シュトックハウゼンの災禍


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 9月16日の朝日新聞朝刊の片隅に記事訂正の告知が載っていた。以下その全文である。


 「訂正  13日付「メディアタイムズ 鉢呂氏の放射能発言、経緯は」の記事で、「防災服の胸ポケットにしまっていた個人用線量計をのぞき、その日に測定された数値の一つを読み上げた」とあるのは「防災服の胸ポケットをのぞくしぐさをし、その日に測定された数値を口にした」の誤りでした。鉢呂氏は線量計をその場には持っていませんでした。また、東京新聞などについて「鉢呂氏の発言を確認した方法などは明らかにしていない」とあるのは「東京新聞は紙面で共同通信の配信であることを明らかにした」の誤りでした。それぞれ訂正します。」


 東京新聞の情報源にかんしては前回推測したとおりだったが、線量計については面妖なというしかない。囲み取材の場にいた朝日新聞の記者が鉢呂氏の「胸ポケットをのぞくしぐさ」を見て、そこには個人用線量計がはいっているに違いないと推測し、さらに鉢呂氏の口にした数値は個人用線量計の測定数値を読み上げたに違いないと推測した、ということだろうか。鉢呂氏の至近距離にいた記者がなぜそうした推測に基づいて記事を書いたのかは不明である。その記者はつねづね推測に基づいて報道記事を書いているのだろうか。
 9月30日付「週刊朝日」が鉢呂氏へのインタビュー記事を掲載している(聞き手は「本誌・大貫聡子」と明記されている)。その記事で、鉢呂氏はまず「死の町」発言について、「会見では『その発言は不適切では?』という質問や指摘はまったく」なく、「突然、記事になり、そんなふうに思われていたのか」と驚いたと述べ、警戒区域を視察したさいの状況を以下のように語っている。


 「バスで20分ほどまわりましたが、ガソリンスタンドには車が乗り捨てられたまま、ついさっきまでここでふつうの生活が行われていたようだった。にもかかわらず、人間がいない。ぼくの乏しいボキャブラリーでは、『死の町』という表現しか思い浮かびませんでした。その前後の発言を聞いていただければわかるのですが、福島の再生なくして日本の再生はない。除染対策など今の困難な事態を改善に結びつけていくことができる、とも言っています」


 インタビューをした大貫聡子氏は上記の鉢呂氏のことばにつづけてこう書く。
 「実際はどのような文脈で語られた言葉なのかを報じるメディアは少なく、「死の町」という言葉だけが独り歩きしていく。そもそも「死の町」という表現の何が「不適切」なのかという疑問もある。」
 朝日新聞の記者と週刊朝日の記者とでは、捉え方がずいぶん異なっている。あるいは、週刊誌の記事の場合は、鉢呂氏が大臣を辞任したあとという時期の違いも作用しているのかもしれない。結局、「死の町」という鉢呂氏の言葉は文脈から切り離されて、新聞やテレビでセンセーショナルに取り上げられた。前回書いたように、コンテクストから引き剥がされたことばはいかようにも解釈が可能だ。別の文脈に投げ入れれば、まったく逆の意味をもつこともある。
 「週刊朝日」はつづけて元共同通信論説副委員長・藤田博司氏のコメントを紹介する。
 「人の姿がまったくない市街地を見て、そう(「死の町」と――引用者注)感じるのは自然でしょう。被災者への配慮を錦の御旗に、発言が誰にとってどう不適切なのかを説明せず、決めつけて揺るがないメディアにこそ疑問を持ちました」
 ノンフィクション作家の吉岡忍氏も同じ誌面で「そこは生き物の気配の消えた、まさに“死の町”でした」とコメントしている。被災者を「腫れ物」扱いにするメディアの姿勢に「彼らを“弱者”と見なす裏返しの差別を感じ」るとも吉岡氏はいう。
 つづけて「放射能」発言について鉢呂氏はこう語る。


 「何度も思い返しましたが、そんなしぐさや発言をした記憶がない。福島から新幹線で戻ってきたばかりでアルコールも飲んでいません。11時20分過ぎに、SPに付き添われて宿舎に入ると、5、6人の記者が追いかけてきたことは覚えています」


 そして線量計にかんして「原発を視察したときに身につけていた線量計の数字が2時間弱で85マイクロシーベルトだった、とは言った覚えがある。しかし、線量計はJヴィレッジに返却した」と述べ、つづけて驚くべき発言をする。


 「あの日、私を囲んだ記者で顔を知っていたのは朝日とNHKだけ。2人とも数メートル離れたところにいて、私の声が聞こえる位置にはいなかった」


 この発言が事実であるなら、朝日の記者は鉢呂氏の「至近距離」にはいなかったということになる。だとすれば、先にわたしが述べた「記者がなぜそうした推測に基づいて記事を書いたのか」についても、ありうべき推測が可能となる。すなわち、至近距離にいなかったから、推測に基づいて記事を書いたのである。それを「予断」という。鉢呂氏は個人線量計を胸ポケットにしまっていたはずである、と記者は思った(鉢呂氏は胸ポケットを見るしぐさをした記憶はないと述べているが、「Jヴィレッジに返却した」のを忘れて、無意識にそんなくしぐさをしたのかもしれない)。だから、その「個人用線量計をのぞき、その日に測定された数値の一つを読み上げた」はずである、と記者は思った。それは、あたかも記者が目撃したかのような「事実」として「報道」される。「放射能をつけちゃうぞ」云々の発言をまったくのフレームアップであるとは思わないが(思いたくないが*1)、朝日新聞をはじめとする記者たちに、鉢呂氏にたいするなんらかの予断があったことは疑えない。「社会の木鐸」であるという記者たちの意識がその予断に拍車をかけたという可能性は否定できまい。これが現代の「魔女狩り」でないことを祈るばかりだ。
 先述の元共同通信藤田博司氏は、放射能云々についてこう述べている。
 「当事者でもある毎日は1面で〈『放射能をつけたぞ』という趣旨の発言をした〉と書いています。記者が直接聞きながら“趣旨”と書くのは不自然。読売は『ほら、放射能』、朝日は『放射能をつけちゃうぞ』など、表現も社によって異なり、事実関係がはっきりしていない。鉢呂氏に真意を確認した形跡もない。この程度の事実で閣僚の進退や責任を問うとは考えられない」
 鉢呂氏はインタビュー記事の最後にこう語っている。


 「経産省にはエネルギー対策の方向性を決める『総合資源エネルギー調査会』という会議がある。私が大臣に着任当時、内定していた委員は15人中12人が原発推進派で、結論ありきの人事でした。しかし、半分は批判派にしなければ国民の理解は得られない。私は人選に着手し、9月にも発表する予定でした。経産省にしてみれば、私は煙たかったかもしれません。この騒動後も大臣で居続けることはできたかもしれないが、混乱は長引くでしょう。日本は今、そんなことをしている場合ではないのです」


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 9月29日の朝日新聞朝刊の「論壇時評」で高橋源一郎氏は「真っ白な放射線防護服を着て顔面をマスクで覆い隠した男が、無言で、こちらを指さし続けている」、そのパフォーマンス*2から説き起こし、鉢呂氏の「死の町」「放射能」云々発言に言及する。高橋氏が参照するのは、中沢新一氏が『緑の資本論』で紹介したシュトックハウゼン氏のバッシング事件である。新聞の限られた紙面での要約では充分に内容が伝わらない憾みがあるので『緑の資本論』から直接引用しよう。
 十年前の2001年9月16日、演奏会のためにハンブルク音楽祭に訪れた作曲家シュトックハウゼン氏を迎え、記者会見がおこなわれた。いくつかの質疑応答ののち、「人類の調和について語られたあなたは」と北ドイツラジオのディレクター、シュルツ氏はシュトックハウゼン氏に問いかけた。「あの事件をどうごらんになっているのですか」。あの事件とは、5日前にアメリカで起きた同時多発テロ事件である。作曲家は口ごもりながら「あれはアートの最大の作品です」と答えた。「私はルシファーのおこなう戦争のアート、破壊のアートの、身の毛もよだつような効果に驚いています」と。
 そのアートをあなたは犯罪と見るか、とシュルツ氏は訊ねた。
 「もちろん、それは間違いなく犯罪です。(略)しかし、霊的にとらえれば、このような安全からの逸脱、自明性からの逸脱、日常生活からの逸脱は、ときどきアートの世界でもおこることなのですがそんなものには価値はありません」と作曲家は答え、「しかし、いま言ったことはオフレコにしてください。誤解されると困りますからね」と付け加えた(記者団は一斉にうなずいた)。
 その夜、北ドイツラジオは作曲家の「信じがたい非人道的発言」を大きくニュースに取り上げた。
 「発言の前後のコンテキストを周到にカットして、あたかも世界貿易センタービルの事件について感想を求められたこの作曲家が、あっけらかんと「あれはアートの最大の作品です」と発言したかのように、みごとな細工をこらして放送されたものだから、その報道は、シュトックハウゼン氏とハンブルク音楽祭に対して、まさに致命的な打撃を与えたのである。」
 その後の経緯は推して知るべしである。ハンブルク音楽祭は中止となり、シュトックハウゼン氏には次々と「攻撃の刃」が襲った。記者会見に居合わせた記者たちは自分の目撃したことは語ろうとせず「この世界的前衛作曲家が、記者会見における非人道的な前言を取り消す発言と謝罪をおこなった、とだけ報道した」という。「会見では『その発言は不適切では?』という質問や指摘はまったく」なく、前後の発言をカットして「死の町」ということばだけがクローズアップされた鉢呂氏のケースと同じである。
 中沢新一氏はこう書いている。


 「マスコミのおこなった一連の行動から精神分析学的に推論すれば、シュトックハウゼン氏の(一部の)発言は、まさしくマスコミ自身が語りたい内容だったのである。しかし、この時期にそれを語ることがどれほど危険なことかを承知していた彼らは、「芸術家」という人々の口を借りて、その内容を語らせた(4字傍点)ばかりか、責任はすべて「芸術家」に押しつけてしまうことで、自らは社会的正義の場所にいることを明示しようとしたのではなかろうか。」


 シュトックハウゼン氏を鉢呂氏、芸術家を政治家に置き換えてみると、あらまし今回の出来事の経緯に重なるだろう。鉢呂氏がやらなかった(ポケットの線量計を見るという)しぐさを、あたかも目にしたように記事にした記者の脳裡には、そのしぐさが、あるいはありありと見えていたのかもしれない。
 中沢氏はそこから「両義的に思考したり、両義的な意味を発言したりすることが、極度に危険な行為となってしまっている」と述べ、さらに考察をすすめるのだが、いささか長くなりすぎた。あとは中沢氏の『緑の資本論』にあたられたい。最後にふたたび高橋氏の論壇時評にもどろう。
 高橋氏は、「死の町」発言によって鉢呂氏が辞任に追い込まれたとき、この「シュトックハウゼン事件」を思い出したと書く。
 「その少し前、ぼくも鉢呂さんとほぼ同じところに行き、「こういうの死の町っていうんだね」と呟いたばかりだったんだ。あんな程度で辞任させられるわけ? 意味わかんない……。」
 そして、「この「言葉狩り」としかいいようがない事件の後、東京新聞は社説でこう訴えた」と以下の社説を引用する。
 「自戒を込めて書く。メディアも政治家も少し冷静になろう。考える時間が必要だ。言葉で仕事をしているメディアや政治家が、言葉に不自由になってしまうようでは自殺行為ではないか」
 この「自戒」が遅きに失するものでなければ幸いだ。中沢氏は「シュトックハウゼン事件」の末尾でこう書いていた。
 「(略)シュトックハウゼン氏を襲った災禍は、明日は私たちのものとなろう」

緑の資本論 (ちくま学芸文庫)

緑の資本論 (ちくま学芸文庫)

*1:放射能をつけちゃうぞ」も「ほら、放射能」も「放射能をつけたぞ」も「放射能をつけてやろうか」も「放射能をうつしてやる」もすべて、鉢呂氏とはなんの関わりもない記者たちの「妄想」であったという可能性もまったくないとはいえない。もしそうであれば――おそろしいことだが――前回のわたしの鉢呂氏の「ブラックジョーク」であるとの記述を撤回しなければならない。

*2:http://pointatfuku1cam.nobody.jp/