インディアン嘘つかない



 インターネットや携帯電話といった新しいメディアはいまでは多くの人の生活に入り込み、だれもがさながら小中学生のようにあたかも生まれる前からあったかのごとく怪しまないが、一般に普及するにつれてその利便さと裏腹の、あるいは表裏一体の問題も急激に表面化しつつあるようだ。「電子メディア特有の問題が次第にあらわになりつつあ」り、「それを示す事件が最近立て続けに起きている」と書くのは山形浩生*1で、アマゾン・キンドル用の電子ブックを購入した人の手元からその本が勝手に消し去られたという。「いったん買った本や雑誌やソフトが、自分の本棚やパソコンから勝手に消し去られるなんて、これまでは物理的にもありえない!」と山形がいうように、その仕組みはわたしには皆目見当がつかない。セロばりの大がかりなマジックによるものにちがいない。すなわち、なにかタネや仕掛けがあって、それを持つ者のみがそのマジックを操ることができるのである。その電子ブックが「一九八四年」であるところが、山形もいうようにこのアネクドートのきもだ。
 さらに山形は、iTunesストアで販売されるiPhone/iPod用の英語辞書が、「わいせつ語が入っている」ことを理由に「改変を要求され、ストアへの出店を拒否された」という。マジすか。猥褻語や差別語を見えなくしても猥褻や差別はなくならない。人はあらたな猥褻語や差別語を発明する。
 山形は酒井法子の「碧いうさぎ」の替え歌がニコニコ動画からいったん削除された事件を取り上げて、「ネットは著作権無視の違法コピーが横行する面ばかり取りざたされることが多い。でもじつはデジタルコンテンツの真の問題は、コントロールができすぎてしまうことなのだ」という。そして「デジタルメディアが紙媒体を置き換えるなら、紙媒体で建前にしても重視されている規範をどう維持するのかも考えるべきだ」という。「建前にしても」が苦渋の表現だが、とりあえずはいまあるものを前提にしなければ空理空論に陥るしかない。その「ヒントになりそうな出来事」として、某脳科学者(山形は実名を挙げている)がウィキペディアにおける自分に関する記述を「かなり我田引水なかたちで大幅に書き直し」たが、項目執筆者たちがそれに「ひるむことなく、ウィキペディアの執筆ルールに基づいて(略)ほぼ従前の記述を復活させて、誠実な対応とメディアとしての中立性を見事に両立させた」という例を挙げている。「それがどこまで公的な権利保護の規制を補完代替できるかとなると、まだまだ考える必要はあるのだが」との留保つきだが。
 ウィキペディアは、記述の誤りを指摘されたり、大学生のレポートで不用意にコピーペーストされる例が多いと指摘されたりして、紙媒体の百科事典に比べると旗色が悪い。だが、わたしは使い方に注意すればそれほど悪いものでないと思うし、批判する人たちに「書物信仰」のようなものがあるような気がしないではない。従来の紙媒体の百科事典にしても項目執筆者は一人の専門家に頼る場合が多いし、その真偽を編集の段階でどの程度チェックできているかについてそう楽観的には考えられまい。いったいに、従来の書物にたいして新進のデジタルメディアを胡散臭く見る傾向は珍しくない。
 たとえば先頃『貘の舌』が復刊された内田魯庵については、ゆまに書房から全十七巻の全集が刊行されているけれども、その編輯校訂の杜撰さは編纂作業に携わった野村喬自らが書いているとおりである*2。また野村によれば、昭和女子大の『近代文学研究叢書』の内田魯庵の年譜には誤りが多く(執筆を担当したのは学生であるという)、筑摩書房『明治文学全集』の『内田魯庵集』が同年譜に追随したという。「なんと、同じ全集の『徳冨蘆花集』で蘆花の筆名の一つとしているものを平気で魯庵の筆名にしているのだから、始末が悪い」。筑摩書房の『明治文学全集』ですらそうであるなら他は推して知るべし。紙に印刷されたものだからと安易に信用しないがいい。
 ところで、野村喬の書いている「事実」は果して信用がおけるのか。山形浩生の書いているアマゾンやアップルやウィキペディアに関する「事実」が本当にあったことだとどうすれば確かめられるのだろうか。グーグルで検索してみる? それとも図書館で過去の新聞を繰ってみる? 新聞は嘘をつかないという命題の真偽はインディアンは嘘をつかないという命題の真偽と径庭はあるのかないのか。電子媒体であろうと紙媒体であろうと、そこに記載されている内容が正しいといったい誰が保証するのか。かりに誰かが保証するとして、その誰かは何を根拠にそうするのか。事実とはなにか。
 ちなみに『貘の舌』について書かれた文として、管見のなかで「憂愁書架」子の以下の文にもっとも感銘を受けた。そこに記載された内容が「事実」であると、わたしとして保証はしないけれども。
 http://saiki.cocolog-nifty.com/shoka/2009/09/post-2b05.html


貘の舌 (ウェッジ文庫)

貘の舌 (ウェッジ文庫)

*1:「ニッポン新潮流」《ニコニコ動画のお粗末》、「Voice」2009年10月号。同号の巻末で、子規全集編纂に尽力した「柴田宵曲の辛苦」を顕彰した加藤郁乎の文について、谷沢永一が短文を認めている。編輯作業というものはいつの時代もこうした黒衣の無私の尽力に支えられているのである。

*2:内田魯庵傳』リブロポート、1994年