文体について(その2)――片岡義男『日本語と英語』を読む(2)



 片岡義男は、ハワイのマウイ島生れの日系二世の父親と滋賀県に生れた日本人の母親のもとで、幼児期からバイリンガルで育った。英語と日本語をほぼひとしく話したが、《子供の僕の核心に、より深く届いていたほうがドミナントだったと考えるなら、それは英語のほうだ》と片岡は自伝的エッセイ『言葉を生きる』*1に書いている。


 《なぜ英語だったのか。実用的だったからだ。英語という言葉はアクションに則しているから、という言いかたが出来る。考えるときに使った言葉が、圧倒的な優位を保って英語だったから、と言ってもいい。
 具体的な事実関係に則して、そのことだけについて述べる言葉、という性格が英語には強くある。子供の僕はここに、根源的なと言っていいほどの共感を覚えたのではなかったか》


 その後、片岡は生活の大半を日本でいとなみ、日本語で原稿を書いて暮すようになるのだが、幼少期の一種の「刷り込み」のような自覚は、かれの人間形成を根っこのところで規定したように思われる。以前ここで書いた「拾う」という日本語を自分のことばとしてつかえないという述懐にもそれは窺うことができる*2
 いっぽう日本語にたいしては次のような感想を述べている。なぜ日本語でなく英語だったのかをのちに振り返って論理化したものだろう。


 《日本語には言葉が人それぞれの個人的な体験と結びつくことによる直接性が常にあり、言葉の汎用性がその直接性によって、ことあるごとに邪魔される。その結果として、世界は言葉ごとに限定を受け、見とおしは悪くなる。英語はアクションとその準備のための言葉だ。抽象性をおびたことや間接的なことが言いやすくて初めて、具体性というものが成立する》

 
 これはかなり首肯できる指摘である。わたしは英語をほとんどしゃべったことがないので確かなことはいえないけれども、なにかステートメントのようなものを述べるには英語のほうが適した言語であるように思われる。いっぽう片岡のいう日本語の《人それぞれの個人的な体験と結びつくことによる直接性》にかんしては、たとえば一人称を例にとってもすべて「I」ですむ英語には、その「汎用性」において日本語はかなわない。日本語は、一人称が時と場合によってさまざまに変化し、ひとつのセンテンスにしても、のちに見るようにコンテクストに依存する割合が比較的大きいように思われる。だれが、いつ、どこで、どういう状況のもとで話したか、によってその意味が左右される場合が多いようだ。
 たとえば、ある文章から抜き出した一文を比較した場合、文脈にかかわらずその意味が確定される割合は日本語よりも英語の方が高いような気がする。「見方や立場によっていろいろに解釈できるあいまいな表現」(大辞泉)を「玉虫色」というけれども、そうしたアンビギュアスな表現は日本語の方が得意であるようだ。《世界は言葉ごとに限定を受け、見とおしは悪くなる》とはそうした曖昧さによるものでもあるのだろう。
 ともあれ、片岡少年はより明快でつかいやすい英語を選んだのだったが、かれにとって英語と日本語のポジションは次のような、ある意味で特異なものだった。《僕の日本語のすぐかたわらにあり続けながら、その日本語によって僕が漂流しないよう明確につなぎとめておく機能を、英語という言葉は僕に対して発揮することになった》。


 片岡義男の『日本語と英語』はきわめて興味深い本だ。日常のなかで、あるいは書物のなかで気になったことば、目にとまったことばをカード化し、それを日本語と英語とでどう表現するかについて書いた本で、副題にあるように読者は「その違いを楽しむ」ことができる。そうして採集されたことばをわたしも面白く読んだのだけれども、いちばん面白いというか興味深かったのは、最後に付された「英語で知ろうとした日本」という文章だった。
 片岡は高校生のとき古文の教科書で源氏物語に出会う。そして、書き出しの《「いずれのおんときにか」というわずか十文字が、まったく理解出来ない事実をまのあたりに》して衝撃を受ける。後年、長じてのちに源氏の英訳を手にし、その書き出しのフレーズを見てふたたび大きな衝撃を受ける。「いずれのおんときにか」は、In the reign of a certain emperorとなっていた。


 《まるでわからなかったものが、隅々まであますところなく、すっきりと明快に、いっさいなんの誤解もなしに、この英訳によってわかってしまった。ごくつまらなく直訳して「ある天皇の統治下で」という意味であり、それ以外ではなく、それっきりのそれだけなのだ。あまりと言うならあまりのわかりやすさに、大きくて強い衝撃を受けた、と言えばいいか》


 そうした衝撃のゆえに「わかりすぎるほどにわかる」英訳本をそれ以上読み進めることをやめた、と片岡は言う。そして後にかれは、これとは正反対の経験をすることになる。
 「二〇一〇年の秋」というから二年前のことだ。片岡は漱石の『草枕』の英訳を手にする。《英語で読んだ『草枕』は、英語そのものだった。(略)会話は飛び抜けて英語であり、あまりにも英語であるが故に、僕にとってそれはいま目の前にある世界となった》。そして、英訳を読み終えて漱石の文庫本を読み始めたとき、「強烈な驚き」を感じる。


 《とにかくいったんは英語訳をとおして『草枕』を通過し終えていた僕は、『草枕』をめぐるなにがしかの理解は手にしていたはずだ。日本語の原典を読み始めたとたん、そんなものはこなごなに砕けてふっ飛んだ。英語で読んだ『草枕』の、日本語による原典はこういう世界なのかと、僕は心の底から驚いた。日本語の原典を先に読んだなら、このような驚きとは無縁のままだったはずだ。英語の『草枕』に驚きはほとんどなかったが、夏目漱石が明治三十九年に用いた彼の日本語には、驚嘆すべきものが充満していた。端から端まで、なにからなにまで、日本語で読む『草枕』は驚きの連続だった》


 それは、同じ世界であるはずのものがまったく違って見えた、という驚きだったのだろう。わたしはこのくだりを読んで、加藤典洋が『小さな天体』に書いていた、源氏の英訳を読んで驚いたというエピソードを思い出した。これも以前ここで書いたことがあるけれども*3、同じことを述べているはずなのにこうも印象が違うのかという驚きがはからずも共通している。
 片岡は『草枕』から次のようなことばをカードに書きとめる。「女だと思って、人をたんと馬鹿になさい」。この英訳はDon’t treat me like a fool just because I’m a woman. 《日本語では肯定の命令として言っていることが、英語だとDon’tというこれ以上はどうにもならない、単純さのきわまった否定の命令になってしまう》と片岡は書いている。
 だがこれは「肯定の命令」ではない。構文としてはたしかにそうなのだが、女性を一段低く見る社会通念というコンテクストに照らせば、それに異を唱える反語(アイロニー)であることは明らかである。英文からDon’tを削除し、Treat me like a fool just because I’m a woman.とするなら、これは「肯定の命令」になるだろう。英訳者はそうかんがえて否定形にしたのだろう。だが『草枕』から抜き出された(もとのコンテクストから剥がされた)「女だと思って、人をたんと馬鹿になさい」という文章をおそらくたいていのひとが反語であると判断するだろう。それは、原文『草枕』のコンテクストが同時に、テクスト外の社会(それは連綿とつらなる日本の歴史・文化でもある)をも外延にもつからである。と同時にこの文体じたいが反語であることを保証しているのも見逃せない。Treat me like a fool just because I’m a woman.を愚直に和訳した「私を馬鹿のように扱いなさい、なぜなら私はまさに女性だから」をひとは反語だと判断するだろうか。
 「女だと思って、人をたんと馬鹿になさい」は、いまではほとんどつかう人はいないけれども、当時としてはクリシェであったといっていい。だがそのクリシェには日本の文化が集約されている。漱石が明治三十九年に用いた日本語に片岡が驚嘆したのは、そこに英語とは異質の文化の堆積を見たからだろう。それはかれに眩暈を起こさせるほどの強度をもったものだったにちがいない(「夏目漱石が明治三十九年に用いた彼の日本語に」と片岡が書いていることもわたしの注意をひく)。
 漱石が『草枕』を書いた72年後、ひとりの女性歌手が歌った歌詞は、前回の冒頭に引用した「世のなかは絶えまのない動きのなかにあり、変化は最終的には常に進歩の方向にあるのです」に正確に対応するものだ。明治の日本人がこの歌を聞いたらどう思ったことだろう。


 馬鹿にしないでよ そっちのせいよ
 これは昨夜の私のセリフ
 気分次第で抱くだけ抱いて
 女はいつも待ってるなんて
 坊や、いったい何を教わって来たの
 私だって、私だって、疲れるわ


日本語と英語 その違いを楽しむ (NHK出版新書)

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*1:『言葉を生きる』、岩波書店、2012年

*2:id:qfwfq:20110211。『言葉を生きる』に収録。

*3:id:qfwfq:20120211