『越境者 松田優作』を読む


 そうか、あれからもう二十年ちかくが経ったのか。十八年前の1989年10月5日、渋谷文化村のオーチャードホールでこれから特別上映(初の一般試写)される『ブラック・レイン』に客席は期待でざわめいていた。上映に先立って出演者たちの舞台挨拶があった。ずらりと並んだキャストのひとり内田裕也がいつもの飄々とした口調で「優作はお腹が痛いので挨拶は失礼します」と言ったとき、客席から失笑がもれた。体調を崩してとかなんとか言えばいいのに……と笑った観客の誰一人として、その一ヶ月後に優作が死んでしまうなんて思いもしなかったろう。むろんその場にいた私もまた。
 上映が終わり、映画は鮮烈な印象を観客すべての脳裡に刻みつけた。それは映画そのものでなく、そこに不在の松田優作というひとりの俳優の存在感によるものだと誰もが感じていた。主演のマイケル・ダグラス高倉健も優作の前ではかすんで見えた。のちに『ゴッドファーザーPART3』で才能を開花させるアンディ・ガルシアのみが若い刑事を好演して存在感をアピールしたが、優作の鬼気迫る演技には対抗すべくもなかった。まもなく映画を見たロバート・デニーロが優作に次回作のオファーをしたという噂が流れた。デニーロと優作が共演する映画を思い浮べて私たちは興奮したものだ。だがその期待はあっけなく潰えた。


 松田美智子の『越境者 松田優作』を読んだ。読んでいる間じゅう、そして本を閉じてもなおしばらくの間は、松田優作というひとりの人間の存在が身近に纏わりつくように感じられた。稀有な体験だった。伝記の著者と書かれる対象との通常の距離を十とすれば、この本ではその距離が五か、あるいはそれ以下であるかのような印象を受ける。作家としての客観的な眼差しと元妻としての眼差しとが混然としているためだろう。読者はときに妻の眼をとおして松田優作という人間を凝視することを強いられる。著者は執筆の動機を序章でこう述べている。


 「(略)ノンフィクションの仕事を続けてきた経験や、年月の経過もあって、彼の全体像を客観的に見ることができるようになった。二十回忌を迎える今年、この時間だからこそ語れる死の真相を含めて、等身大の彼の姿を残しておきたいという思いがふくらんだ。」


 それは伝説と化した松田優作像を脱神話化する試みであるといっていい。誤って伝えられ、さらにそれが増幅されて形成された俳優松田優作のイメージは、本書によって修正を余儀なくされるだろう。晩年、かれが新興宗教に傾斜していたことはこの本で初めて知った。著者がすでに優作と別れてからの出来事であり、かれがなぜ信仰に傾いていったのか、その動機は取材によっては明らかとならず、記述ももどかしげである。総じて、優作と出会い、一緒に暮していた頃の記述に精彩がある。優作の知人たちの多くにインタビューをしているけれども、後妻の松田美由紀への取材はない。無理もないが。本書に美由紀の名はほとんど登場しない。
 『松田優作 炎 静かに』という評伝がある。著者は映画評論家の山口猛。『ブラック・レイン』の前作『華の乱』でのインタビューをきっかけに優作と親しくなり、『ブラック・レイン』の取材でNYにも行っているだけに、この本でも『ブラック・レイン』の取材レポートは読みごたえがあるが、それ以外の部分は雑誌のインタビュー記事のパッチワークにすぎず、おざなりな伝記というしかない。これでは優作が浮ばれないと松田美智子は思ったことだろう。


 松田優作とは一度だけ言葉を交わしたことがある。もう二十五年も前、1983年のことである。森田芳光監督の『家族ゲーム』を雑誌で取り上げることになり、調布にある日活撮影所の食堂で松田優作にインタビューをした。三十分か小一時間ぐらいだったと思う。この映画での優作の演技は新境地をひらいたと称すべき目覚ましいものだったが、私の関心は森田の演出にばかり向いていた(別の日にインタビューをした伊丹十三にも森田の演出についてどう思うかと聞いている(id:qfwfq:20051030))。優作は自分の内面を覗きこむように熟考し、言葉を選びながら訥々と語った。私は優作自身の演技についてもっと話を聞くべきだった。インタビュアーとしては失格だったと『越境者 松田優作』を読んでいまさらのように悔んだ。
 話のなかで、当時、優作と深作欣二監督との間で映画化の企画が進行していた『海燕ジョーの奇跡』について訊ねたことがあった*1。私が「かいえんジョー」と言ったら彼は即座に「うみつばめジョー」と訂正した。おや、と思った。そうか、となにか腑に落ちるものがあった。だが、それが何であるかを突きつめぬうちに予定していたインタビューの時間は終わり、そのささやかな挿話はいつまでも私のなかで消えずに残りつづけた。この本を読んで、それが何であったかがわかったという思いと、あいかわらずその正体は言葉にならないままであるという思いとがいまも交錯している。インタビュアーの発音の誤りを即座に訂正した俳優として、松田優作はいまもなお私のなかに生き続けている。


越境者 松田優作

越境者 松田優作

*1:海燕ジョーの奇跡』は翌84年、藤田敏八監督・時任三郎主演で映画化された。