「あなあな」と「ちんちん」――方法をめぐって


 今週の朝日新聞に掲載された斎藤美奈子の文藝時評は、久々にレトリシャン・ミナコらしい才気の窺える文章だった(8月27日朝刊)。時節柄、新人文学賞北京五輪に見立て、国内予選の通過者すなわち「群像」に発表された五人の新進作家たちの小説を寸評する。


 <それにしてもこのタイトルはどうなのか。「教師BIN☆BIN★竿物語」「ちへど吐くあなあな」「ちんちんかもかも」って何? だれも意見しなかったのか。それともだれかが意見したからこうなったのか。>


 五篇を「妄想炸裂系」だとか「ほのぼの日常系」だとか「日常の中に潜む狂気(凶器)系」だとか分類したのち、<相対的にましなのは「あなあな」と「ちんちん」かなとも思ったが、こう略しながら、再びタイトルに萎える>と斎藤は“くすぐり”を入れる。「萎える」はむろん「あなあな」と「ちんちん」の縁語である。つづけて「すばる」の予選通過者たちの作品四篇をざっと通覧したのち、<作者のみなさまは、こんな風に類型化されるのを好まないだろうし、他と比べられるのも心外だろう。しかし(略)頭ひとつ抜けるには類型化を拒む力がいる>として、<圧倒的に類型化を拒んでいる>青木淳悟と<人物像と物語の力で読ませる楊逸>の作品を称揚し、


 <楊逸芥川賞を受賞したばかりの、いわば金メダリストだった。/芥川賞がメダルなのかという議論はあるにせよ、観客席はいつもスターを待っている。文芸誌の外にいる読者も巻き込むテクとパワーを見せてほしい。>


と着地する。文学がオリンピックなのかという議論はあるにせよ、今回の時評の技術点は高い。
 スポーツはともあれ文藝で「いつもスターを待っている」のは出版社とジャーナリズムのみであるのは自明で、それゆえに斎藤も「文芸誌の外にいる読者」とわざわざ但書を入れているのだけれども、一見決まったかに見える着地のポーズが新聞の見出しに掲げられている「類型化を拒む力を見せて」であってみれば、こう書き写しながら、そのあられもないクリシェに萎える。批評の背丈も取り上げる作品の出来栄えに相応するのであらうか。


 では、かつての時評はどうだったかと手近にある柄谷行人の『反文学論』をひもといてみる。たまたま手近にあったというだけで、平野謙江藤淳や、あるいは石川淳蓮實重彦やの時評であってもいっこうに差し支えないのだけれども、柄谷がこの本に収められた文藝時評を書いていたのは村上龍がデビューした70年代後半、ちょうどわたしが文藝ジャーナリズムの末端ではたらいていた頃で、読み返してみると当時の状況があれこれと脳裡に甦ってきてうろたえる。記憶とは思いだしたくないことと思いだせないことの総称にほかならない。
 柄谷はその時評の第一回「方法をめぐって」で、大江健三郎の「ピンチランナー調書」に中上健次の「枯木灘」を対置して、大江の強い影響下に文学的出発を始めた中上が悪戦苦闘のすえに到達した<「枯木灘」には、もはやその影響の痕跡すらなく、且つ無言の痛烈な批判となっている>と書く。


 <中上氏にとって、郷里の世界は『万延元年のフットボール』のようなアイデンティティの場所ではなく、またそういう自意識を猛然と拒絶するところにのみみえてくるようなものだ。この作品の直接的ななまなましい風景は、媒介性を通した眼によってつかまれている。「枯木灘」は、大江氏のように人類学者の便利な一般概念を外から導入しただけの旧態依然たる作品(「ピンチランナー調書」を指す――引用者)ではなく、いわば人類学的対象そのものである。>


 柄谷のいう「媒介性を通した眼」とはなにか。この文章のすこし前に<大江氏が長年月固執している原爆の問題>を取り上げたくだりがある。原爆が「恐るべき“もの”」であるのは確かだが、<それは“もの”として恐ろしいのではなく、意識しようとしまいとそれが媒介的に意味するわれわれの生の条件が恐ろしいのである>と柄谷は書く。


 <ところが、大江氏にとっては、原爆という“もの”が直接性として恐ろしいのだ。マルクスは、商品が関係を媒介しているがゆえに価値であるのに、商品そのものに価値があると考えることを、「商品のフェティシズム」とよんだが、私は大江氏の場合を「原爆フェティシズム」とよぶ。>


すぐそのあとで、「媒介性」を見ないで「“もの”に対する恐怖としてまっすぐに感受してしまう」大江の「能力」を、「他の進歩的作家にはない」として柄谷は評価しているのだけれども。それはさておき、ここで柄谷が書いている『資本論』の価値形態論を敷衍すれば、ある商品はそれ自体では価値を表すことができず、別の商品との関係においてのみ自らの価値を表現することができるということである。貨幣とはその等価形態の表れにほかならないが、貨幣を見てもある商品が別の商品の価値を映す鏡になっているという関係は見えてこない。
 柄谷のいう「媒介性を通した眼」とはおそらくそうした関係を露わにするものの謂ではあるまいか。


 <古井由吉はかつて大江氏のような都市インテリの自意識をカッコに入れて、いわば中性的な“私”の意識をくぐって、共同主観的な構造――言語学・神話学・人類学的な――にいたろうとした。「内向の世代」の画期性はそこにあったが、それはあくまでも「私」の意識にとどまっている。中上氏はおそらくより内向的な作家として徹底し、あたかも“私”そのものが破壊されたかのような逆説的相貌をもってあらわれたのである。>


 古井由吉が媒介としたのは「中性的な“私”の意識」であったが、中上にあってはさらに「“私”そのものが破壊されたかのような」“私”の意識を媒介としている、といいたいのだろう。事の当否を論う準備はいまのわたしにないが、そうしたものを通さなければ見えてこないものがあるということはわからないではない。


 <私が漠然と予感するのは、どんなに素材や方法がことなっても、中上健次が踏みこみつつあるパラダイムをどこかで共有するほかに、「新しさ」や「若さ」などありはしないということである。>


 柄谷が時評の最後にこう書いてから三十年がたった。文藝誌に連載されていた「枯木灘」とその作品のもつ意味を解読した時評と。「私は進歩など信じない」といった誰かの言葉が脳裏に浮ぶ。さしあたって「あなあな」や「ちんちん」に附き合う余裕をわたしは持たないが、それらが都市インテリかどうかはともあれ「自意識」を疑うどころかそれにもたれかかった作物でないことを祈るばかりである。