詩歌の青春――神変忌に



 塚本邦雄の本をあれこれと繙いていたらこんな一節が目にとまり、思わず苦笑させられた。ある講演で日本語の乱れを慨嘆したくだりでのこと。


 「夏目漱石の現代語訳が出ているという時代です。百年先の二十二世紀になったら、現代語訳の夏目漱石も、漢字まじりなのでわからないという時代が来ているかもしれません。国民の九十%くらいがカナ文字タイプライターを持って、通信その他すべての記録をカナ文字タイプライターでやる。あるいはコンピューターのプログラムに入らない言葉や文字は全部はじきだされて、特殊な、流通に便利な言葉だけが許されるようになっているかもしれません。文部省が命令しなくても、わからないから使わないという状態になって行って、たとえば、私が作った短歌が百年先に残っていたとしても、エジプト人象形文字を読むような努力を払わなければ読めなくなっているのではないかと思います。」*1


 昭和五十二年(1977)八月、高知で行われた夏期大学講座での講演を収録したものである。ちょうど三十年前、ワードプロセッサの専用機が普及する少し前、携帯電話など思いもよらぬ頃である。カナ文字タイプライターをパーソナルコンピュータに替えれば塚本の予言はほぼ的中したことになる。だが塚本ならずともちょっと気の利いた者ならこの程度の未来予測は口にしただろう。これをもって先見の明を称えられても泉下の塚本はそれこそ苦笑するしかあるまい。むしろ塚本が百年先と予測した未来がその三分の一たらずの歳月で現実になってしまったことに慄然とすべきである。たとえば、


 針魚の膓(わた)ほのかににがしつひにしてわれに窈窕たる少女(をとめ)なき
 蘇枋散りたまれるにはたづみまたぎつつさむしこの友いつより敵
                                (第十三歌集『歌人』)


といった歌など、いまの殆どの大学生にとって象形文字と選ぶところはあるまい。窈窕(ようちょう)にせよ潦(にわたずみ)にせよ、むろん三十年前にすでに古語であったが、こうした言葉を知らなければ耻じる心持ちだけは未だ持ち合わせていた。易きにつくのはひとり某一流料亭のみならず三十年来のこの国の風潮である。大宅壮一が「一億総白痴化」を慨嘆したのはそれよりさらに二十年前のことである。昭和は遠くなりにけり、の感が深い。
 と、思わず沁みじみとしてしまったのは病を得て余生に思いを致したからかもしれない。「古郷へ廻る六部」のたぐいというべきか。ともあれ、塚本邦雄の本をあれこれと繙読したのは、前回、田中冬二にかこつけてレスプリ・ヌーボーは塚本の短歌にも影響を与えたと書きつけて、さて、塚本自身は「詩と詩論」や新詩精神運動についてどう論じていたかと気になったからである。ひととおり調べてみたが、正面切って論じた評論は見当らなかった。何かのついでのようにちょっと触れた程度が散見されるのみで、たとえばこれもそのひとつ。


 「昭和十年代、あのシュールレアリスムの詩、華麗で軽やかで、ある意味では無内容な、日本超現実主義の流行した後で〜(略)」


 これは昭和五十一年九〜十一月、名古屋で行われた連続講座での発言で*2、「オリジナリティのなさ、それが日本のモダニズムの作品の一番の欠点」であるとしつつ、いっぽうで安西冬衛西脇順三郎山村暮鳥、それに伊東静雄の詩を称揚している。エコールよりも作家、作家よりも作品こそが大事であり、暮鳥にしても全作品中「囈語」ただ一篇、静雄なら「わがひとに與ふる哀歌」一篇を採り、あとは捨てて顧みないと常々公言していた塚本に*3、玉石混淆甚だしいレスプリ・ヌーボーをまるごと肯定するなど思いもよるまい。影響を云々するならば、反面教師としてその限界をいかに超えるかにこそ関心があったにちがいない。
 こうした昭和初期の詩の変革運動が現在どのように評価されているのかは知らないが、大正末期の北園克衛らによる「G・G・P・G」あたりから北川冬彦尾形亀之助らによる短詩運動をも射程に入れたモダニズム詩と短歌・俳句(あるいは美術をも含めた)との係わりを、個々の作家・作品に添いながら跡づける綜合的な共同研究が求められよう。詩のみなら中野嘉一による『前衛詩運動史の研究』という浩瀚な労作があるけれども、他ジャンルをも含めるならその数倍の分量を要し、個人ではとうていカバーしきれまい。一例を挙げるなら、前田夕暮の「詩歌」で自由律短歌に手を染めた板倉鞆音竹中郁らの詩誌「羅針」にも寄稿していたことは、板倉の自由律短歌と短詩との関連を示唆しているようにも思えるし(板倉の自由律短歌は以前、一首のみ採録したことがある(id:qfwfq:20060703))、また板倉の訳したリンゲルナッツの詩は村野四郎に影響を及ぼし(『体操詩集』)、ノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義)の日本的受容に貢献しもしているのである。
 こうしたダダ、シュルレアリスムサンボリスムといった西欧の芸術を貪欲に摂取しようとした試行をいま振り返るとき、詩歌の青春という言葉を思い浮べずにはいられない。「華麗で軽やかで、ある意味では無内容」だけれども、活気だけはふんだんにあった時代。思い返すと顔の赧らむような愚行も数多くあったけれども、それなくして現在はありえない。むろん未来もまたそういった時代の上に築かれるのである。


 六月の真昼
 の街では


 ぼくの夢
 さえ乾いている

       ――北園克衛


 今日は塚本邦雄の命日、神変忌である。

*1:「よみ人知らす」、『詩歌星霜』花曜社、1982

*2:「日本詩歌論」、同上。

*3:「詩人は絶対値に近い一篇の傑作の為に死んでもよいのだ」、思潮社現代詩文庫版『塚本邦雄歌集』所収の吉岡實詩集評、2007