追悼大西巨人――書評二束


 大西巨人が亡くなった。3月12日、享年97。高齢なのでいつかはこの日がくると思っていたが、現実になってみるとやはり寂しい思いを否めない。
 13日の朝刊で逝去を知り、手元にある『遼遠 1986〜1996』(みすず書房)を鞄に入れて家を出た。大西巨人の文章を拾い読みしていると、すでに幾度も読んだ文章ながら読むたびにあらたな感興をおぼえるのに感銘する。
 もう10年以上も前のことになるけれども、当時インターネット書店bk1のサイトに書評を寄稿していた。2年間に100本ほど書いたのだから、わたしのもっとも勤勉であった時期である。大西巨人の本についても書いた。ひとつは『二十一世紀前夜祭』、もうひとつは『精神の氷点』の書評である。bk1のサイトはもうないが、それを引き継いだ《hontoネットストア》に書評の大半は継続されて掲載されている。それらはいまでも読むことができるけれども、追悼の意をこめてここにも掲げておきたい。


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  「ゲルマン風のユーモア」と「ディテールにあくまでこだわる偏執的な目」
     ――『二十一世紀前夜祭』


 大西巨人先生の新著を書評するに際し、大西先生の旧著への書評の引用から始めるというのは芸のない話にちがいあるまい。いったいに、ある本を評するにあたって、他者の手になる書評を自説補強・他者依存的に引用するのは、他人の褌で相撲を取るという俚諺に等しい軟弱な精神の発露でなければならない。
 ――といった下手な文体模写はこのへんでやめるけれど、でもやっぱり、ある書評から話を始めてみたい。  
 件の書評とは、大西先生の第一批評集『戦争と性と革命』(三省堂・1969年刊)へのもので、筆者は五木寛之先生。「図書新聞」1970年1月17日号に掲載。のちに五木先生の著書『五木寛之の本』(KKベストセラーズ・70年刊)に収録せられ、五木寛之作品集第24巻(文藝春秋・74年刊)に再録せられた。
 五木先生は、大西先生の文章の特長を「ゲルマン風のユーモア」――「フランス風のウィットでもなければ、アングロサクソン風のユーモアでもない」――「いかめしいユーモア」であるとし、以下のように書いている。


 「たとえば、<経産婦か否かの触覚による確認は常に可能か>といった文章を読んで、そこに展開される、性交直後の女性が人間的反省を全く失うという安易な描写に対する仮借のない批判を目の前にするとき、おそらくは、批判されている当の作家でさえも思わず苦笑せずにはいられないだろうという気がするのだ。」
 「大西巨人の姿勢は、たとえば夫婦間の配偶者臨時交換ペッティングについて考察するときも、同性愛または一穴主義について言及するときも、またハンセン氏病問題に関する報告にも、全く同じように生真面目であり、ディテールにあくまでこだわる偏執的な目を持続しつづけている。」


 五木先生のこの指摘に、ぼくは全面的に同感するし、その後30年「大西巨人の姿勢」は一貫して変わることがない。ぼくが30年に亙って大西先生の作物を愛読しているのも、この「ゲルマン風のユーモア」と「ディテールにあくまでこだわる偏執的な目」ゆえにである。(私事を記せば、30年に及ぶオッカケは五木先生のこの書評が契機だった。だから敢えて引用した次第。ぼくもいつかそんな書評を書いてみたいと思う。)
 さて、与えられたスペースは粗方使い果たしてしまったので急いで本書の紹介を――。
 最新短篇小説集である本書には、1980年から2000年に至る20年余の作品が収録せられている。著者の分身である大津太郎もの7篇は『巨人の未来風考察』(朝日新聞社・87年刊)所収のものの再録(一部改稿)。「ある生年奇聞」は長篇小説『三位一体の神話』(光文社・92年刊)に「年齢奇譚」として(固有名詞を変更して)組み込まれたもの。「現代百鬼夜行の図」は加藤典洋先生の『敗戦後論』(講談社・97年刊)批判として(加藤先生からの「反論」もあって)文芸ジャーナリズムで些かの(?)話題になったもの。  
 そして「血気」は、80歳の「僕」が16、7の少女に「おじさん」と呼ばれ「おじさん―オジン―年寄り」と連想し、ショックを受けるという400字程度の掌篇。これが「老いてますますさかん」では、小説家真田修冊の作物としてまるまる引用せられている。このあたりのフィクションの構造について書いてみたかったが、スペースが尽きた。
 蛇足ながら、本文章で「先生」の敬称を用いたのは、大西先生の「批評家諸先生の隠微な劣等感」(『戦争と性と革命』/『大西巨人文選2 途上』みすず書房・96年刊)に倣ったもので、他意はない。一度やってみたかったんです。
 最後に、大西先生の一層の健筆を庶幾する。    (bk1 2000.09.21)


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 上記書評文は大西巨人の本になじみのうすい(にちがいない)インターネット読者向けに戯文ふうの文体を採用したのだろう。書評に書いたように、わたしがはじめて大西巨人の文章にふれたのは『戦争と性と革命』*1だった。このbrilliantな批評をおおいに気に入ったわたしは当然のごとく『神聖喜劇』に手をのばすことになったのだが、これには心底参ってしまった。
 当時(1971〜2年頃だったか)刊行されていた光文社カッパノベルス版『神聖喜劇』4冊をたちまち読み終えてしまったわたしは続きを読みたくてたまらなくなり、大学の図書館で「新日本文学」のバックナンバーを借覧したのだが、連載とは言い条飛び飛びの掲載で、しかも1回分が2〜3ページ程度という「ウルトラ・スローモー」(大西巨人)にあきれ返った。大西巨人の新日文退会後、発表の舞台を「社会評論」などに移して連載は継続せられたが、そのスローモーぶりにはいささかもかわりがなかった。おそらく最後は書き下ろしとなったのだろう、『神聖喜劇』全8部が完結するのは5巻の単行本が刊行される1980年まで待たねばならない*2。およそ四半世紀をかけての完成だった。
 『神聖喜劇』は物語として第一等の面白さをそなえているが、それと同時に、書物のガイドブックとしても興味が尽きない。わたしはこの本から多くのことを教わった。田能村竹田を読んだのもそのひとつ。
 さて、もう一本の書評も掲げておこう。


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   半世紀ぶりに姿を現した幻の処女作
     ――『精神の氷点』


 処女作には作家のすべてが表れている、とは巷間よく言われるが、大西巨人の処女作『精神の氷点』には、大作『神聖喜劇』を経て最新作『二十一世紀前夜祭』にいたる作家の特長が明瞭に看取される。それもたんなる萌芽でなく、ほとんど完成の域に達した形で窺われることに、私は驚きを禁じえない。日本文学史上、これは稀有のことではあるまいか。  
 本書は、1949年に改造社から刊行された『精神の氷点』に「字句修整加筆」を施して再刊されたものである。改造社版に併載されていた短篇『白日の序曲』は、(四十余枚の加筆を施されて)のちに長篇『地獄変相奏鳴曲』の〈第一楽章〉となった。  
 「作家の特長」とは、第一にきわめて明晰かつ論理的な文章を指す。これは大西巨人の小説・批評文をともども貫く大きな特長である。たとえば、「論理性と律動性と」(大西巨人文選2『途上』、みすず書房)と題された文章で、大西巨人は、大岡昇平の『俘虜記』および『野火』の文章の一節を掲出して、「作者大岡の明晰にして論理的な認識ならびに表現」を指摘し、「私もそういう方向(不明確な物、論理的ならざる物を極力排除する方向)において文章を書くことに努力するべきである」と記している。大岡の「表現」ならびに大西の「努力」のいかなるものであるかは、如上の文にあたられたい。  
 主人公水村宏紀が、敗戦によって地方都市へ復員してきた場面から、小説『精神の氷点』は始まる。水村は出征前に関係のあった「おんな」と再会する。おんなは水村に怨嗟の声を投げかける。


 「あなたは、むかしと変わらないのね。」「あなたには、愛情なんか、なかった。あなたに入り用なのは、あたしの躰だけなのよ。」


 そうして、水村の「むかし」――出征前――へと遡行し、水村の奇怪な行動を物語は浮き彫りにしてゆく。  
 おんなは幼い子をもつ人妻であり、水村は奸計を弄し、おんなを籠絡したのだが、そればかりか、下宿先の人妻、そこに寄宿する農家の娘、家庭教師として教える少年の姉、とも多かれ少なかれ奸計を弄して水村は関係をもつ。姦通ばかりか平然と窃盗もし、あまつさえ、行きずりの男を惨殺しもする……
 いわば一種のドンファン小説ないしはピカレスク小説の結構を借りつつ展開するこの小説と、凡百のジャンル小説とを截然と分かつのは、水村の抱懐する観念によってである、とひとまずは言わねばならない。ドストエフスキーの『罪と罰』が犯罪小説ないしは探偵小説と近接しつつ、劃然とそれらと分かたれるのとあたかも呼応するかのように。  
 「水村の抱懐する観念」とは何か。ここではその具体に立ち入らない(それこそが、作者大西巨人が、この一書を賭けて問おうとしたものにほかならない)。替わりにひとつの文章を引いておきたい。  
 水村のもとへ人目を忍んで会いに来たおんなの姿の、「――その一瞬の美しさを、水村は、人間生活における官能的なものの優勢の表象のようにも半ば忌ま忌ましく眺めた。」この「半ば忌ま忌ましく」という連用修飾語を、水村の観念におけるアンチノミー(二律背反)的在り方をみごとに表現した一例として私は嘆称した。
 本書は私にとって(且つは多くの読者にとっても)幻の書であった。長年の望みが叶い読むことができて「こいつは春から縁起がいい」。願わくは、1960〜61年に「記録芸術の会」の機関誌『現代芸術』に連載された『天路歴程』も刊行してほしいけれど、これは隴を得て蜀を望むの類か――。  
 このたびも私は著者大西巨人氏の一層の健筆を庶幾する。
                        (bk1 2001.01.29)


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 短篇「白日の序曲」は、長篇『地獄変相奏鳴曲』の〈第一楽章〉となったのち、当初の構想のごとく『地獄篇三部作』(2007年、光文社刊)の第二部に「無限地獄」として組み入れられた。また、「天路歴程」は改稿をほどこして『天路の奈落』としてすでに刊行されていたが、雑誌掲載のいわば「原型」と読み比べると大西巨人の小説観を知るうえで裨益するところ大にちがいない。
 この書評は大西巨人氏の目に留まり、大西さんが喜んでいられた由、旧知の担当編集者からの来簡で知った。望外の喜びだった。


神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

*1:この三省堂ブックスというシリーズには、ほかに小沢信男『小説昭和十一年』や小林勝『チョッパリ』といった小説も含まれていた。あの受験参考書の版元が、と疑問に思っていたが、小沢信男さんにうかがうと編集部に新日文に関係する方がいらしたとのこと。

*2:単行本は引越しにさいして手放した。版がかわるたびに「若干の修訂」が行われているため、再読するには最新の光文社文庫版がよいと思ったからだ。ついこの間出たような気がしていたが、もう10年以上になる。但し、光文社文庫版には難点がある。時がたつとノドが割れて頁がバラバラになることだ。そろそろ買い替えなければならない。