真実一路のひと――『蘆花日記』を読む



 某月某日TBSの鴨下信一さんと会う。お会いするのは五、六年ぶりか。ふたりとも病み上がりなので、ひとしきり病気の話。鴨下さんは胃を摘出されていて、わたしは生来の下戸なので、ふたりともコップ一杯のビールをもてあます。
 昨年末に鴨下さんが演出された四時間半の大作『日米開戦と東条英機』の裏話などを伺う。女性出演者は、阿部寛(石井秋穂)の妻を演じた檀れいぐらいで、ほとんど男たちのドラマ。それも会議の場面が多いので「『十二人の怒れる男』みたいでしたね」と感想を述べると、ビートたけし東条英機、そっくり)も同じ感想をもらしたとのこと。こうした史実に基づいたドラマは事実を出来るだけ忠実に再現する(東条が持っていた手帳の表紙の色とか)だけでなく、資料のない事柄まで「画」で見せなければならない。つまり、東条英機近衛文麿はもとより青年時代の昭和天皇の口調にまで演技をつけなければならないので大変だ。無類の博覧強記で鳴る鴨下さんでなければこんなドラマの演出はできなかっただろう。
 徳冨蘇峰つながりだったか、あるいは依田学海の日記の話(id:qfwfq:20080615)のつながりだったか、徳冨蘆花の日記がいかに面白いかという話になった。鴨下さんには『面白すぎる日記たち』(文春新書)という著書があって、そこにも蘆花日記の「破天荒」な面白さが縷述されている。蘆花は日記にあらゆること、生活のすべてをくまなく書き記したという。


 「筋道立って書けば、そこには取捨選択、あるいは時間の倒置等の書く技法(4字傍点)がどうしても入ってくる。筋道立った創作という作業に行き詰まった蘆花がとった方法論が(それでも蘆花は何かを書きたかった書かずにいられなかった)日記だった――日記だったら、混乱のままに全部を、ものごとの全部を書ける。結局創作はことの一部しか書けない。
 ことの全体を書く、これはものを書く人間の一種の理想ではないか。この欲望と日記に特有の告白衝動がからまり合って、この世にまれな日記を残すことになったと、これは蘆花日記に対する私見である。」


 すべてと言うからには「夫婦喧嘩の詳細からベッドでの喃語」まであけすけに「暴露」する。そしてこの日記の破天荒なところは、妻が夫の日記を偸み読み、あまつさえその日記に書込みすらしていることである。同書より孫引きすると、


 「妻の誕生日を何ぞけがすの甚だしき、やぶいてすてゝもよい此頃の日記ながら、胸底にひそむ清い生命までも亡ぼすにしのびない、暗涙をのんでいかして置く!」


 「!」が怖ろしい。怒髪天を突く、という感じがよく出ていますね。妻の四十一歳(数え年)の誕生日に、妻が入浴している隙に自宅に引き取っていた娘・琴を姦淫しようとして果せなかった、という記述に対する書き込みである。蘆花は妻の日記を偸み読みしていたらしく、また自分の日記が妻に偸み読みされていることも承知していたらしい。書き込みが当時のものか後日のものかはわからないが、この日記が公刊されたのは夫人の尽力によるという。しかも、公刊にさいしての条件が「一切の削除、修正なしということだった」というからじつになんとも興味深いひとたちである。


 鴨下さんと会った二、三日後、古本屋でたまたま『蘆花日記』(筑摩書房)の端本を見つけた。第五巻、大正六年六月一日から十月三十一日の分。五か月でA5判凡そ五百頁だからすごい。安かったので購入した。こういうものは全部揃える必要はなく、一冊読んでみて面白ければ少しずつ買い足せばいいのである。『学海日録』も五冊ぐらいしか持っていない。置き場所もないが、どだい全部読むわけがない。
 さて『蘆花日記』、拾い読みすると、仰せのとおり面白いったらない。大正六(1917)年といえば、明治元年生れの蘆花、齢四十九歳(数え年)。妻とはしょっちゅう「交合」(「裸になり、馬乗りになり、はさまり、mの足をあげ、快々的交合」6月16日)しているのだけれど、ときにこういう会話も交していた。


 「今昔物語にあつた、魔法習ふ者が、火を吹く猪と思ふて抱いたら朽木だつた、と云ふ話を夫婦して讃嘆し、mがクルイローフ[ロシアの寓話詩作家]と云へば、余はもつと哲学的宗教的深みがある、と云ふ。」(6月21日、[ ]内は校注)


 クルイローフと言えば、こんなことも書いている。「あまり気にすれば、気もクルイローフだ。大概にして置け、大抵にして置け」(7月10日)。おやじギャグ、ですか。

 「夕飯の時、玉に諭す。お琴が来るから、行儀を正し、返事を爽やかにせい、お琴も不幸の人だから親切にせい、と」(8月19日、玉は女中、琴は先述の引き取った娘)。舌の根も乾かぬその夜、女囚を陵辱した巡査の噂話をしながら妻と「快々的に交合を遂げ」、こう書きつける。


 「不相変直ぐ慾が燃える。お琴や玉にも警戒を要する。新聞で、山梨県の小学教員が十三になる女生を孕ました記事など見ると、浅猿(あさま)しいより羨ましい感がする。困つた五十男だ。これでは静座でもやつて欲を節する外あるまい。」


 いやはや、困ったひとですねえ。どういう男か、と猛烈に興味がわく。中野好夫は『蘆花徳冨健次郎』(筑摩書房)第一部のあとがきにこう書いている。


 「わたしは、蘆花をもって円満具足、世にいわゆる模範的人格の人物などと考えているわけでは毫もない。それどころか、およそこれほど矛盾、撞着、欠点だらけの人間というのも珍しいであろうとさえ思っている。第一にまずおそるべき我儘人間であった。それでいてまた、これほど正直一徹の人間もまずいないのではないか。おそるべき癇癪持ちで、女好きで、衝動的で、嫉妬深く、まったくといっていいほど抑制ということの利かぬ。そのくせ、他方ではまたひどい弱虫で、偏屈で、たえず劣等感と悔いに苛まれているのである。(略)そうした矛盾と撞着との中にあって、結局六十年の生涯、ひたすら彼が追い求めてきたものは、苦しいまでの真実一路だったのである。」


 長いあいだ積ん読のままになっているこの本にそろそろ手をつける頃合いかもしれない。