あなたって何かこう不思議なしゃべり方するわねえ



 1月27日、サリンジャーが死んだ。享年91。
 村上春樹が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を翻訳したのが、つい2、3年前と思っていたが、もう7年前になる。このところ、わたしの身辺ではなぜか3〜4か月ぐらいで1年になる。デフレだかインフレだか知らないが、この傾向は年々加速している。いずれ1年前の出来事を昨日のことのように思いなすだろう。そして、昨日のことは……きれいさっぱり忘れている。はやくそんな日がこないものか。
 なにか書こうという気にならないので「2、3年前」に雑誌に書いた文章を埃をはらって掲げておく。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の刊行にあわせて紹介記事のようなものを、という依頼で書いたものだ。紹介記事の文体になっているのがおかしい。野崎孝訳の文体を模倣して書いた戯文とあわせて1頁の記事。掲載時に誌面のスペースにあわせてやや短縮したが、ここではオリジナル原稿をアップする。掲載誌も昨年休刊した。



     『ライ麦畑』伝説はこうして誕生した
 

 「あなたって何かこう不思議なしゃべり方するわねえ」と彼女は言った。「あの『ライ麦畑』の男の子の真似してるわけじゃないわよね」(村上春樹ノルウェイの森』)

 こう訊かれたワタナベ君は「まさか」と笑って答えるのだけれど、むろんワタナベ君が『ライ麦畑』のホールデンのようなしゃべり方をしているわけではない。なぜレイコさんがそう思ったのかはわからない。むしろミドリの「私、あなたのしゃべり方すごく好きよ。きれいに壁土を塗ってるみたいで」という感想のほうがまだしも頷けるのだが、ともあれ、この1968年を舞台にした、たぶんに村上春樹自身の実体験を取り入れたベストセラー小説を読めば、当時『ライ麦畑でつかまえて』がどのように受けとめられていたかの一端はうかがうことができるだろう。
 もう一ヶ所、『ノルウェイの森』から。ミドリが実家の小さな本屋をけなしている場面。


 「『戦争と平和』もないし、『性的人間』もないし、『ライ麦畑』もないの。それが小林書店。そんなもののいったいどこがうらやましいっていうのよ?」


 『性的人間』は大江健三郎の長篇小説。大江の小説は当時の学生の必読アイテムだった。『戦争と平和』は説明不要だろう。
 ところで、1968年に『ライ麦畑』はそれほど有名だったのだろうか、『戦争と平和』や『性的人間』に匹敵するぐらいに――。村上春樹はあるところで次のように発言している*1


 「僕は60年代の半ばに高校生だったんだけど、当時『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読むことはひとつの通過儀礼みたいなものでしたよね。今はどうなのか知らないけど、60年代の高校生というか、若者は、これを読まないことには話が始まらないというところがあった」


 だがこの発言にはいささか誇張がある。1964年に初版5000部で刊行された『ライ麦畑でつかまえて』は、68年までに合計18000部を刊行する。平均すると年間3600部だからそれほどのヒットというわけではない。「通過儀礼」というのは、村上春樹のような早熟な高校生たちの間での話だろう。
 翌69年、庄司薫芥川賞受賞作品『赤頭巾ちゃん気をつけて』が、『ライ麦畑』を下敷きにしていると言われ、そのせいか『ライ麦畑』は一挙に36000部を刊行、以後順調に増刷を重ね、70年代は年間5万部、80年代後半からは10万部、90年代には年間20万部、現在までに累計250万部というメガヒット小説になる。高校生や大学生の間で「通過儀礼」のような存在になるのは、したがって70年代以降のことといっていい。
 たとえば、伊丹十三が名エッセイ集『女たちよ!』で、「サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が一番好きな小説」であることを理想の配偶者の条件の一つに挙げたのが68年のこと。食べ物、服装、車、等々に厳格な嗜好をもつ審美家・伊丹十三が高校生の愛読書を挙げるわけがない。この頃、『ライ麦畑』はまだ知る人ぞ知る存在だったというべきだろう。
 やがて『ライ麦畑』は、多くの読者を獲得し、「青春小説」の代名詞となる。76年に『ライ麦畑』と同じ白水社の〈新しい世界の文学〉シリーズで出たドイツの作家プレンツドルフの『若きWのあらたな悩み』(原著は72年刊)が「サリンジャーの再来」と謳われる。その後80年代に、ジェイ・マキナニーピーター・キャメロンといった若手作家が、最近では『ボーイ・スティル・ミッシング』のジョン・サールズや、『クレイジー』のベンヤミン・レーベルトがサリンジャーに擬せられている。


 『ライ麦畑』が大きな衝撃とともに新聞の紙面に姿を現したのは1980年のこと。
 12月8日、ジョン・レノンがマンハッタンのダコタ・アパート前で兇弾に倒れた。この事件は世界中に、ジョン・F・ケネディの暗殺に勝るとも劣らない衝撃をあたえたが、そのニュースはさらに思いがけない出来事を伝えていた。逮捕された犯人マーク・チャップマンが手にしていたのは、なんと『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のペーパーバックだった…。それは、あたかも『ライ麦畑』がカウンター・カルチャーの「敵」として立ち現れたかのような不条理な印象をあたえる出来事だった。
 サリンジャーは50年代に作家として活動し、以後ジャーナリズムの世界から姿を消す。その徹底した隠遁ぶりが神話化に拍車をかけた。W・P・キンセラが小説『シューレス・ジョー』にサリンジャーを登場させたのも、神話化のひとつの表れだった。この作品は『フィールド・オブ・ドリームス』として映画化されたが、サリンジャーが名前を使うことを許可しなかったため、映画ではテレンス・マンという黒人作家に姿を変えている。
 サリンジャーの影響は、たとえば短篇「バナナフィッシュにうってつけの日」からタイトルを借りて吉田秋生がコミック『バナナフィッシュ』を描くなど、いまやいたるところに浸透している。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が新たな読者を獲得し、さまざまなジャンルでサリンジャーの子どもたちが活躍することを大いに期待したい。



     ホールデン、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を評す


 ハルキの訳した『キャッチャー・イン・ザ・ライ』をどう思うかって? はっきりいってね、なんだかお上品なんだ。僕なら「いきなりでっかい屁を一発ぶっ放しやがったんだ」とかなんとか言うところを、「突然でかいおならをかましたんだ」だからね。調子くるっちゃうよ。でもね、まあ、節度のあるいい翻訳と言うべきだろうな。くだけ過ぎず、正確に訳そうとしてるんだからさ。
 おかしいのはね、僕の口癖の「Boy!」が「やれやれ!」になってたことだな。これってハルキの小説の登場人物の口癖だぜ! ま、いいけどさ。
 僕は(って、『ライ麦畑でつかまえて』の僕のことだよ、ああややこしい)、「チェッ!」って言ってたんだけど、まあイマドキの学生が「チェッ!」なんて言わないってことは、僕も知らないわけじゃないんだけどね。
 『ライ麦畑』の僕の口調は、ある人に言わせると「東京郊外、中央線沿線の高校生のちょっといきがった語り口だ」ということになるんだけど(付け加えると60年代の高校生ってことだけどね)、『ライ麦畑』はそれを取り入れて徹底的にコロキアルな(くだけた話し言葉の)文体で押し通したところに特徴があるんだ。それをハルキは、ある程度文章体に戻したってわけだね。
 たとえば、「すごく気色の悪いやつ」(『キャッチャー』p.199)をイマ風に訳せば「超キショいやつ」ってことになるんだろうけど、それだとあっというまに古びちゃうからね。だから、ハルキがコロキアルでありつつ、くだけ過ぎない文体を選んだのは、まあ、正解といっていいだろうな。もっとも、一ヶ所、「ていうか」が出てきて笑っちゃったけどね。要するに、これってハルキのホールデンなんだよ。ハルキには僕の声がこういうふうに聴こえたってことだな。だろ、フィービー?
 ところで、ハルキは『フラニーとゾーイ』を関西弁で翻訳したいと言ってるんだけどさ(売れるとは思えないと言ってるけど)、僕なら買うね。やんないかな、マジで。

                          (「マリ・クレール」2003年7月号掲載)