高祖保よ、君をしのぶよ



 某月某日。高祖保の詩集『雪』を古書展で入手する。うれしい。
 昭和十七年、自家版として文藝汎論社から百五十部限定で発行された。高祖保の第三詩集にあたる。
 『雪』より、一篇、引こう。


       「みづうみ」

           ほととぎす啼や湖水のささ濁り  丈艸
 

 私は湖をながめてゐた
 湖からあげる微風に靠(もた)れて 湖(うみ)鳥が一羽
 岸へと波を手繰りよせてゐるのを ながめてゐ
  た
 澄んだ湖の表情がさつと曇つた
 湖のうへ おどけた驟雨(スコール)がたたずまひをしてゐ
  る
 そのなかで どこかで 湖鳥が啼いた


 私はいく夜(よ)さも睡れずにゐた
 書きつぶし書きつぶしした紙きれは
 微風の媒介(つて)で ひとつひとつ湖にたべさせてい
  つた
 湖 いな


 貪婪な天の食指を追ひたてて
 そして結句 手にのこつたものはなんにもない
 白けた肉軆の一部
 それから うすく疲れた回教経典(コオラン)の一帙


 刻刻に曉がふくらんでくる
 湖どりが啼き
 窓の外に湖がある
 窓のうちに卓子(テーブル)がある
 卓子のめぐり 白い思考の紙くづが堆く死んで
  ゐる
 ひと夜さの空しいにんげんの足掻きが のたう
  つてそこに死んでゐる!
 この夥しい思考の屍を葬らう
 窓を展いて 澄んだ湖のなかへと


 三行目の行末、「ながめてゐ」で終わり、次の行に「た」となっているのは、版面が一行二十一字詰のため折り返されたもの。また、一頁は十行組みで、その後に八行分ぐらいの余白がある。個人誌「CABIN」10号(2008年3月31日、中尾務発行)で、扉野良人が高祖保について書いている。


 「古い暦本のように横長い判形をした『雪』は、タイトルとあいまってシンプルな、余計な装飾がいっさいない造本、装幀をしている。それだけに高祖保の「愛情と熱意の激しさ」をこの詩集は隠しもっているのだろう。横綴じに造られた本は、ページを開いた中央のノドに活字版面を寄せて組むと、横広なぶん本文の左右には大きな余白が生れる。だから『雪』を開くと、余白のなかに詩がポツンと配され、ゆったりと組まれた活字ひとつひとつに目がゆきとどく。地に降りつもった新雪を踏んで歩いた足跡が際だつ具合にである。」


 「愛情と熱意の激しさ」は、その直前に引用された岩佐東一郎の「高祖保を憶ふ」にある言葉。第五詩集の『独楽』の校正で、高祖保は五校六校まで取り、しかも天眼鏡で調べて欠けのある活字は取り替えさせたという。校了寸前に応召して、この第五詩集は結局未刊に終わったが、さいわい後述する思潮社版、岩谷書店版の『高祖保詩集』のいずれにも全篇が収録されている。扉野良人が書いているように、『雪』の誤植の字の上には、正しい字を印字した小さな紙片が貼られてい、ここでも高祖保の詩集にかける「愛情と熱意の激しさ」を窺うことができる。
 「高祖保の詩集を持って彦根を訪れた」という一文ではじまる扉野良人の「湖の手帖(カイエ)」は、この比較的知られることの寡い抒情詩人への愛情にみちた好エッセイである。表題は高祖保の詩集『禽のゐる五分間写生』の一篇「湖のcahierから」に因む。


 思潮社版現代詩文庫の第二期近代詩人篇に『高祖保詩集』がある。四つの詩集(そのうち『雪』をふくむ二つの詩集は全篇)と未刊詩篇、日本の象徴派詩人を論じた詩論などの散文、先述した岩佐東一郎の「高祖保を憶ふ」や木俣修の「高祖保の想ひ出」(高祖保は短歌も詠んでいた)、堀口大學の追悼詩(これは岩谷書店版の『高祖保詩集』の序詩)、そして「みづうみ」の最終行のごとく高祖保の詩に頻出する「澄む」という言葉をめぐってかれの詩を論じた荒川洋治の懇切な解説などをおさめたこの小さな本は、高祖保の詩業のほぼ全貌をしめしているといって過言ではあるまい。錚錚たる詩人たちが名を列ねるこのシリーズに高祖保がひっそりと加わっているさまは、ありうべくもない僥倖のように思われもするけれど、しかしそれでもなお高祖保の詩は――、詩集『雪』は、昭和十七年発行の文藝汎論社版で読まねばならぬ、と思う。
 やわらかな手ざわりの和紙のワイドスクリーンに活版の文字がくっきりと印字され、扉野良人が書いているように、左右にとられた大きな余白が詩をひときわ際立たせている。そしてグラシンペーパーでくるまれたその横長の詩集がごつごつと粗い肌目の粕入り漉き込み和紙の貼函におさまった姿の清楚なことといったら!
 『雪』を入手して、『雪』以外の詩もオリジナルの姿で見たくなったが、七十部限定の椎の木社版第一詩集『希臘十字』や近江の詩人井上多喜三郎私刊の第二詩集『禽のゐる五分間写生』(これは百部限定)は入手できる見込みはまずない。第四詩集の『夜のひきあけ』は入手可能だが高価なので、とりあえず岩谷書店版の『高祖保詩集』を古書店に注文する。
 高祖保は昭和二十年一月八日、ビルマ野戦病院で戦病死を遂げた。享年三十五。高祖保の没後、友人の岩佐東一郎の編んだ撰詩集が岩谷書店版『高祖保詩集』。昭和二十二年発行。扉の題字を堀口大學が書いている。序詩に掲げられた堀口大學の追悼詩「天童哀悼」(四篇)より、第一篇「雪」を掲出する。


     「雪」

 高祖保よ、君を悲しむ、
 左様ならとも言はないで
 ビルマに消えた『雪』の詩人よ。
 悲しい戦さの受難者よ。


 高祖保よ、君をしのぶよ、
 お行儀のよい来訪者、
 礼儀正しい通信者、
 待たれる人よ、待たれる便りよ、


 僕の孤独の慰安者よ、
 追悼文の予定の筆者よ、
 この番狂はせは、むごくはないか、
 天へ昇つた天童よ!


 ああ、呼ぶけれど答へぬ者、
 天へ帰つた詩の雪よ、
 高祖保よ、きこえるか、
 とぎれとぎれの僕の声が?


 「高祖保は日本語を知つてゐる。現代―― 一九四〇年代の戦争期に於て、正しく日本語を知り、自由にこれを駆使し得た詩人は寥々たるものだつた。高祖保は、日本語を知つて、而かも抜群であつた」と友人のひとり城左門はこの詩集の「覚書」にしるしている。


 亀鳴屋の『高祖保書簡集 井上多喜三郎宛』も初夏には刊行されるだろう。『念ふ鳥 評伝高祖保』の続刊も予告されている。たのしみなことだ。