怯えるカフカ


 『小泉今日子書評集』が書店新刊の平台に並んでいた。読売新聞に10年間掲載された書評を集成したものだという。それぞれの末尾にあらたに短いコメントが附されている。手に取ってぱらぱら頁をくっていると、ある箇所にきて、おおっと思った。最近、文庫本の小さい字が読みづらくて眼鏡をかけて読んでいる、といった意味のことが書かれていた。キョンキョンが老眼鏡ねえ。歳月人を待たず、か。わたしもむろん疾うから老眼だが、いまのところ文庫本のルビもどうにか裸眼で読めるので老眼鏡はもっていない。目はひとより酷使しているので、そのせいか、1年ほどまえに白内障の徴候があると医者に診断されたが、いまのところ自前の水晶体を騙し騙し使っている。たんにモノグサで眼鏡をかけたり手術をしたりするのが面倒なだけなのだけれど。
 文庫本といえば、最近創刊された集英社の〈ポケットマスターピース〉シリーズは近来出色のものである。全13巻と多くはないが文庫版世界文学全集というべきもので、初回配本がカフカゲーテの2冊。とりあえずカフカの巻を買ってみた。「変身」(「かわりみ」とルビが振られている)と、「ある戦いの記録」から抜粋した2篇、それに「田舎医者」から1篇、都合4篇が多和田葉子の新訳、ほかに「訴訟」(「審判」)や「流刑地にて」「巣穴」など8篇すべてが70年代生れの中堅研究者(川島隆、竹峰義和、由比俊行)による新訳。さらに書簡選、公文書選も収録されている。 
 「変身」冒頭の有名なセンテンスを多和田葉子はこう訳している。


 「グレゴール・ザムザがある朝のこと、複数の夢の反乱の果てに目を醒ますと、寝台の中で自分がばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)に姿を変えてしまっていることに気がついた。」


 「なにか気がかりな夢」という訳語も含みがあって好きなのだが、「複数の夢の反乱」というのも、ざわざわした不安な夢の感触をつたえて悪くない。多和田葉子は本書に「カフカ重ね書き」という12頁におよぶ解説を寄せている。今年の「すばる」5月号に「変身」の翻訳が掲載された際に「カフカを訳してみて」という見開きの文章が掲載されたが、それと重複する部分もある。ふたつの文から大意を紹介すると――
 「変身」冒頭、原文は「ウンゲホイアのようなウンゲツィーファーに変身してしまった」であり、ウンゲホイアは化け物であり「余剰によって人間をはみだしてしまった」という語感があるという。ウンゲツィーファーは害虫、訳文の()内に補足されているように「生け贄にできないほど汚(けが)れた生き物」が語源である。父親の罪=借金を償うためにグレゴールは会社に生け贄として捧げられていたが、変身することによって生け贄をまぬがれて自由の身になる。だがその代償として家族や社会から見捨てられ、生き延びることができなくなってしまう。変身したグレゴールからはまた「引きこもり」や「介護」の問題も読み取ることができる。カフカの小説はそうした複数の解釈を生じさせる重層構造があるが、それは労働者災害保険局に勤めてさまざまな社会的問題と直面していたことと関係があるかもしれない、カフカの書いた公文書もそういう視点で読むと面白い、と多和田葉子はいう。
 というわけで、公文書選の「1909年次報告書より 木材加工機械の事故防止策」を読んでみる。これは、木材切削加工用のかんな盤の安全シャフトについての報告で、角胴と丸胴のシャフトの相違をイラスト図版つきで詳細に説明している。すなわち――


 「(角胴は)かんな刃とテーブル面のあいだに広い隙間が空いているせいで作業員の身に生じる危険は、明らかに突出して大きい。この方式のシャフトで作業するということは、すなわち危険について無知なまま作業して危険をいっそう大きくするか、あるいは避けようのない危険にたえずさらされている無力を意識しながら作業するか、どちらかを意味する。きわめて用心深い作業員なら、作業に際して、つまり木材を回転刃に送る際に木材より指が前に出ないよう細心の注意を払うことができるだろうが、危険があまり大きいので、どれだけ用心しても無駄である。どれだけ用心深い作業員でも手が滑ることはあるし、片手で工作物をテーブル面に押しつけ、もう片方の手でかんな刃に送るとき、木材が躍ることは少なくない。すると手が刃口に落ちて回転刃に巻き込まれてしまう。そのように木材が浮いたり躍ったりするのは予測不能であり、防ぐこともできない。木材にいびつな箇所があったり枝が出ていたりするとき、あるいは刃の回転速度が足りないとき、あるいは木材を押さえる手の力が不均一であるときに、それは簡単に起こる。だが、ひとたびそのような事故が起これば、指の一部または全部が切断されずには済まない。」


 面白い。書き写していると面白くてつい長く引用してしまった。「避けようのない危険にたえずさらされている無力を意識しながら作業する」なんて役所の報告書としてはレトリックが過剰で、もっと簡潔に事実のみを述べよ、と上司が注意したのじゃないだろうか。イマジネーションが過剰に発動して、カフカはここでほとんど作業員と一体化して危険におびえているかのようだ。
 巻末の詳細な作品解題で川島隆は、公文書は従来カフカ研究において重きをおかれていなかったが、近年では「文学作品と公文書のあいだの文体上・モチーフ上の連続性が指摘されるようになってきて」おり、「両者の境界線を撤廃し、カフカの公文書を「文学作品」として読む可能性もまた読者の前に開かれている」と記している。 安全ヘルメットを発明したのはカフカだという「風説」もあったそうだが、危機や危険にたいする異常に鋭敏なセンサーは、たとえば「巣穴」などの作品にも明確に発揮されている(川島隆は、この木工機に関する報告書を「流刑地にて」と対をなすテクストだと書いている。慧眼である)。
 本書に収録された公文書は、ドイツの「批判版全集」の公文書の巻からカフカの文章であることがほぼ確実なものを訳出したそうだが、もっと読んでみたいと思わせられた。「カフカお役所文集」なんて出るといいなあ。売れないだろうけど。「訴訟」や書簡選には、批判版全集の校注を参考に訳注を附すなど、ぜんたいに最新の研究成果が取り入れられている。800頁の大冊で本体1300円と、値段もお買い得である。