人衆ければ即ち狼を食らう――森鴎外と久保忠夫



 『明治文壇の人々』から馬場孤蝶の回想をひとつ抜書きすると――。
 大正七、八年頃のこと、東京日日新聞で国詩を募集した。当選したある詩のなかに「……するより仕方がない」という句があった(国詩とは一般に詩歌とくに和歌を指すが、ここでは何の詩型かは不明)。銓衡の委員長格を務めていた森鴎外は、これは「下品な書生言葉」であり「……するより外仕方がない」と改めるべきである、と異をとなえた。むろん鴎外大人の仰せのとおりであるけれども、「……するより仕方がない」もいまや慣用となっているので敢えて改めるまでもありますまい、と孤蝶がいうと、鴎外は同意せず、それが誤りであると熱心に説き募った。孤蝶はどちらでもよいことと思いそれ以上主張しなかったが、あとで校正刷りを見ると字句に添削は施されず、「……するより仕方がない」のままだった。孤蝶は鴎外の遠慮深さに敬服したという(「更に衰へざりし鴎外大人」)。
 森鴎外文久二年(1862)の生れ。大正七年(1918)、鴎外五十六歳。孤蝶は明治二年(1869)の生れだから、このとき四十九歳。二人の態度を考えるとき、この七つの差は大きい。さらに鴎外は孤蝶いじょうに規範を重んずる人であったろう。「……するより仕方がない」に鴎外は我慢ならなかった。これをいま風に翻訳すると、鴎外は「見れない」という「下品な若者言葉」に目くじらを立てたといったところか。いや、「ラ抜き」言葉でも「見れない」「食べれない」は未だ慣用とはいえまい(「ワード」で文書を作成すれば下線がつく)。孤蝶とて鴎外に反論はしまい。ならば、「行けない」「帰れない」はどうか。これはもはや怪しむものもいまい。「行かれない」「帰られない」といえば、多くの人が逆に奇異な感じを受けるか、可能ではなく尊敬の言い回しと取るかもしれない。この頃、鴎外はいまに残る作品をあらかた書き終え、帝室博物館(国立博物館)総長に就任したばかりのもはや晩年という齢で、この四年後には他界している。もっとエバってても不思議はないところで、鴎外の謙譲にたいする孤蝶の敬服もむべなるかなというべきか。
 さて、モンダイの「……するより仕方がない」であるが、それから九十年を経て、もはや立派に慣用となったとおぼしい。「……するよりほか仕方がない」では若者ならずとも冗長でまだるく感じるかもしれない。ことばはどんどん短縮される。いまや「……するより仕方がない」どころか「……するよりない」を通り越して「……するっきゃない」になってしまった。鴎外が聞いたら卒倒するだろう。


 ところで、鴎外大人ならぬ碩学久保忠夫もまた「戦後十年、言葉も変わったものだ」と長嘆息している。「いまから三十五年ほど前」という書き出しだからその稿が成ったのはもう平成の世であったが、とにかく昭和三十年頃の話、バスに乗っていると車掌が「ツギハヤギヤマイレグチ」と告げた。仙台市の八木山入口のことで、久保はびっくりするとともに、「ここまで来たか」と思った。「ここまで」というのはデパートで、「缶入れですね」とか「十箇入れ」ですね、といった言葉を耳にして「きくたびに不快の念を催していた」からである。幸いにというべきか、それから五十年たったいまでも「いれぐち」とか「缶入れ」は慣用になってはいない。
 むろんこれは本題に入る前説で、久保は以下で、「草いきり」と「草いきれ」との語源探索にとりかかる*1。「草いきれ」の語は蕪村がつくったとの説があり、辞典にも蕪村の句が引いてあるけれども、正岡子規はそれを否定し、元禄の用例を示している。「草いきれ」は「草いきり」と同義であるが、「いきれ」は元来「いきる(熱る)」(文語自動詞ラ行四段活用)に発する言葉で、ほてる、とか、むしむしする、といった意。そういえば、「熱る」と書いて「ほてる」とも読ませる。久保の引用する与謝野晶子の歌がいい。


 祭店(まつりだな)人げいきれどおしろいの襟あしいくつ涼しならびぬ
                                 (『夢の華』明治39)


 「いきれど」は「熱れど」で「熱る」の已然形。祭の縁日の情景が眼裏に生きいきと浮び上がってくる。
 『日本国語大辞典』は「いきれ」を<動詞「いきれる(熱)」の連用形の名詞化>としているが「わたしはこの説明に服しない」と久保はいう。ちなみに「いき(熱)れる」は口語の動詞ラ行下一段活用で「晴れる」などと同じ。文語「いき(熱)る)」が口語化し、さらに名詞になったとすれば、蕪村の頃、江戸中期にはすでに口語化していたということだろうか。久保は、口語からの名詞化でなく、文語「いきる」の連用形「いきり」に発するものであろうという。つまり「草いきり」という言葉があり、それが「草いきれ」に変化したのであろう、と。先述のごとく「草いきり」「草いきれ」ともに用例は元禄にあり、蕪村よりおおかた百年以前である。草いきり→草いきれの変化は、缶入り→缶入れの変化と軌を一にするのではないかというのが久保の仮説である。
 久保は最後に「野分(のわき)」→「のわけ」や、「幕明き」→「まくあけ」、「吹貫、吹抜」→「ふきぬけ」などの例をあげ、iはeに変化しやすいと説く。「今日正しく「幕明き」などといったら、何と無教養な奴と思われるだろう。人多ければ天に勝つ、とはこのことである」。鴎外大人も「人衆ければ即ち狼を食らう」と天を仰いだことだろう。
 久保忠夫の徹底した文献探索の一端は、id:qfwfq:20060514の「ささめゆき」と「さざめゆき」との来歴をめぐる考察を参照していただきたい。『三十五のことばに関する七つの章』はわたしの長年の座右の書たり続けている。仙台のバスではいまも「ヤギヤマイレグチ」と言ったり、デパートではいまも「缶入れですね」とか「十箇入れ」ですね、と言っているのだろうか。こんど久保先生にお尋ねしてみようと思う。

*1:「草いきり」と「草いきれ」、久保忠夫『三十五のことばに関する七つの章』大修館書店、一九九二年。