わたしのなかのカフカへ


 ふしぎなものだな、と思う。前回、前々回とカフカについて書いたら、わたしのなかでカフカがかふかに、じゃなかった、かすかに動きだした。まるでアニメートされたゴーレムのように。
 ひところ、カフカに凝っていた。新潮社版の邦訳全集旧版と新版、それにカフカに関する評論などを目につくかぎり蒐めていた。マックス・ブロートの伝記(これも旧版と新版)、ヤノーホの『カフカとの対話』、マルト・ロベールの『カフカ』『カフカのように孤独に』『古きものと新しきもの』、ブランショ、カルージュ、バタイユクンデラベンヤミンアドルノ、ヴァルザー、バイスナー、ヴァーゲンバッハ、それに日本の研究者、作家によるものも。それらのあるものはわたしにカフカに関する知識を少なからず与えてくれたし、あるものはカフカについてのわたしの考えをめざましく更新してくれた。その結果、カフカがすこし身近に感じられるようになった気がした。むろん錯覚にすぎないだろうが。
 わたしにとって、カフカはつねに謎であった。寓意的な(だが何の?)作品も、ひとりの作家としても。城のようにその周囲を堂々めぐりして、いっこうに核心に辿り着けない存在としてカフカはあった。そしていまもありつづけている。そういう作家はカフカだけだ。
 たとえばナボコフに謎は存在しない。それはナボコフの作品を十全に理解できるという意味ではない。読むたびに新たな発見のある小説家であるけれども、作品にも存在としての作家にも不可解さはない。ジョイスにせよボルヘスにせよ、それはおなじだ。


 「ザムザのめざめ――ふあんなゆめからさめると、ひっくりかえったがいちゅうが、おきあがろうと、もがいている。ちらつくたくさんのあし。まどにあたるあまだれ。ならないめざましどけい。たたくおと、とんとん。グレゴール、グレゴール、よぶこえ。こたえにならないぴいぴい。
 ゆめからさめるのではない。ゆめのなかにめざめるのでもない。ゆめがめざめるのだ。」
                   ――高橋悠治カフカ/夜の時間』*1


 夢からさめるのでなく、胡蝶之夢のように夢が反転するのでもなく、夢がめざめるとはどういうことか。グレーゴルが不安な夢からめざめたとき夢もまた同時にめざめ、不安な夢が世界を蔽う。これを存在論的不安と呼べば実存主義的解釈にかたむくことになろうか。グレーゴルの不安、カフカの不安がいかなるものであったかの詮索は研究者にまかせておけばいい。読者は自身の不安をこの寓話に読み込んで共感するだけだ。
 『カフカ/夜の時間』は、カフカの研究書ではない。カフカについての批評の本ではない。「〜について」の本であることから能うかぎり身を躱し、高橋悠治は対象を生きようとする。カフカを生きる、とは、しかし、どういうことか。
 かれは病室のベッドでカフカを繙く。邦訳に満足できなくなり、原文と訳文とを照らし合わせると、「訳者は文章の意味を解釈しながら日本語に写そうとしているらしいことがわかる」。むろん、文章を解釈することが翻訳のイロハであることをかれが知らないはずはない。おそらく翻訳を読んで、これはカフカではない、とかれは思ったのだろう。これは、翻訳者のカフカである、と。


 「カフカは自分が書くことをKritzelnと称していた。ひっかくこと。文字通り紙をペンでひっかくこと。このことば自体、もう文字通りにうけとる以外にない。これを「書きなぐる」と訳せば、日本語に写しながら、もとはなかった意味をつけたすことになる。」(『カフカ/夜の時間』)


 ひっかくこと、は、カフカが世界に向き合うときの所作、身ぶりなのだろう。世界をひっかくカフカ。Kritzelnはドイツ語の辞書によれば、「小さく読みにくい字で書く、いたずら書き、なぐり書きをする」とある。日本語でも、書くは掻くと同源である。


 「streckenという単語を書きつけながら、小動物がのびをするのをおもいうかべ、同時に書き手の筋肉のすみずみにいきわたる緊張を意識する。
 文章を解釈する訳文は、書く行為を、手を通さない論理と経験の操作に変えている。そこには発見はない。光の消えた後のかたちだけの再現しかない。」(『カフカ/夜の時間』)


 高橋悠治は病室の窓から、夜明けのビルの群れを眺める。ビルの白が輝きを増し、「光が白い反射からあたたかい色に変わり、やがて、影になっている町も光のなかに浮かびあがる」さまを眺める。「この変化を感じるには、じっとながめているより、目をそらして、時々ふりかえる方がいい」。それが「発見」だとかれはいいたいのだろう。光の消えた後のかたちではなく、カフカが紙をペンでひっかくプロセス(=「訴訟」/「審判」)を翻訳すること。しかし、そんなことが可能だろうか。


 「センテンスではなく、単語の内部にはいりこむこと。たとえや慣用語としての単語の表面をすべりぬけてフレーズから状況をよみとろうとするのではなく、単語を抽象としてうけとるのでもなく、むしろ単語の起源にさかのぼり、その構成要素それぞれを、音色とリズムをもった具体的な運動としてとらえ、それらの組み合わせを文字通りにうけとること。」(『カフカ/夜の時間』)


 ヴァルター・ベンヤミンは「翻訳者の使命」*2というエッセイでこう書いている。「翻訳は、言語運動の自由のなかで忠実の法則に従いながらその最も固有の軌道をたどるために、束の間、意味という無限に小さな点において原作に接触するにすぎない」と。そして、ルードルフ・パンヴィッツのことばを「翻訳の理論に関しておそらくドイツで公表された最良のもの」であると引用する。


 「翻訳者の原則的な誤謬は、自国語を外国語によって激しく揺さぶるかわりに、自国語の偶然的状態をあくまで保持しようとするところにある。翻訳者は、とりわけはるか縁遠い言語から翻訳する場合には、語と像と音がひとつに結びつく言語そのものの究極の要素(エレメント)にまで遡らなければならない。」(パンヴィッツ『ヨーロッパ文化の危機』)


 パンヴィッツのいう「言語そのものの究極の要素(エレメント)にまで遡」るとは、高橋悠治のいう「単語の起源にさかのぼり、その構成要素それぞれを、音色とリズムをもった具体的な運動としてとらえ、それらの組み合わせを文字通りにうけとること」と同義であるといって大過はないだろう。
 ブロート編集版に基づいて、従来「ある戦いの記録」と題されていた二つの対話(「祈るひととの対話」「酔っぱらいとの対話」)からなる小品がある。白水社の「カフカ小説全集」では、批判版に基づいて解体され、それぞれ独立した小篇として収録されている。この「酔っぱらいとの対話」の末尾に酔いどれ男の独白がある。


 「それはつまりだ――つまりおれは眠い、だからおれは寝に行こうと思う。――つまりヴェンツェル広場に義弟がいるのだ――おれはそこへ行く、なんとなれば彼はそこに住んでいるからだ、なんとなればそこにおれのベッドがあるからだ。(以下略)」(円子修平訳、「決定版カフカ全集」)


 酔っぱらいらしいクダクダしい独白だが、平野嘉彦の『プラハの世紀末――カフカと言葉のアルチザンたち』*3によれば、「執拗に反復される「つまり(namlich)」。この語根(nam-)には、数多くの「名前(Name)」の契機がある」という(aにウムラウト、ä)。この小篇に頻出するプラハの街の地名は、「読者に、プラハの街衢をそのまま統一された世界として感知させるようには作用しない」。すなわち、固有名が同定されえない世界の不安(著者はそういう言い方はしていないが)を「つまり」の反復が寓意しているということだろう。単語の起源に遡ることによって見えてくることもある。むろんそれもまたひとつの解釈にすぎないけれども(詳しくは同著に当たられたい)。
 そして、パンヴィッツのいう「自国語を外国語によって激しく揺さぶる」こととは、前回書いたような、canonとしての「美しい文体」に過不足なく「写す」ことの対極にある所作である。とりわけカフカのような作家においては、かれの用いている言語の特殊性に注意を払わなければならない。クンデラは、カフカの語彙の簡潔さはかれの審美的な意志を表現したものであると述べたが、それだけにとどまらず、当時のプラハで使われていたことばがカフカの文体にどのように作用したかも見ておく必要があろう。
 カフカの使用していたことばは当時のプラハの「言語状況」に染まっていた、とクラウス・ヴァーゲンバッハは指摘している*4。「チェコ人の地方住民にかこまれて、ボヘミアの内部に住んでいるドイツ人」が口にするプラハ・ドイツ語はチェコ語の影響をつよく受け、その発音のみならず、前置詞の誤った使用、再帰代名詞の拡大使用、定冠詞の脱落、そして語彙の貧困、といった特徴をもっていた。若きカフカは、そうした「生まれ育った環境の言語の不毛」を克服しようとする一方、同時に、当時のプラハの作家たちの大げさで装飾的な比喩の過剰な文章(一時はカフカもそれに染まっていた)からも身を離して、プラハ・ドイツ語を独自に鍛え上げようと試みた。ヴァーゲンバッハはハインツ・ポリツァーの次のような指摘を引用している。


 「その実質からすればカフカの言葉は豊かではなかった。抑揚と慣用句の使いかたの点で、いや語の選定においても、文法上のくせにおいてさえも、ここで支配しているのはあのプラハ・ドイツ語だ。隣り合うスラブ語やチェコ語によって、またプラハユダヤ・ドイツ語によって、たっぷりと色づけされた言葉だ。そしてまさにこの独特な色づけこそ、カフカの物語のイロニーを、地方色をすべてとり除いた高みにまで高めることに決定的に役立っているものなのだ。彼は、完全に純粋には使いこなせなかった材料から、ひとつの純粋な、完璧に統御された、彼だけにしかない独自な文体を作り上げたのである。」


 ヴァーゲンバッハは、コンマの打ち方や一字一句にまでこだわるカフカの「細密徹底ぶり」を伝えている。そうしたカフカの鏤骨の文章は、高橋悠治のいうように「もう文字通りにうけとる以外にない」。アドルノも「カフカおぼえ書き」でこう書いている。「すべてを文字どおりに受け取ること、何ものも上からの概念によっておおわないことである」と。「カフカの持つ権威とはテクストの権威なのだ。あらかじめ方向づけられた理解なんぞではなく、文字への忠実だけが、いつか役に立ってくれるだろう」*5


 翻訳臭のない翻訳、まるで最初から日本語で書かれたような文章、それがいい翻訳だとされている。だれもが自明とするそうしたかんがえを激しく揺さぶること。canonとしての「美しい文体」など「自国語の偶然的状態」にすぎない。紙をペンでひっかきながら手さぐりで作り上げたテクストをそうした出来合いの規範に写して事足れりとするのは、パンヴィッツのいうように「翻訳者の誤謬」というべきだろう。
 語と像と音がひとつに結びつくラングのさらに起源に遡ってその音とリズムに耳をかたむけ、理解できない異邦のことばに耳をすますこどものようにそれを文字通りまるごと受け止めること。それはほとんど野生の思考といっていい。
 「目標はある。道がない。道と名づけられるのは、ためらいだ」とカフカはいう。「この『ためらい』だが」と高橋悠治は書く。「これが方法であるとすれば(たしかに方法ということばの起源meta+hodosにもどれば、道についてくねくねまがる線を方法と定義することはできるだろう)あらかじめたてられた目標にたどりつくための最短距離どころか、どこかにたどりつくこと自体がありえないことなので、たえず創造しつづける(それも意志にしたがって)、ということだけが方法である保証であり、くねくねまがる道の上にあるかぎり、光をめざさなくとも、光の方がついてくるだろう」。
 ためらいつつくねくねとまがる線をひっかくカフカのあとを追って、くねくねまがる道を読者もおぼつかない足取りでたどってゆく。そうすれば、あるいは、カフカを生きることができるかもしれない。むろんそれが錯覚にすぎないとしても、それ以外にカフカを読む方法=methodはないように思われる。

*1:晶文社

*2:ベンヤミン・コレクション2』所収、内村博信訳、ちくま学芸文庫

*3:岩波書店

*4:『若き日のカフカ中野孝次、高辻知義訳、ちくま学芸文庫

*5:『プリズメン』所収、渡辺祐邦、三原弟平訳、ちくま学芸文庫