black and white in the mirror――川端康成『雪国』について(その2)

 

 前回、島村と駒子の「あんなこと」について、思わず筆を費やしてしまった。しかし、ことはまだ終わっていない。肝心の「あんなこと」が小説でどう描かれているのかについて、ふれておかねばならない。

 呼び寄せた芸者と一緒に部屋を出た島村は、芸者を置き去りにしてひとりで裏山に登っていった。そして、山から下りてきたところで、くだんの二羽の蝶がもつれ合いながら飛び立つのだが、そこへ島村を探しに駒子がやってくる。島村は駒子にむかって、芸者は「止めたよ」と告げる。君に見劣りしないぐらいの女でないとその気にならないからねといったふうなことを言うと、駒子は「知らないわ」とそっけなく言いはしたものの内心悪い気はせず、「芸者を呼ぶ前とは全く別な感情が二人の間に通っていた」という成り行きとなる。「芸者を呼ぶ前」は一種のfriendshipの関係だったのが、芸者という性的存在が絡むことによって二人の関係が新たなステージに更新され、そこに性的な意味合いを帯びることになったのである。「はじめからただこの女がほしいだけだ、それを例によって遠廻りしていたのだ」と島村は気づく。そういう目で見ると女は「よけい美しく見えて」くるのだが、駒子を観察する島村の目は、いきおい官能的とならざるをえない。

 細く高い鼻が少し寂しいけれども、その下に小さくつぼんだ脣はまことに美しい蛭の輪のように伸び縮みがなめらかで、黙っている時も動いているかのような感じだから、もし皺があったり色が悪かったりすると、不潔に見えるはずだが、そうではなく濡れ光っていた。

 この駒子の口唇の描写は言うまでもなくvaginaの暗喩にほかならない。つまり、性的存在として駒子を見る島村の視線を川端の描写はなぞっているのである(駒子の口唇の描写はあとでもう一度出てくる。そしてそれはいっそう官能的な描写となり、「彼女の体の魅力そっくりであった」と語られる(むろん、体を重ねたのちのことである)。

 そしてその夜、駒子はなじみのスキー客に安酒をしこたま飲まされて、泥酔状態で島村の部屋へやってくる。「島村さあん、島村さあん」と声高に叫ぶ駒子の声は「それはもうまぎれもなく女の裸の心が自分の男を呼ぶ声であった」のだから先は知れている。「いけない。いけないの。お友達でいようって、あなたがおっしゃったじゃないの」「私はなんにも惜しいものはないのよ。決して惜しいんじゃないのよ。だけど、そういう女じゃない。私はそういう女じゃないの」と口では拒みつつ、それとは裏腹に駒子はからだを開いてゆく。

 酔いで半ば痺れていた。

「私が悪いんじゃないわよ。あんたが悪いのよ。あんたが負けたのよ。あんたが弱いのよ。私じゃないのよ。」などと口走りながら、よろこびにさからうためにそでをかんでいた。

 英訳ではこのあと1行ブランクが入る。それは女の放心状態を表すいかにも妥当な処置ながら、原文では空きはなく、「しばらく気が抜けたみたいに静か」だった駒子が、ふと我に返ったかのように「あんた、笑ってるわね」「今笑ってなくっても、きっと後で笑うわ」とむせび泣く。ここでも、袖を嚙むという動作で駒子の性的恍惚(trance)が暗示されるのみで、幼年の読者ならおそらくここも読み飛ばしてしまっただろう。島村は翌日、東京へ帰る。これが駒子との最初の出会いだった。

 ふたりが再会して、島村が例の人差し指を駒子に突きつけた夜、ふたりは一緒に湯に浸かり、島村の部屋で褥をともにするのだが、その場面も前に劣らずさらに「ぼかして暗示的に表現」される。

 部屋に戻ってから、女は横にした首を軽く浮かして鬢を小指で持ち上げながら、

「悲しいわ。」とただひとこと言っただけであった。

 女が黒い眼を半ば開いているのかと、近々のぞきこんでみると、それは睫毛であった。

 神経質な女は一睡もしなかった。

 固い女帯をしごく音で、島村は目が覚めたらしかった。

 ぼかしすぎでしょ。

 駒子が部屋に戻ると、もう蒲団のなかに身を横たえている。枕から浮かした日本髪の鬢を小指で持ち上げるというのは、鬢のほつれを小指で搔き揚げる仕種にほかならず、ということはすでに事は終わったあと、ということになる。

 和泉式部の和歌、

黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき

を思わせる。

 そして「悲しいわ」とひと言漏らすまでが一文なのだから、この文章の凝縮力にはただならぬものがある。この「悲しいわ」という言葉もきわめてambiguousで、なぜ悲しいのか駒子自身にさえそのわけは確かではなかっただろう。

 ちなみに、「黒髪の乱れ」は女の乱れる恋心の暗喩にほかならず、「黒髪」は日本文学の伝統における必須アイテムである。川端もこの作品において駒子の黒髪、髪の黒さを執拗に描写しており(駒子が長唄の「黒髪」を口ずさむ場面もある)、『雪国』を「黒髪の小説」として主題論的に分析することも可能だろう(もう誰かがやってるでしょうね)。

 明け方、宿の人がまだ起きないうちに帰ろうと駒子は身支度をはじめる。鏡台に向かう駒子。窓外の雪が鏡の奥で真白に光り、雪のなかに真赤な頰を浮べた駒子の「なんともいえぬ清潔な美しさ」に島村は見とれる(島村は鏡に映る駒子を、汽車の窓硝子に映っていた葉子と重ね合わせている)。

 もう日が昇るのか、鏡の雪は冷たく燃えるような輝きを増して来た。それにつれて雪に浮ぶ女の髪も鮮やかな紫光りの黒を強めた。

 日の光りに輝いて目に痛いばかりの白い雪と底光りするような漆黒の髪との鮮やかな対比。それが鏡という縦長のスクリーンのなかでゆるやかに変化してゆくという幻想的で美しいシーン。川端会心の描写だろう。

                             ――この項つづく

豊田四郎監督『雪国』より