物の見えたる――素白雑感



 昨年暮れから正月にかけて故あってずっと岩本素白の随筆に親しんでいた。年明けには新たなアンソロジー『素湯のような話』もちくま文庫から出た。
 早川茉莉編になる『素湯のような話』は総頁数440に及ぶ文庫にしては大冊で、『東海道品川宿』(ウェッジ文庫)のおよそ倍の分量である。あれも入れたいこれも入れようとするうちに頁数が増えてしまったのではないかと想像した。テーマ別編集というのか、素白雑貨、素白好み、読我書屋、孤杖飄然…といった表題のついた七章に、単行本未収録の小説「消えた火」が附載されている。
 「素湯のような話」は「南駅余情」の序として歌誌「槻の木」に掲載され、その後「南駅余情」は断続的に連載された(4回、中に「板橋夜話」1、2を含む)。『東海道品川宿』ではその全5回分がまとめて収録されているが、『素湯のような話』では序章および1と3とが別々の章に振り分けられている。
 『素湯のような話』には先行のアンソロジー『素白先生の散歩』(みすず書房)や『東海道品川宿』やと重なる随筆も多いが、「畢生の名篇」、「東海道品川宿」の連作から一篇も採られていないのは先行者への敬意のあらわれか(それは平凡社ライブラリー版『素白随筆遺珠・学芸文集』にもいえることだが)。
 今回の『素湯のような話』では「第六章 滋味放浪」で、「靴の音」と「まぼろし」とが並べて収載されている点に目を瞠った。「靴の音」は昭和36年、「まぼろし」は昭和22年に発表された随筆だが、いずれも戦後まもなくの疎開先信州での情景を描いたものである。そしていずれの作品においても末尾に、月明かりのもと、人通りの絶えた往来を重い足取りで歩く靴音が印象深く書きとめられている。「まぼろし」では「重そうな大きな包を背負った壮丁が二人」だが、十数年後に書かれた「靴の音」では「一人の男」となっている。「靴の音」からその末尾を掲げる。


 「夜は更けて月は愈よ青く冴えて居た。一物の影も無い広い道を、一人の男が重そうな荷物を肩にして、靴音高く大地を踏みしめて行くのである。私はすぐそれが終戦になったために故郷に帰って行く兵である事に気がついた。ぐっと胸がしめられるような感じで、再び下の通りを見おろした。死から生へ、それに繋がる幾人かの親しい人々、一緒に故郷を離れながら永久に帰り得ぬ人々、こんな事を一度に思って居るうち、月の道を行く人は段々遠ざかり、小さくなり、足音も聞えなくなってしまった。然しその晩遅くまで眠りを為し得なかった私の耳は、いつまでも重い靴の音を聞いて居た」


 その出来事はよほど印象深く素白の脳裏に刻まれたのだろう。「まぼろし」では比較的あっさりと描いた靴の音を後年書き直してみたくなったのかもしれない。二人を一人としたのは、若い頃小説に志した素白らしい虚構であろう。
 この二篇の関連については、平澤一がつとに指摘しており、平澤はさらに素白にその兵を詠んだ歌のあることをも附記している*1


 月高く静けき町を物背負ひ勝たで帰りし兵士ら通る  (九月二日夜、信濃詠草より)


 この平澤の指摘については、来月河出書房新社より刊行される評伝『岩本素白』で来嶋靖生さんが詳述していられる。素白に関心のある方は是非読まれたい。
 その『岩本素白』の編集に携わられた藤田三男さんとこの話をしていたときのこと。藤田さんはこう仰った。
 「結城信一の「鎮魂曲」という小説の末尾に軍隊の行進する音が出てくるだろう。兵士じゃなくて戦車の音だが。結城さんは岩本先生の教え子で卒業後も交流があったから当然その随筆は目にしているはずだ。影響を受けたとしてもおかしくはない」
 わたしは呆気にとられた。「鎮魂曲」はまさに素白のいう「死から生へ、それに繋がる幾人かの親しい人々、永久に帰り得ぬ人々」への鎮魂の小説ではないか。素白の随筆と結城信一の小説とが目の前で細い一本の糸で繋げられる批評の手妻に言葉もなかった。わたしはふと芭蕉のことばを思い浮かべた。


 ――物の見えたる光、いまだ心に消えざる中にいひとむべし


 道のりは遠く嶮しいが、そしてまた残された時間はあまりにも少ないが、今後よりいっそうの精進をしなければならない。

*1:『人と本』アルマス・バイオコスモス研究所、1999