2006-01-01から1年間の記事一覧

光にむかつて歌つてゐる――翻訳詩の問題(4)

「文学的技巧という点から見るならば、この作品はこの時代のもっとも目ざましい作品の一つであって、スインバーンと同様に詩的であり、かつ技術的にはスインバーンよりもはるかに見事な完璧に到達している。」*1 こう書くのはG・K・チェスタトン。「この時…

詩は何処にあるか――翻訳詩の問題(3)

1 福永武彦の『異邦の薫り』は、森鴎外の『於母影』を皮切りに、明治〜昭和期の代表的な訳詩集を採り上げて紹介したエッセイ集で、「婦人之友」に一年間連載された十二篇にもう一篇を加えて一本としたもの(麺麭屋の一ダースですね)。篠田一士のいう五大訳…

『洛中書問』――翻訳詩の問題(2)

1 詩の翻訳は詩であるべきか否か。この問題をめぐって上田敏の訳詩を批判した折口信夫に篠田一士が加担したのは、一に戦時下に行なわれた吉川幸次郎と大山定一との往復書簡、『洛中書問』に係ってのことである。 篠田一士の『現代詩大要 三田の詩人たち』は…

すべて世は事も無し――翻訳詩の問題(1)

翻訳小説を読んだり自分でも翻訳書を編集したりするせいもあって、翻訳に関する本はわりあいよく読む。最近出版された柴田元幸さんの『翻訳教室』(新書館)は、東大文学部での授業(「西洋近代語学近代文学演習第1部 翻訳演習」)を文章化したもので、じつ…

鈍色のニヒリズム――西條八十

テレビで久世光彦の葬儀の様子を放映していた。夫人の涙ながらの挨拶以上に、一瞬映し出された俳優たちの憔悴した面持ちがより多くのことを語っていた。もう久世さんの演出のドラマで彼らを見ることはないのだと思うとひどく残念な思いがした。人の死を、死…

「槻の木」の人々――岩本素白素描

『群像』の一月号から始まった「僕の古書修業」という連載エッセイが面白い。筆者は表参道でカウブックスという古書店を経営する松浦弥太郎。著書も何冊かあるそうだが未見。 連載第一回は「師匠との出会い」と題し、ひとりの老人との出会いを語る。書籍の編…

あとから来るもの夜ばかり――追悼久世光彦

久世光彦さんが亡くなられた。 昨年十一月にあるパーティでお遭いした折はお元気そうだったのに、あまりに突然のことでまだ信じられない。淡いご縁だったのでとりわけ哀しいということはないが、心の底に茫洋とした喪失感が漂っている。 久世さんに初めてお…

藤田三男、そして三島由紀夫

――三島由紀夫の「仮面」と「素面」 1 今月、河出文庫の新刊で三島由紀夫の対談集『源泉の感情』が出た。親本は一九七〇年十月三十日、自決のひと月前に刊行された三島由紀夫生前最後の単行本である。小林秀雄、安部公房、福田恆存といった文学者、および坂…

来嶋靖生、そして藤田三男

1 前回、触れられなかったエピソードを一つ。来嶋靖生が小学館発行の『探訪日本の陶芸』の編集に携わっていたときのことである。 月報に掲載するため立原正秋と林屋晴三の対談を都内のホテルで行なった。両氏ともに和食が好みであることは承知していたが、…

来嶋靖生――生命の吐息の歌

1 小中英之さんについて書き継いできた拙文が機縁で、天草季紅さんから小中さんが執筆したN紙の短歌時評のコピーを送っていただいた。私のあやふやな記憶をたよりに、わざわざ図書館まで出かけて検索されたのである。ありがたいことである。昭和五十二(一…

板倉鞆音、そして三好豊一郎、天野忠、大槻鉄男

1 前回、天野忠が板倉鞆音訳のリンゲルナッツ詩集『運河の岸辺』に「詩をつくるこつを教えられた」と語った、と書いた。それを知ってか知らずか、天野忠とリンゲルナッツの親和を手がかりに天野忠の詩を論じているのは三好豊一郎である*1。 「詩集『クラス…

板倉鞆音、そして玉置保巳、天野忠

――「僕がしばしばどんなに感動させられるか知っておいでか」 1 前々回、板倉鞆音訳のケストナーの詩「雨の十一月」に打たれた山田稔が、今でもケストナー詩集が入手可能かどうか、旧知のドイツ文学者、玉置保巳に手紙で問い合わせた、と書いた。山田が玉置…

中井英夫

初めて読んだ中井英夫の本は何だったのだろう。三一書房版の『中井英夫作品集』だったか、潮新書版の『黒衣の短歌史』だったか。おそらく前者だったろうと思う。 学生時代、横浜の京浜急行沿線に住んでいた私は、週末になると伊勢佐木町の有隣堂や野毛坂の古…

板倉鞆音、そして山田稔

1「私は心に屈託することがあると、いつも木下夕爾詩集を取り出して、好きな詩を声を出して朗読する。すると遠くにいるなつかしい友人から久しぶりにうれしいたよりをもらったような気持ちになり、……」 と書いたのは河盛好蔵だった(前回参照)。詩には人の…

含羞の人――木下夕爾

1 飯田龍太に『思い浮ぶこと』というエッセイ集がある*1。なかに、本の標題と同じ「思い浮ぶこと」というエッセイがあり、副題に「木下夕爾」とある。 「いつになく、ながい梅雨であった。/立秋が過ぎると、はげしい残暑がいつまでもつづいた」と書き出さ…