カエサルのものはカエサルへ



 昨年の暮、神保町の古書店で一冊の詩集を購った。ある詩人の第二詩集で、わたしは学生時代にその詩人の第一詩集を手に入れた。たびかさなる引越しにも紛れずそれはいまも手許にあり、三十年ぶりに詩人の健在ぶりを知ることになったのだが、その詩集には思いがけない附録がついていた。函から取り出した詩集の表紙をめくると一枚のはがきが挟まっていたのである。はがきには、その詩集のなかのいくつかの詩の題名を挙げ、それらが気に入ったと書かれていた。半分盲目にひとしいので乱文を容赦されたいと書かれた末尾の言葉どおり、細い万年筆で書かれたとおぼしい筆跡は判別もあやういほど頼りなげに歪み、斜めにかしいでいた。そして最後に署名があった。表に宛名は書かれていなかった。はがきの書き手は投函するつもりではがきを挟んでおいたことを失念し、おそらくは家族が他の不要の書籍といっしょに処分したのだろう。詩集が刊行されてから三年が経っていた。
 暮も押しつまった頃、詩集を入手したいきさつをしたためた手紙といっしょに、詩集とはがきを著者である詩人に送った。そのはがきはわたしが所有すべきものではなく、変な譬えだが「カエサルのものはカエサルへ」返すべきであると思ったからだ。詩集もいっしょに送ったのは、はがきの書き手が気に入ったと書いていた詩のページの耳が折られており、詩集とはがきは一対のものとして切り離すわけに行かないと思ったからである。
 年が明けて小さな小包が届いた。そこには、わたしが送った詩集(の新しいもの)と詩人が編纂し解説を書いた文庫版の句集(わたしはその俳人の全句集を持っている)、そして鄭重な礼状とが入っていた。手紙には、不思議な巡り合せで手許に戻ってきた詩集とはがきとを手にして、その奇蹟のような出来事に感動したと書かれていた。それは、はからずも聖夜に詩人の手許に届いたわけだ。私信なので引用は慎むが、半分盲目の書き手によって一字一字刻みこむように書かれた文言は、同じく言葉をあつかう自分にとって耐えるべき厳しさとして受け止める、といった意味のことが書かれていた。わたしはその言葉にうたれた。送ってよかったと心から思った。
 小包を受け取った前日の夜、TVで吉本隆明の講演を見た。車椅子に乗って登壇した吉本は、敗戦による蹉跌から「言語にとって美とはなにか」の執筆に到るゆくたてを、ときにつっかえながらも悠揚として迫らぬ身ぶりで語った。終了予定の時刻を一時間以上過ぎてもいっこうに終わりそうにない話し振りに、講演のオーガナイザーである糸井重里が吉本に降壇を促しに出てきたほどだった。糸井は予定時間の超過よりも吉本の体調を気遣っているように見えた。吉本は自分の生涯にわたる話なのでこんなに短い時間では話せない、といって笑った。そのはにかんだ笑顔はたいそう好もしかった。
 おそらくこれが最後の講演になると思ったのだろう、吉本はずいぶん前から準備をととのえていたようだった。じっさいの講演では宙を見つめてほとんど手許に目をやらなかったけれども、入念に草稿をこしらえていた。TV画面に一瞬映し出された草稿の筆跡は、あのはがきの文字と寸分たがわぬものだった。わたしは画面にむかって吉本隆明よ健やかであれと祈った。