読みやすさとわかりにくさ――山城むつみ 『連続する問題』を読む(その1)



 山城むつみ『連続する問題』*1を読む。「新潮」に2002年から2008年にかけて断続的に連載されたコラムに補論を加えて単行本となった。あとがきに、単行本化の申し出をいったん断ったが編集者の熱心な慫慂に「心が動かされた」としるされている。わたしはこれらのコラムをこの本ではじめて読んだ。書籍にならなければ知ることもなかったかもしれない。こうして一本にまとめられたことを有難く思った。
 タイトルの「連続する問題」は中野重治の同題のコラムを踏襲している。中野は1972年より「通信方位」に短い時評文を執筆していたが、そのなかに「在日朝鮮人と全国水平社の人びと――いささか昔のこと――」という標題の「続きもの」がある。十二回でいったん終り、数回のちに「連続する問題」という標題のコラムが書かれた。そこであつかわれたのは「日本共産党の動きに関することがら」であるが、それは「いささか昔のこと」と連続していることが示唆される。山城は「8 朝鮮人虐殺八十年」でこう書いている。


 《そこで中野が扱おうとしていた問題は、彼にとって、この続きものを書く以前にも以後にもずっと連続していたものだった。中野には、一文のタイトルを超えた広い意味で「連続する問題」があったのだ。彼はそれを日本国憲法公布の詔勅終戦詔勅ポツダム宣言、日韓議定書と、近現代史を遡って考えていたのである。
 二〇〇二年九月の日朝首脳会談以降の、とりわけ拉致問題をめぐって生じた諸問題を背景に、「連続する問題」をめぐる中野の一連の時評文を読めば、四半世紀前のこれらの文章が奇妙にアクチュアルなのに驚かされる。中野の時評文が現在の問題を照らし出しているというだけではない。現在の諸問題が中野重治という文学者をあらためて照らし出しているようにも感じる。》


 山城は中野の問題意識を継承するかたちで「4 『歴史の事実』と拉致問題――謝罪をめぐって」以降、「連続する問題」を書き継いでゆく。それらを読んでさまざまに触発された思考の一端についてここに書きとめてみたい。


 そのまえに、中野自身の「連続する問題」についてふれておきたい。中野重治全集第十五巻は「連続する問題」と題されている。ここには1962年から75年にかけて足掛け十四年にわたる中野のエッセイ、評論、コラムが収められており、「通信方位」に掲載された短い時評文をふくめ、全九十五篇中八十二篇が単行本未収録の文章である。中野は巻末の「著者うしろ書」に「おそすぎた目ざめ」と題して次のように書いている。いささか長くなるけれども、いかにも中野らしい文章なので冒頭の十行ほどを掲げておく。


 《この巻には「連続する問題」と名がつけられた。編纂実務の人たちがえらんでくれたのである。私は感謝する。ありがたくこれを頂戴する。「連続する問題」という文章があるのではある。それはうしろの方に出てくる。それがこの一巻の名としてつけられて、読みかえしてみて全くありがたく思うと同時に、私は、「おそすぎた目ざめ」といつた言葉にあたるかも知れぬようなものを自分のなかに感じた気のしたのを告白する。「春の目ざめ」ではない。夏のでさえない。秋のか。そんなものがあろうとも思わぬが、耳も目もうとくなつた今となつて、こうして並べられてみて、いかにも自分がおそすぎて目ざめたこと、それでもとにかく目がさめたこと、目がさめはしたが、さめ方そのものにおいて老いぼれかけているらしいこと、それでも、さめることは確かにさめたらしいのを感じてうれしく思つている。目ざめそのものに弱りの来ているらしいこと、そんなことにかれこれ言つていられる分際ではなかろうとも思い、弱りを内包しつつということになるかも知れぬにしても、やはり精進、勉強ということが頭に出てきてそこを歩いて行きたいと思つている。》*2


 こう書いたとき中野は75歳だった。死の二年前の「精進、勉強」ということばに打たれる*3
 さて、山城むつみの『連続する問題』を、わたしは「手当たり次第、好きな所から(略)読んで頂いて大いに結構だ」というまえがきのことばにしたがって、行きつ戻りつして読んだ。
 「24 改行の可・不可」は、わたしが以前ここでふれたカフカの新訳について書かれたものだ*4(山城はここでも中野重治の翻訳に対する「姿勢」に言及しつつ論を進めている)。翻訳における原典にない改行について、山城は丘沢静也の忠実な翻訳(「ピリオド奏法」)を「得がたい姿勢だ」とうべないつつ、一つの問題点を提起している。
 

 《カフカの手稿に改行が少なくフレーズの繰り返しが多いのは、声の痕跡を多分にとどめているからではないか。口頭で長い話をするときには改行という概念などない。話された言葉は発せられた尻から消えてゆくので重要なフレーズは適宜、繰り返されなければならない。口頭発語のそういう身体的痕跡がカフカの手稿には多分に残っているのではないか。》


 カフカは作品を出版する際に大きな活字で印刷するように指定した。「何らかの視覚的処置」をカフカが念頭に置いていたとするなら、手稿が仮に印刷されたとしてもそのとおりに活字にされたとは限らない。「してみると、手稿どおりそのまま機械的に活字化することがカフカに忠実だということにはならない」。そこで、カフカにたいする「裏切りという賭けによってテクストと切り結」ぶという立場もあるのではないか、というのがここでの論旨である(マックス・ブロートによる遺稿の出版も「裏切り」だった)。
 「熟慮の上で賭けてなされた裏切りならば」という留保をつけてのうえであるが、これは一理あるといっていい。たしかにカフカは自作の朗読を頻繁に行なっていたし、手稿は印刷されたもの(確定稿)とは別物である。翻訳者が、かくあるべしと「熟慮の上で」手稿に変更をおよぼすことは、一般読者向けの翻訳であるならありうべき態度であるといえよう。
 問題をすこし整理してみよう。
 丘沢静也は「史的批判版」を底本にして翻訳をした。史的批判版はカフカの手稿の写真版とその翻刻からなるもので、研究者にとってなくてはならぬものである。それを底本にして日本の一般読者のために翻訳を文庫版で刊行しようとするとき、かりに改行が少ないテクストが読みにくいとするなら、その読みにくさに忠実であらねばならないか、という問題である。
 山城は中野重治の『斎藤茂吉ノート』の一節を引用する。中野は茂吉の特徴を「そのわかりやすさ、その明瞭、それによるその力強さにある」としたうえで、「明皙、力感、それの総体がそのなかにわかりにくいものを蔵している」と書く。その批評は、そのまま中野自身の特徴、わたしの考える中野の特徴に一致する。中野もまた限りなく明晰・論理的であろうとしたがゆえに、その核に「わかりにくいものを蔵して」いた。そしてその「わかりにくさ」がすなわち中野の文章の魅力の核心でもあるように思えるのである。
 山城もまた「努めてわかりやすく書こうとした結果として達せられたそのわかりやすさそのものが蔵する「わかりにくいもの」がある」といい、ドストエフスキーにもその「わかりにくいもの」があって「この「わかりにくいもの」の肌合いに僕はドストエフスキーという人間を感じる」という。
 しかし『カラマーゾフの兄弟』の新訳(亀山郁夫訳)を読むと、「わかりにくいもの」を通りすぎてしまったような感じがした、それは原文にない改行のせいであると山城はいう。


 《ドストエフスキーが自分の中にある「わかりにくいもの」を最もわかりやすく最も明晰に伝えようとした結果が、もとの改行によるもっと息の長いパラグラフになったのだとしたら、それを「読みやす」さのために頻繁に改行することは、かえってそれをわかりにくくすることにはならないか。ドストエフスキーの文体が、その明晰さにおいて蔵している「わかりにくいもの」を通りすぎさせることが「読みやす」さなのだとしたら、「読みやすく」なったとは、つまるところ、わかりにくくなったということなのではないか。》


 ドストエフスキーはさておき、いささか乱暴にいえば、わたしにとって読みやすい中野重治中野重治ではない。そもそも中野は奇をてらって難解に書くような文筆家ではない。努めて明晰たらんとした結果、「それの総体がそのなかにわかりにくいものを蔵している」のである。わたしはその「わかりにくいもの」を、著者から手渡された「わかりにくいもの」としてそのまま受け取る。そして「わかりにくいもの」を介してわたしは著者と対話をする。本を読むとは、畢竟、著者との(それは生身の著者でなく、その本の著述者である)対話にほかならないと考えるからである。経験則からあえていうならば、「わかりにくいもの」を蔵していない本など読むに値しないのである。(この項つづく)

連続する問題

連続する問題

連続する問題 (中野重治全集)

連続する問題 (中野重治全集)

*1:幻戯書房、2013年4月11日刊

*2:「連続する問題」と名づけた編纂実務の人とは松下裕である。松下裕『増訂 評伝中野重治』、平凡社ライブラリー

*3:中野は胆嚢癌に倒れたが、耳や目だけでなく、「内臓もみなぼろぼろになるまで使い切った」と松下裕は書いている(同上)。

*4:id:qfwfq:20070909