『宮本武蔵』と『細雪』とを併せ論じた「『宮本武蔵』と『細雪』」という長めの随筆で、白鳥はこう書いている。


 「『細雪』に関する諸家の批評や感想は、をりをり私の目にも触れてゐる。多くの小説批評の如く、どうにでも云へることをどうにでも云つてゐるのであるが、私としては「細雪の世界」と題して「風雪」に出てゐた浅見淵の批評に最も同感である。」


 同感同感、太田道灌。と、さすがに白鳥は書きはしないが、浅見淵の「細雪」心境小説論を引用したのち、政治がどうの経済がどうの庶民の生活がどうの国際関係がどうのに一向頓着せぬ谷崎の「世間無視の藝術態度、世間無視の豊かな藝術態度」を白鳥は讃美している。
 正宗白鳥といえば、忘れがたい挿話がある。
 戦後間もない頃、「群像」に掲載する月例合評のための座談会が熱海の旅館で行われた。出席したのは、正宗白鳥上林暁中村光夫。白鳥は熱海に隠棲する坪内逍遥未亡人の見舞いを兼ねて軽井沢から遠路出向いてきたのである。未亡人は根津の元娼妓、逍遥に尽して生涯を添い遂げた。逍遥が生涯渡航しなかったのは妻を独り留守居させるのが忍びなかったからだ、と白鳥は座談の合間に語った。いまは病気がちで臥せることの多い未亡人を数年ぶりに見舞うのが白鳥の熱海行のもう一つの目的であった。翌朝、一行は連れだって逍遥終焉の居所「双柿舎」へと向った。
 玄関に立った一行は二度三度声をかけたが、ひっそりと静まり返った家には人の気配もない。白鳥は奥に向って大声で「御免」と呼ばわった。暫らくすると廊下の奥から老女が現れ、「群像」編集長が訪問の趣意を述べた。老女は奥へ戻りかけたが、ふと振向いて「どなたさまでしたか」と念を押すように問いかけた。来訪の趣旨は予てより伝えてある。困惑する編集長を差措いて白鳥はふたたび大声で「正宗です」と名告った。一行は玄関から座敷の縁側へと廻り、待つこと暫し、やがて未亡人が先刻の老女に附添われて静々と姿を見せた。目もほとんど見えぬかのようであったが、袖口から見える前膞も指も無表情な顔も日に当たらぬせいか蒼白く、若き日の美貌の名残を留めていた。一同が恭しく一礼すると、未亡人は傍らの老女に二言三言囁いた。老女は一同に向って「このごろ病気で伏って居りますので、どなた様にも御目にかからないことにいたして居ります。今日は特別でございますが、これで失礼いたします」、そう口上を述べるとふたりは踵を返し奥へと姿を消した。
 遠路信州より訪ねてきた文壇の長老正宗白鳥を上にも上げず門前払い同様に追い返した逍遥未亡人を最敬礼で見送った一同のひとり中村光夫は、聊か割り切れない気持ちが残ったといいつつこう述懐している。


 《双柿舎を背景にして、逍遥夫人と白鳥といふ名優のだんまりのやうな場面に立会つたことで、生きた「明治」の一端にふれたやうな気がしました。》*1


 小林秀雄に「作家の顔」という有名な随想がある。なかで小林は、トルストイは山の神を怖れて家出をしたと書いた正宗白鳥の一文を俎上にあげ「僕は信じない。彼は確かに怖れた、日記を読んでみよ。そんな言葉を僕は信じないのである」と反駁した。


 《あらゆる思想は実生活から生れる。併し生れて育つた思想が遂に実生活に訣別する時が来なかつたならば、凡そ思想といふものに何んの力があるか。》


 白鳥は小林に反論し、所謂「思想と実生活論争」が起こる(昭和十一年)。この論争を河上徹太郎は、「正宗氏のわが自然主義以来の伝統で培われた老小説家の生活感情と、小林の十九世紀末以来の西欧近代思想を身につけて育った若い評論家の理想主義の対立である」*2と論じたが、批評の世界は(あるいは文壇といってもいいが)世代交代の節目を迎えようとしていた。
 のちに小林秀雄論で批評家としてデビューした秋山駿は江藤淳との対談でこの論争にふれて、小林の方が新しい、白鳥は負けるなと思った、と語り、「ところが四十を過ぎてから、いや、もしかするとそうではなくて、白鳥の方が腰がすわっていて偉かったのかな、と思うようになっ」たと述べる。江藤は秋山に対し、「批評家で一番偉いのは誰か知ってるか。きみ、それは正宗白鳥に決まってるじゃないか」と語った小林秀雄の言葉を伝えている*3。小林は晩年にいたって白鳥を畏怖すべきもっとも大きな存在と見なしていた。小林と三十年来の附合いのある編輯者が若者向けの近代文学鑑賞講座を企画し、小林に収録の許可を求めに行ったところ、なかに正宗白鳥が含まれていないのを見た小林は「正宗さんを入れないとは何事か」と激怒したという*4
 正宗白鳥の小説、評論、随筆、戯曲等々の多岐にわたる全業績をひとつの浩瀚な随想録であると喝破したのは山本健吉だが、その融通無礙なエクリチュール正宗白鳥という存在のもっとも根柢から自ずと流露してきたものというべきかもしれない。
 

*1:中村光夫『小説とはなにか』福武書店、1982年。

*2:『新訂 小林秀雄全集』第四巻「作家の顔」、解説、新潮社、1978年。

*3:江藤淳・秋山駿対談「昭和の批評を語る」、「Poetica」vol.2-5、1992年。

*4:郡司勝義小林秀雄の思ひ出』、文藝春秋、1993年。