詩を書く前には靴を磨くね――岩波文庫版『辻征夫詩集』

今月、岩波文庫の新刊で出た『辻征夫詩集』を買う。思潮社現代詩文庫版(正・続・続続)も全詩集の『辻征夫詩集成(新版)』も持っているのだけれど、「岩波文庫に1票」というつもりで購入する*1。 わたしのつくる本はたいがい票の集まらない本ばかりだが、…

アルマとココシュカ、もしくは「風の花嫁」

わたしがオスカー・ココシュカに関心をもったのは、滝本誠さんの文章によってだったと思う。「人工陰毛のアルマ・マーラー」、副題に「オスカー・ココシュカのスキャンダル」とある。 滝本さんは当時(1980年代)、一部にカルト的なファンをもつ映画批評家だ…

20世紀をふりかえる

――歴史は「人に痛みを与えるもの」というよりは、「かつて人に痛みを与えたと言われるもの」なのである*1。 パトリク・オウジェドニークの『エウロペアナ(Europeana)』は邦訳で150ページに満たない薄い本だが、副題に「二〇世紀史概説」とある。訳者はあと…

「方言」を訳すのはむつかしい

さて、ロレンスについてもう少し書いてみよう。 『チャタレー夫人の恋人』が光文社古典新訳文庫から出た。訳者は木村政則。ところどころ拾い読みをした限りでは、読みやすい、よい訳だと思う。ただし、原文に忠実に、正確に訳されたものではない。訳者はあと…

「プロシア士官」はホモエロティシズムの小説か

3ヶ月ほど前に書いた「図書」の斎藤美奈子の連載「文庫解説を読む」*1、12月号の第5回では村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』(ハヤカワ文庫)を取り上げている。斎藤は、『ロング・グッドバイ』は『グレート・ギャツビー』を下敷きにしているという村上の…

我戦う、ゆえに我あり――クライストを観る/読む(その2)

「マルティン・ルターの介入で事態が大きく転回する」。大江健三郎の『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』(新潮文庫版では『美しいアナベル・リイ』と改題された)で、語り手の小説家がクライストの小説の概要を語る場面――、前回はそこまでで終わ…

「義」のひと、コールハース――クライストを観る/読む(その1)

「感情を宿す胸はすべて謎」 ――クライスト「ペンテジレーア」 ミヒャエル・コールハースの映画がwowowシネマで放映された。タイトルは『バトル・オブ・ライジング コールハースの戦い』(2013)、日本劇場未公開である。 仏独合作で、監督はアルノー・ドゥ・…

官能的な、あまりに官能的な――「『ボヴァリー夫人』論」の余白に

「本稿は、現在執筆中の『ボヴァリー夫人』論の一部をなすもので、三にあたる部分は、同じ題名のもとに或る「紀要」に発表されたものに全面的に手を加えたものである」という「後記」を附して「『ボヴァリー夫人』論ノート」が発表されたのは、いまはない文…

十字架には早すぎる――堀江敏幸と杉本秀太郎

前回の末尾に予告した、文庫解説にさらに著者がコメントするという珍しいもう一例は、堀江敏幸の『回送電車』(中公文庫、2008)。解説は杉本秀太郎である。 杉本秀太郎の随筆をわたしは長年愛読してきた。杉本さんは小説を書かないが、このふたりの書き物に…

天知る地知る

岩波の「図書」8月号から斎藤美奈子の新連載「文庫解説を読む」が始まった。第1回の冒頭に岩井克人の『ヴェニスの商人の資本論』のあとがきが取り上げられていて、おおっと思った。わたしも岩井のそのあとがきについては以前ここで書いたなあと思って検索し…

黄金の釘一つ打つ――『岩本素白 人と作品』

以前ここで来嶋靖生さんの評伝『岩本素白』が河出書房新社より刊行されると書いた*1。それは予定どおり無事刊行され、大方の好評を博したようである。微力ながら同書の編集に関わったものとして欣懐を禁じ得ない。「槻の木」八月号に掲載された小文を以下に…

この遠い道程のため――承前

片岡義男・鴻巣友季子『翻訳問答』について、もう一つだけ書いておきたい。前回の最後に引用した片岡義男のことば、「書き手が言葉を選んでつないでいくことが文章の前進力になる」ということに関連して、片岡さんは一つの例を提示している。それは、金子光…

チャンドラーを訳すのはやっかいだ――片岡義男・鴻巣友季子『翻訳問答』を読む

片岡義男・鴻巣友季子『翻訳問答』を読んだ。これは、オースティン、チャンドラー、サリンジャー等々著名な七人の小説家の代表的な作品の一部分を、お二人がそれぞれ日本語に翻訳し、それらについて語り合う、という刺戟的な試みである。当然、既訳も複数あ…

『神聖喜劇』そして/あるいは『白鯨』

「海こそはわがハーヴァード大学」と言うメルヴィルにとって、海は生のアイロニーへの決定的なイニシエイションの空間であった。 ――高山宏「メルヴィルの白い渦巻」*1 前回の末尾にわたしは『神聖喜劇』を「異形のテクスト」と書いた。それには幾つかの理由…

『神聖喜劇』そして/あるいは『ボヴァリー夫人』

『神聖喜劇』読了の余熱のなかにいまも佇んでいる。文章を書くと、つい、パーレン(この丸カッコのこと)のなかに補足説明をしたり、自分の書いた文章をカギカッコで引用したり、と大西巨人的文体にどっぷりと浸っている。影響を受けやすいんだね。才子なら…

『神聖喜劇』独語

大西巨人『神聖喜劇』を読み終えた。全五巻全八部(400字詰原稿用紙約4700枚)を読了するのにおよそ二ヶ月かかったことになる。一巻につき十ないし十五ヶ所に附した附箋のうち、幾つかについて(このたびも)心覚えにしるしておきたい。 第一巻第二部「第三 …

もし愛なくば――承前

前回、大西巨人『神聖喜劇』の「奇妙な間の狂言」について書いた折に『トニオ・クレーゲル』の引用文にいささか腑に落ちぬ点があった。「詩人になるためには、何か監獄の類に通暁している必要がある」というトニオの科白の「何か監獄の類」という比喩が何に…

憧憬と軽蔑――「絶望の花」としての芸術

頃日、大西巨人『神聖喜劇』を久方ぶりに再読している。部分的な再読は折にふれ何度かおこなったが、全巻の通読はなにしろ数十年ぶりのことである。再読して新たに気づくことも多々あり、きわめて有益かつ充実した読書体験のいまも直中にある。このたび興を…

犬と狼のあいだに――翻訳について

――夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。 小説の冒頭といえばすぐに思い出すのが『幻の女』だ。名文句の定番といってもいいだろう。原文は以下のとおり。 The night was young, and so was he. But the night was sweet, an…

孤立と連帯――大西巨人と花田清輝

大西巨人の『神聖喜劇』は当初、第1部〜第3部が光文社カッパノベルスより刊行された(1968〜69年)。光文社より刊行されるにあたっては以下の事情が介在したとウィキペディアに記載がある。 「本作は連載当時から反響を呼び、筑摩書房や講談社から刊行の声が…

待つには待たじ――大西巨人の真骨頂

松永伍一さんが亡くなったとき、長年親交のあった西郷輝彦さんは野辺の送りに立会い、知人たちとこう語らったという。 「淋しいね…でもあの立派な脳、もったいないね」*1 このたびの大西巨人さんの死にさいして、わたしは如上の西郷輝彦さんとほぼ等しい感懐…

ある年齢綺譚

前回、わたしは次のように書いた。「大西巨人が亡くなった。3月12日、享年97」。これは朝日新聞3月13日朝刊の訃報に拠るもので、大西巨人の生年は従来1919(大正8)年8月20日とされていた*1。そうであれば享年は94のはずである。多くの人がこの事実の齟齬…

追悼大西巨人――書評二束

大西巨人が亡くなった。3月12日、享年97。高齢なのでいつかはこの日がくると思っていたが、現実になってみるとやはり寂しい思いを否めない。 13日の朝刊で逝去を知り、手元にある『遼遠 1986〜1996』(みすず書房)を鞄に入れて家を出た。大西巨人の文章を拾…

物の見えたる――素白雑感

昨年暮れから正月にかけて故あってずっと岩本素白の随筆に親しんでいた。年明けには新たなアンソロジー『素湯のような話』もちくま文庫から出た。 早川茉莉編になる『素湯のような話』は総頁数440に及ぶ文庫にしては大冊で、『東海道品川宿』(ウェッジ文庫…

これは詩ではない――渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』を読む

著者は本書の第1章に、ある詩との「衝撃的」な出会いについて書いている。「まったく意味がわからなくて、でも鋭く光っていて、密度があった」。その詩とは――。 25 世界の中で私が身動きする=230 26 ひとが私に向かつて歩いてくる=232 27 地球は火の子供で…

擬態と脈動――「『ボヴァリー夫人』論」を読む

それがなんの番組でどのチャンネルで放送されていたものなのか判然としないのだが、つい先日の夜たまたまTVをつけた時にほんの一瞬目にしたやりとりが妙に記憶に残っている。写真で見覚えのある若い頃の顔よりいくぶんふくよかになり、それなりに皺もきざま…

言語という牢獄――岩城けい『さようなら、オレンジ』再々説

上野千鶴子が『さようなら、オレンジ』の書評「グローバル時代の日本語文学」を書いているのを知った*1。さすがに上野らしい鋭い批評で、いろいろと考えさせられることもあった。この小説についてはすでに二度も書いたので屋上屋を架すことになるけれども、…

突風のようなものになぎ倒されること――岩城けい『さようなら、オレンジ』再説

岩城けいの『さようなら、オレンジ』は今年度の太宰治賞を受賞した小説である。選考委員たちがこの作品をどのように評しているのかと思い、太宰賞を主催している筑摩書房のサイト *1をのぞいてみた。 選考委員は、加藤典洋、荒川洋治、小川洋子、三浦しをん…

母語と英語とのあいだで――岩城けい『さようなら、オレンジ』を読む

もう五年ほど前のことになるけれども、若い小説家たちの小説について本欄でふれたことがあった*1。文芸誌でかれらの新作が妍を競っていたのだが、どれもが一様に「発情」しているさまに聊かうんざりさせられた。性を主題にすることが悪いわけではないけれど…

老人の顔にきざまれた皺のように――内堀弘『古本の時間』を読む

『石神井書林日録』から十余年、内堀弘さんのエッセイ・コラム集『古本の時間』が出た。カバーには平野甲賀さんの書き文字のタイトルと犀のロゴマーク。かつての晶文社らしい新刊だ。 『石神井書林日録』については、かつてbk1というサイトに書評を書いた…