老人の顔にきざまれた皺のように――内堀弘『古本の時間』を読む

『石神井書林日録』から十余年、内堀弘さんのエッセイ・コラム集『古本の時間』が出た。カバーには平野甲賀さんの書き文字のタイトルと犀のロゴマーク。かつての晶文社らしい新刊だ。 『石神井書林日録』については、かつてbk1というサイトに書評を書いた…

安吾の「真珠」――金井美恵子『エッセイ・コレクション1』と『目白雑録5』を読む

たとえ惰性であるにせよ*1金井美恵子の本は小説であれエッセイであれ新刊が出たら取りあえず買って読むことにしているのだからこのたび刊行された『金井美恵子エッセイ・コレクション1 夜になっても遊びつづけろ』に収録されている文章はすべてたぶん一度は…

「Woman」第8話の映像に呆然とした

すごいすごい。今晩(21日 22:00〜)放送されたTVドラマ「Woman」第8話。近年これほど充実した映像を見た記憶はない。後半、最後の10分ほどに呆然とした。 評判のドラマなのでご覧になっている方も多いだろう。ストーリーは書かない。梗概はWikipediaなり日…

もうひとつの眼球譚――藤野可織「爪と目」を読む

爪を噛むくせがある。還暦を疾うに過ぎた男が爪を噛むのはみっともない。わかってはいるが、「雀百まで」でいっこうに直らない。いつだったかもう中年をすぎた頃だったと思うが、電車の中で無意識に爪を噛んでいて隣に座っていたおじさんに注意をされたこと…

1938年の小林秀雄――山城むつみの連続する問題

図書館で月遅れの雑誌を借りる。「新潮」4月号。〈没後30年特集 2013年の小林秀雄〉のなかの一篇、山城むつみの「蘇州の空白から――小林秀雄の『戦後』」(長篇論考180枚)を読む。これも前回の「連続する問題」につらなっている。 「いつか時間を作って、小…

プーシキンは翻訳できないか――山城むつみ『連続する問題』を読む(その3)

どこの出版社だったか覚えていないが外国文学の簡約版シリーズというのがむかし出ていて、中学か高校の頃スタンダールの『赤と黒』をそれで読んだ記憶がある。いまでいうなら鈴木道彦の編訳で集英社文庫から出ている抄訳版『失われた時を求めて』のようなも…

悔い改めよ、ハーレクィン!――山城むつみ『連続する問題』を読む(その2)

今回は前回につづいて「改行の可・不可」の提起する問題についてもうすこし書くつもりだったが、そのまえにどうしても書いておきたいことがあり、「緊急順不同」(中野重治)で急ぎしるしておく。これも『連続する問題』に触発された思考の一つである。 最近…

読みやすさとわかりにくさ――山城むつみ 『連続する問題』を読む(その1)

山城むつみ『連続する問題』*1を読む。「新潮」に2002年から2008年にかけて断続的に連載されたコラムに補論を加えて単行本となった。あとがきに、単行本化の申し出をいったん断ったが編集者の熱心な慫慂に「心が動かされた」としるされている。わたしはこれ…

生存の耐えがたい重さに――レオパルディ、カルヴィーノ、そしてあるいは世界文学

マリオ・ジャコメッリといえば、雪のなかで神学生たちが輪になって踊っている写真が有名で、白と黒のハイコントラストの「無垢の歌」(ブレイク)ともいうべきこのシリーズ「私にはこの顔を撫でてくれる手がない」は、このたび開催されたジャコメッリ写真展…

胸の砥石に研ぐ――小柳素子歌集『水あかり』を読む

最近読んで感銘を受けた歌集について書いてみたい。小柳素子の第五歌集『水あかり』。 「槻の木」の師、来嶋靖生の跋文に曰く「この人は背筋正しい文語脈の歌を詠もうと心がけているかに見える。いまこの世代でこれだけ文語の語法を自らのものとし、使いこな…

田端雑感――矢部登「田端抄 其肆」を読む

矢部登を知る人ぞ知る文筆家と呼べば失礼にあたるかもしれない。結城信一の(市井の)研究者として著名であり、結城に関心をもつ人で矢部登の名を知らない人はいないだろう。リトルプレスからとはいえ著書も少なくない。わたしも数冊を架蔵しているが、面識…

往事渺茫都似夢

Céoriさん―― 梅本くんが死んじゃいましたね。 山口昌男や大島渚は天寿を全うしたといえますが、同世代や年下の知人の死は痛ましいものです。 身につまされます。 かれとは20代の終わりのころ、わたしが編集にたずさわっていた映画雑誌の評論賞にかれが応募…

小津安二郎の諧謔

大島渚が亡くなった。大島さんには30年前、『戦場のメリークリスマス』の公開にさいして本を2冊つくったときに聊かの面識を得た。記憶にのこる出来事などもあるけれど、今回はちょっと別のことについて書いておきたい。 今月21日の朝日新聞朝刊に篠田正浩、…

小鳥の不屈の歌――エミリ・ディキンソンの詩を読む

予約していたKindleFireが暮れに届いた。さっそくエミリ・ディキンソンの詩集をダウンロードする。Poems by Emily Dickinson, Three Series, Complete 、パブリックドメインの無料版である。洋書――とりわけこういった大部の書物――はかさばるし、近頃辞書の小…

Memorandum

某月某日 ――1947年の夏、ひとりの無名の若者がNYからヒッチハイクでマサチューセッツに住む劇作家テネシー・ウィリアムズの家に向かった。若者はウィリアムズ家に着くと、うちじゅうの電気や水道の故障を手際よく修繕したのち、おもむろにリビングでコワルス…

新しい文学、新しい政治

頃日、文体について書き継ぐためにあれこれと本を読み漁っているのだが、いささかというより相当大きなテーマなのでなかなか先が見えてこない。というわけで今回はちょっと別のことについて書いてみたい。 過日(11月18日)朝日新聞一面トップに日本維新の会…

文体について(その3)――丸谷才一「批評家としての谷崎松子」

前々回、「文体について(その1)」と題した文章を掲載するまでに、ひと月あまり間があいた。更新が滞ったのは、その間、ちょっと気の張る原稿を書いていたためだった。気の張るというのは、柄にもなく日本の古典文学をテーマにした原稿だったことにくわえ、…

文体について(その2)――片岡義男『日本語と英語』を読む(2)

片岡義男は、ハワイのマウイ島生れの日系二世の父親と滋賀県に生れた日本人の母親のもとで、幼児期からバイリンガルで育った。英語と日本語をほぼひとしく話したが、《子供の僕の核心に、より深く届いていたほうがドミナントだったと考えるなら、それは英語…

文体について(その1)――片岡義男『日本語と英語』を読む

「世のなかは絶えまのない動きのなかにあり、変化は最終的には常に進歩の方向にあるのです」 こういう文章をわたしたちはよく見かける。評論や論文などの書物のなかであったり、演説で耳にしたりする。そして、こういう言い方をわたしたちはすこしも怪しまな…

「暗号と象徴」をめぐって――ナボコフ再訪(7)

1940年5月19日、家族といっしょにフランスのサン・ナゼール港を発ったウラジーミル・ナボコフは、一週間余の船旅の果てに5月28日の朝、ニューヨーク港に到着した。1919年の4月に祖国ロシアの地を発って以来、イギリス、ドイツ、フランスと転々と移住した…

食わず嫌い、あるいはアナトール・フランスをめぐる嬉遊曲

「食わず嫌い」の語釈として、ある辞書は次のように書いている。 1 食べたことがなく、味もわからないのに嫌いだと決め込むこと。また、その人。 2 ある物事の真価を理解しないで、わけもなく嫌うこと。(「大辞泉」) 語の第一義は食に関するものだが、一…

マチャアキの最後っぺ

平岡正明の『人之初(ひとのはじめ)』という本を書店で見つけた。「未発表だった《自伝》が遂に陽の目を見る」と腰巻にある。これは、読まないわけにいかないな。 買って、とりあえず鈴木一誌さんの「解題」に目をとおす。ほほう、鈴木さんも平岡正明の愛読…

由良君美のつづき

平凡社ライブラリー版『椿説泰西浪漫派文学談義』が刊行された。カバー装画はブレイクの「エルサレム」。平凡社ライブラリーのシリーズにしっくりと馴染んでいる。慶賀の至り。 原本の青土社版(1972年刊)は縦長の四六変型判で、透明の合成樹脂カバーに書名…

新しき幕明き

いまから六十年余の前、林達夫はこう書いた。 「戦後五年にしてようやく我々の政治の化けの皮もはげかかって来たようであるが、例によってそれが正体をあらわしてからやっと幻滅を感じそれに食ってかかり始めた人々のあることは滑稽である。」 林達夫といえ…

スタイナーのつづき、あるいは由良君美と山口昌男

George Steiner at The New Yorkerを読んだのをきっかけに(原著を読了したというわけではありません、為念)、スタイナーの本を引っ張り出し(『脱領域の知性』も出てきた)、あれこれとつまみ食いならぬつまみ読みをした。読書の至福とはこういうことなの…

呼びかけと応答

ひとつのエピソードを書きとめておきたい。老人ホームに居住するひとりの高齢の女性の話だ。かりにAさんとしておこう。Aさんは、ある事故によって数年前から「失語症」の状態になっていた。といっても、脳の器質的な障害による失語症ではない。日常生活に…

George Steiner at The New Yorkerを読んでみた

George Steiner at The New Yorker が届いた。前回、例に挙げた意味不明の邦訳の本当の意味はなにか、興味をお持ちの方も一人か二人はいらっしゃるのではないかと思い、つづきを書いてみることにした。不明なのは例に挙げた箇所だけではないけれども、挙げ始…

これじゃスタイナーも浮かばれまい

ジョージ・スタイナーが雑誌「ニューヨーカー」の定期的な執筆者で、少なからぬエッセイを同誌に寄稿したことはよく知られている。このたび翻訳された『「ニューヨーカー」のジョージ・スタイナー』(近代文藝社)の序文で、ロバート・ボイヤーズはつぎのよ…

注釈「《あ》って言ってごらん」

山崎栄治の詩 「《あ》って言ってごらん」に出合ったのは数年前のことだ。古本屋の均一本の山のなかから掘り出した詩誌「同時代」(昭和39年、第18号)に載っていた。ご覧のように原詩は無垢と一種の終末観のイメージが綯い合わされた傑作である。一読、これ…

《あ》って言ってごらん。

――**ちゃん、あ・そ・ぼ。 ――ちょっと待って、宿題やらないで遊びに行くとうるさいんだ。 ――じゃあ、先に行ってるよ。 ――うん、すぐ行く。待ってて。 ――お・は・な。あ・じ・さ・い。《あ》って言ってごらん。《あ》って言ってごらん。 アパートのわきに車…