菊池寛の「新刊」に感歎する


 岩波文庫が好調だ。赤帯クローデル『繻子の靴』の渡辺守章新訳、ジョイス『若い芸術家の肖像』の大澤正佳新訳が相次ぎ、『アーネスト・ダウスン作品集』にロペ・デ・ベガ『オルメードの騎士』、それにプリーストリー『夜の来訪者』という渋いところをヒットさせる。緑帯も負けてはいない。村井弦斎『食道楽』『酒道楽』の連打(『女道楽』は無理か)に田山花袋の『温泉めぐり』。五人づれ『五足の靴』という珍品を発掘するかと思えば続いて北原白秋『フレップ・トリップ』を出すあたりはさすが。読書好きの琴線にふれるというか足の裏をこちょこちょ擽って頬を緩ませる。
 今月の緑帯新刊が菊池寛『半自叙伝・無名作家の日記 他四篇』。なあんだ、菊池寛かと云う勿れ。従来の『無名作家の日記 他九篇』をそのまま復刊するのでなく、「半自叙伝」に自伝的小説二篇(「無名作家の日記」「葬式に行かぬ訳」)、定評のある人物スケッチ三篇(上田敏二篇に芥川龍之介一篇)、それに解説代わりに矢野峰人の「菊池寛氏を憶う」を収録するという心憎い編集を見せる。京大での師上田敏に創作を認められなかった憤懣を自伝的小説で吐露する一方、師のポルトレに「自分は先生が好きであった」と書く菊池寛矢野峰人曰く「この二者を併せ読む事によってのみ、菊池君の上田敏観ははじめて全きものとなるのである」。あたかもこの文庫本のために書かれた解説文であるかのようだ。矢野峰人は京大英文科で菊池寛の二年後輩にあたる。企画といい編集といい、たっぷり元手のかかった具眼の編集者の手になるものだ。脱帽した。


 ところで、菊池寛全集を繙いてもこの文庫本に収録された人物スケッチを読むことはできない。これらの文章は『菊池寛全集』補巻に入っているのだが、じつは菊池寛全集と補巻とは別々の版元から出版されているのである。菊池寛全集は改造社中央公論社など複数の出版社から何度か出ているのだけれども、もっとも新しいのが高松市菊池寛記念館が出した全二十四巻(文藝春秋が発売元)のもので、そこに洩れた文章を武蔵野書房が補巻として五巻に纏めた(全集・補巻ともに故郡司勝義の編輯)。最初は一冊のつもりだったのか「補巻」のみの表記で、追って補巻第二、補巻第三と続いたが、なかでも面白いのは補巻と補巻第二に収められた雑纂である。上記の上田敏と芥川の回想記は補巻一冊目に入っている。
 わたしは菊池寛の好い読者ではない。小説も戯曲も殆ど読んでいないけれども、文壇ジャーナリズムの祖ともいうべきかれの雑文は愛読している。この「補巻」に初期文藝時評集があり、なかに加能作次郎の『世の中へ』の読後感を認めた一文がある。菊池は新潮社から届いたこの本を一気に読み終えて、「近頃此の位心持のよいしみじみした読後感を得たことはないと思つた」と書く。加能は「文壇的には不遇な人」であったが、ようやくその真価を認められて「人事ならず嬉しく思ふ」。加能の「活躍を欣ばずには居られないのである」と。


 「一体、今の文壇で加能氏位地道な真摯な人はない。作家の中には、よく正面を切りたがる作家が居る。何時も、大見得を切つて居るのである。色々な壮大な人聴のいゝ標語などを振翳して盛に正面を切る作家が居る。が、加能氏は絶対に正面を切らない作家である。何時も素で何時も生れたまゝである。此の人は芸と云ふことを少しも持つて居ない人である。その作品も自分が見た人生の姿を正直に、素朴に描いてある丈である。が、本当の人生の姿や、本当の人間の姿は、却つてかうした無邪気な気取らない素直な作品の中にマザマザと浮き出すのではないかと思ふ。否実際浮き出して居ると思ふ。」


 加能作次郎という作家の愚直なまでの人柄を愛し、加能の作品が世に認められたことを心から喜んでいることが伝わってくる文章である。思わず涙ぐみ、しみじみとした心持に浸ったと菊池は繰り返す。全体に「溌溂たる描写」も「奇抜なテエマ」もないが、人生とはそうした「他奇のない質実なもの」ではないか、と菊池はいう。「人生の本当の姿を写すには、うますぎるやうな技巧よりも、加能氏のやうな質実な飾り気のない技巧の方が、何れ丈適当で有効であるかも分らない」と。こうした批評文は時代後れの古びたものに見えるかもしれないが、読後感が読む者に感染し、加能作次郎を読んでみたいと思わせる真率さは当今失われて久しく、却って新鮮に感じられもするのである。
 昨年、講談社文藝文庫で加能作次郎の作品集『世の中へ・乳の匂い』が出た。加能の作品を愛しよく読み込んでいる荒川洋治の編輯になるだけに、加能の作品世界を知るには好い選集となっている。また、「誰もがこの少年のように「世の中へ」の道を歩いた。不安な道を歩いた。生きるつらさに、よろこびに気づいた。時代は変わっても一筋の道が、心のなかに見えることに変わりはない」と書き、「ぼくは加能作次郎の作品を読むたびに、未知の光に顔を打たれるような、新鮮な感じにおそわれる。ときには外国から港に着いたばかりの作品を、潮風のなかで聞く。そんな気持ちになるのだ」と書く荒川の解説文は、その真率さにおいて菊池寛に一脈通じるところがあるような気がしないでもない。それだけに、同時代の評として菊池のこの一文が収録されていればなおよかった、とさらに蜀を望みたくもなるのである。


 扨て、筆を矢野峰人の「菊池寛氏を憶う」に戻せば、矢野が一九二六年に初めてイエイツに会ったとき、イエイツは矢野に「自分が今最も深い興味を以て眺めて居る戯曲家は世界に菊池とピランデルロ二人あるのみだ」と語り、「屋上の狂人」にとりわけ感心したと告げた、という。「屋上の狂人」はイエイツ夫妻の主宰する劇団によって上演され、翌年、矢野がダブリンを訪れてイエイツに再会した際、矢野はイエイツに若い女優を紹介された。矢野が挨拶をしようとすると、その女優は「アー・ユー・キクチ?」と云ったそうである。
 矢野の「菊池寛氏を憶う」は『去年の雪――文学的自叙伝』(大雅書店、1955年)に収録されたものだが、この文を読むためだけにでも『半自叙伝・無名作家の日記 他四篇』を購って損はない。むろん国書刊行会の『矢野峰人選集』第一巻にも高遠弘美氏の撰によりちゃんと収められているので、この本で矢野峰人による上田敏の回想記(八篇)などとともに読めばいっそう興趣がますにちがいない。


矢野峰人選集〈1〉エッセイ・詩・訳詩

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