シバザクラ、あるいは江藤淳の錯誤


 二か月ほど前、江藤淳が「山川方夫と私」において、山川の死後、彼をモデルにした小説を発表し彼を無能の編集者として揶揄したYという流行作家の卑劣さを告発している、と書いた(id:qfwfq:20080127)。それにたいするコメントで、その小説は「シバザクラ」であるとの御教示を得、さっそく「シバザクラ」を読んでみた。「シバザクラ」は山口瞳の短篇集『マジメ人間』に収録されている(角川文庫)。ざっと粗筋をたどると――


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 小説は「私」の一人称の語りで、私が妻と息子と甥とをつれて散歩に出かける場面から始まる。私はある家の生垣の下に咲いている花に目をとめる。雑草にちかい草で桜のような花をつけるシバザクラで、以前は好んでいたがいまはそうではない。植木屋で椿と木蓮とを買い、妻がシバザクラを指してこれも買わないのと尋ねると、私はいらないと拒絶する。トンカツ屋に入っても私はシバザクラのことを考えつづけている。「薄紫に桃色に燃えたっていた」庭一面のシバザクラを。
 このプロローグにつづいて、PR誌の編集をしていた頃の回想になる。フランスの小説の翻訳を依頼したのがきっかけで、私は西藤元彦という若くて有望な小説家と知り合う。五年後、管理職となった私は雑誌編集の後継者を西藤に頼もうと思う。西藤の学校の先輩である文藝評論家に意見を質すと、面倒を見てやってくれ、ただし営業部かなんかで鍛えてくれ、そうすればいい小説を書くようになる、といわれる。
 私は西藤に会う。西藤は気乗りのしない様子で、一週間後、三つの条件を出してくる。勤務は週に一度、午後の二時間だけ、編集長としての責任は取らないこと、給料は手取りで五、六万、ほかに編集機密費に十万、というものだった。私は週に五十時間はたらき、給料は三万である。PR誌といえども週に二時間でとうてい片づく仕事ではない。私は彼の言い草に呆れるが、結局、自宅でも校正などの仕事をすること、嘱託料と機密費それぞれ五万ということで承諾する。彼はよほど金に困っているのだろう、と私は思う。
 西藤がたてた雑誌の企画は、執筆者の大半が自分の同人誌の仲間や知人、同じ出身校の人たちで占められていた。私はこれでは困ると思い、強くそういうが、西藤にはその意味がわからない。翌週、彼は作り直した企画を提出して、私が意外に思うほど率直に詫びた。西藤は熱心に仕事をした。週に二度出社することもあった。一緒に酒を飲み、仕事以外のことなら何時間でも話した。いい奴だと私は思う。
 三か月後、私は機密費の精算をするように西藤にいう。私の名で請求した仮払金十万円の精算を経理から求められていた。西藤は驚く。機密費は自分の自由に使える金だと思っていたのだ。半月後、彼は、同僚との食事代、喫茶店代、タクシー代、料亭や酒場の飲食費、はては文房具まで、領収書のあるものないもの、ぎっしりと細目を書きこんだレポート用紙を持ってくる。私はそれを見てもう駄目だと思う。それはとうてい会社の経理を通るような代物ではない。だが、西藤にはその精算書のどこが悪いのかわからない。私はそのレポート用紙を西藤の目の前で細かく引き裂いた。
 その三か月後、私は西藤を解任する。仕事を辞めてからかえって私と西藤は親密なつきあいになった。そして私は、西藤が山で遭難死を遂げたことを知る。翌月、私は会社に残していた西藤の荷物を返しがてら西藤の家を訪れる。とてつもなく大きな家の広大な荒れ果てた庭に、燃えたつようにシバザクラが咲いていた。
 場面はトンカツ屋に戻る。生垣のシバザクラを見て以来、一年ものあいだ私はずっと西藤のことを考えつづけていた。妻にシバザクラを買わないかと聞かれたとき、私はこう思っていたのだ。「俺は、シバザクラは買わないぞ。絶対に買わないぞ。俺の二十年間のサラリーマン生活に賭けても、絶対にシバザクラは家の庭に植えないぞ。……」


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 さて、この小説について江藤淳は「彼の死後「洋酒天国」時代の山川方夫を揶揄するような小説があらわれた」と書く。すこし長くなるが、それにつづく文を引用しよう。


 ≪その小説の作者は、「洋酒天国」編集部で山川の上司だったYという流行作家である。その小説によれば、山川をモデルにしたことが歴然としている主人公は、およそサラリーマンとしての常識を欠き、母校出身者に偏した執筆者ばかりに書かせ、編集費のつかいかたがルーズな半人前の編集者に描かれている。小説の形式をとっている以上、この人物が実際の山川といかに違うかというようなことを述べ立てるのは野暮の骨頂であろう。しかし外見の似た人物に全く似つかわしくない属性をあたえて揶揄する、というモデル小説特有の手法は、この場合いかにも不公正であると思われた。しかも山川は少なくとも私には、生前一度もYの悪口をいったことがなかった。私はこのやりかたに汚いものを感じないわけにはいかなかった。≫


 大西巨人は戦後間もなく書かれた評論「作中人物にたいする名誉毀損罪は成立しない」*1においてこう書いている。「作家と作中人物とを混同または同一視しないことが、批評の第一原則とせられる」。批評家江藤淳もさすがに「この人物が実際の山川といかに違うかというようなことを述べ立てるのは野暮の骨頂であろう」と一応は批評の原則を諾いつつ、その舌の根も乾かぬうちに西藤元彦と山川方夫とを混同または同一視して論を進める。山川から来た書翰を援用しつつ、「Yは山川が無能だったという印象を抱いたのかも知れないが、山川はおそらく漠然とYにいじめられていると感じ、しかも自分がいじめられていることを認めるのをいさぎよしとしなかったのであろう」と書く。


 ≪その証拠に、彼は一度も私への手紙でYを非難しようとしなかった。だからこそ私は、山川の死後Yがモデル小説で山川を揶揄したときショックを受けたのである。善意をもって対している人間に、悪意をもって報いる人間がいてもいたしかたない。しかし死後その人間への悪意を公表する必要は少しもない。死者に対する礼を失しているとはいわない。死者を公然と批判できる者は、生前彼を公然と批判し得た者に限られるべきである。≫


 悪意というなら、「Yという流行作家」と書く江藤の筆致にはあきらかに山口瞳にたいする悪意が感じられる。ともあれ江藤のいうように、「死者を公然と批判」することが「シバザクラ」という小説を発表することに相当するというならば、「生前彼を公然と批判」することとは、山川方夫の生存中に山口瞳はその小説を発表すべきであったといいたいのだろうか。かりに江藤淳のいうように西藤元彦と山川方夫とを同一視し、事実と小説とを混同するならば、山口瞳山川方夫に対して生前上司として直接「批判」しているのであり、それをなおあえて公器に発表する必要がはたしてあるだろうか。そしてなによりも、「シバザクラ」という小説は、わたしの読むところでは、西藤元彦という小説家への「私」の悪意は毫も感ぜられず、むしろ彼への「私」の哀悼の思いが強くつたわってくる作品なのである。


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 大西巨人は先に掲げた一文のすこしあとで、つぎのように記している。


 ≪作家と作品とは、きっと別個独立の存在でなければならず、また前者と後者とは、とどのつまり別個独立の存在でしかあり得ぬ。しかも(それにもかかわらず)、作家と作品とは、質において本来的に直結するものであり、作品から、作家の人間的・文芸的責任が、本源的に問われるのである。≫


 この命題の要諦は「しかも(それにもかかわらず)」という接続詞にある。たしかに「シバザクラ」に登場する西藤元彦は山川方夫をモデルとした人物であろう。大西巨人の言い方を借りれば、「作中人物」たる「私」は作家自身を原形とせる「私」であろう。しかし、山口瞳という作家ないし「シバザクラ」という作品そのものが、「その種の「混同・同一視」を読者(批評家)に基本的に要請して」いるわけではない。読者(批評家)は、その種の「混同・同一視」をすることなく、「シバザクラ」という作品を独立の存在として享受することができる。
 そして、それにもかかわらず、「作品から、作家の人間的・文芸的責任が、本源的に問われる」とするならば、それはいかなる点においてであろうか。大西巨人は、「作中人物にたいする名誉毀損罪は成立しない」に(質的に)つづく評論「文芸における「私怨」」*2においてこう論じる。


 ≪(略)作家は、そういう「私怨」が作意または主題であるような作品の創造現場には、とても推参することができないはずであり、あるいは必ず推参してはならないはずである。その対象・客体がどんな人事または自然であろうとも、それにたいする自己「私怨(憤怒、憎悪、不満、悲嘆、軽蔑など)」の普遍性(三字傍点)を作家が確信(二字傍点)することの上にこそ、文芸(作品)は、成立し得るのではないか。もしも作家が自己「私怨」の普遍性を確信することなくして制作の現場に立ち入ったならば、彼は、作品を書き上げることができないか、または半端な代物を書き上げるか、のどちらかであろう。本来そんな行ないは、作家の為すべからざることである。≫


 すなわち、作家の「人間的・文芸的責任」とはそうした「半端な代物を書き上げ」たときに問われるのでなければならない。山口瞳の場合はどうだろうか。


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 この小説を見る江藤淳の眼はくもっている。瞋恚によってか。否、山川を喪くした「癒しがたい喪失感」によってである。くもった眼が見落とした、あるいは故意に見ようとしない細部がこの小説にはいくつもある。たとえば次のような個所である。
 西藤が機密費の詳細を書いたレポート用紙をもってくる場面。


 ≪私は精算書を見て、西藤が仕事をつづけることに絶望したのである。私の人選は誤っていた。もう話しあいの余地はないと思った。彼と私とでは決定的に何かが違っていた。共同で仕事をするわけにはいかない。しかし、また、不思議なことに私は彼に奇妙な親近感を感じた。私と彼とではどこかが違う。しかし、どこかが非常によく似ているのである。それは仕事の相棒としての彼を見捨てたことによって生じた親近感かもしれないが。≫


 同じ場面。西藤は精算書のどこがわるいのか理解できない。


 ≪「どこがいけないんだよ、これ」
 「どこがって、たとえば……」
 言っても仕方のないことだった。言うまいと思っていたのだが。それを言うことはなぜか私のなかの恥の部分を摘出することのようにも思われたのだ。
 「理由をきかせてくれなきゃ困るじゃないか、ぼくだって。子供じゃないんだから」
 「あなたにはわからないかもしれない。だけど、サラリーマンってのはこんなふうじゃないんだよ」≫


説明しているうちに「私」の目に涙があふれてくる。


 ≪私はいつか、自分が西藤の立場に置かれたことがあるよう気がしてきた。それをうまく思いだせなかった。私もずっと世間知らずだった。いまだってそうだろう。しかし、西藤との間にはそういう種類の溝があいている。こっちには勤め人の厳しさみたいなものが、いつのまにか身についている。西藤にそれを期待するのは無理なことがわかったし、そのことを指摘すべき間柄ではない。≫


 「私」はいまでは「溝」のこちら側にいる。だが、かつては西藤と同じく「溝」のあちら側にいた人間である。いま、こちら側=世間にいるからといって、それがあちら側よりえらいというわけではない。それはたんにシステムが異なるだけの話だ。こちら側にいる人間がこちら側のルールを、あちら側にいる人間に得々と説教するなどということは恥ずべき振る舞いだ。だが、こちら側にいる限りはこちら側のルールに従ってもらわなければ困るのである。「私」にある感覚とはそういうことだろう。
 西藤が辞めたのち、最後に小さな酒場で会ったときのささやかなエピソードが語られる。西藤はパーティの帰りで、気がつくと荷物が取り違えられていた。会場のホテルに取って返し、自分の荷物と交換して帰って来た西藤は「儲かっちゃったなあ」と喜んでいる。菓子折をお詫びにもらったからだ。「私」は「馬鹿だねえ、お前さんは」と呆れる。向こうのミスでタクシー代を払ってわざわざ取り替えに行って喜ぶ奴があるか。そういうと、西藤はしょげてしまう。


 ≪見覚えのある懐かしいような蒼い顔になった。そのときも、西藤のなかに私に似ている何かを発見したように思った。
 「だって儲かったんだもん……」
 「そうじゃないよ、困った奴だな」
 二人とも、少しの間だまっていた。
 「まるで、いつかの時みたいだね」
 そう言って西藤は弱々しく笑った。私も笑った。急に西藤が身近なものに感ぜられた。≫


 いつかの時。むろん、精算書を前に向き合っていたときのことだ。あのときも、そしていまもまた、二人は「溝」をへだてて向き合っているのである。
 「私」が翻訳を依頼するために最初に西藤に出会ったとき、「私」はこう思っていた。「私はどういうものか若い小説家の面倒をみてやりたいという考えを抱きつづけていた。(略)同人雑誌や文芸雑誌にたまに小説を発表していても西藤の生活は苦しいだろうと思っていた」。だが、西藤が勤めるにあたって法外な条件を提示したのは、なにも「家計が切迫している」ためではなかった。西藤の訃報を聞いた夜、「私」は彼の家をはじめて訪れる。おそろしく大きな家で、「門から玄関までの曲りくねった道は公園の遊歩道のように見えた」。


 ≪そのときも私は、彼と私の間にある溝のようなものを発見したように思った。彼の家が立派だったからではなく、彼がそのことを一度もほのめかしたりしなかったということに、私は何かを見たように思ったのである。≫


 荒れはてた庭に燃えたつように咲くシバザクラは、その「何か」の象徴である。だから、「私」は自分の家の庭にシバザクラをけして植えはしない。そうすることは「俺の二十年間のサラリーマン生活」を否定することにほかならないからだ。それは江藤淳がいうような「Yの「サラリーマン」処世法心得」だとか「Yの処世の美学」だとかというようなものとは無縁の、ひとりの人間の、こういってよければ実存に関わる問題にほかならない。
 この小説からこうした細部を取り除けば、「シバザクラ」は「半端な代物」と堕しかねない。だがこの「シバザクラ」という作品は、いままで見てきたように西藤元彦という「世間知らず」の小説家を揶揄した小説などではなく、その「素直で無垢」なところをもつ愛すべき小説家を哀悼し、同時に西藤という鏡によってreflect(反射/反省)した「私」を描いた小説であるというべきだろう。
 ともあれ、江藤淳という傑出した批評家の眼をくもらせるほどに、山川方夫の死は江藤にはかりしれない打撃を与えたかのようである。

*1:大西巨人文選 1』みすず書房所収。

*2:同上