中井英夫


 初めて読んだ中井英夫の本は何だったのだろう。三一書房版の『中井英夫作品集』だったか、潮新書版の『黒衣の短歌史』だったか。おそらく前者だったろうと思う。
 学生時代、横浜の京浜急行沿線に住んでいた私は、週末になると伊勢佐木町有隣堂や野毛坂の古本屋、ときには神保町や早稲田の古本屋街にまで足を延ばしていた。国鉄関内駅の駅ビルだったかすぐ近くのビルだったかにあったキディランドはなかでもお気に入りの本屋で、伊勢佐木町有隣堂とは至近の距離にあったのでその二軒を流し、伊勢佐木町を抜けて京急日ノ出町駅前の書店を最後に覗くというのがお決まりのコースだった。
 三一書房版の『中井英夫作品集』はキディランドの棚に一冊だけ差してあった。武満徹の装丁になる菊判・貼函入りの五百頁を超える大冊は書店の棚でひときわ異彩を放っていた。一九七〇年か七一年頃、石油ショック以前の定価千八百円は貧書生には手の届かぬ高嶺の花だった。それはひと月の家賃の三分の一に近い高額で、書店の棚から抜き出しては溜息をついてまた書棚に戻すということを何か月にも亙って繰り返していた記憶がある。それには齋藤慎爾の筆になる「怖ろしい文学はないか、魂を震わせ世界を凍りつかせる文学はないか」という呪文のようなパンフレットの「刊行のことば」や、澁澤龍彦埴谷雄高吉行淳之介錚々たる文学者の推薦の言葉が与って力があったと言わねばなるまい。
 あるとき、ついに意を決して購入し(「清水の舞台から飛び降りる」という言葉はこういうときに使うのだろうと思った)、貪るように読んだ至福に勝る読書体験は後にも先にもない。文字通り寝食を忘れて没頭した「虚無への供物」という不世出の傑作は、その後の私の文学の嗜好を大元のところで形成したと言っていい。

 やがて大学をどうにかこうにか卒業し書評紙の編集者となった私が中井英夫に原稿を依頼することになったのは当然の成り行きである。文学欄の担当者として最初に依頼したのは、国書刊行会の世界幻想文学大系の一冊、ジャック・カゾットの『悪魔の恋』の書評であったと思う。次に河出書房新社から刊行が始まった『メリメ全集』について依頼したエッセイは『地下を旅して』*1に収められている。杉捷夫の翻訳を称揚したいつもながらの端正な散文で、優雅でどこか儚げな筆跡はたとえば遺作集の『黄泉戸喫』*2などで目にすることができるが、ほとんど書き損じのない原稿用紙に記された「散文精神の城――メリメ  中井英夫」の文字がいまも眼裏に残っているような気がする。ほかに何度か依頼はしたけれども、作品が肌に合わなくてか都合がつかなくてか、執筆には至らなかったように思う。
 生身の中井英夫にまみえたのは映画演劇欄に異動してからで、加藤泰の『江戸川乱歩の陰獣』の試写を見るために築地の松竹本社へ同道したときであった。試写室の三列か四列前あたりに横溝正史が座ってい、映画の中に出てくる隅田川を運行する一銭蒸気について、映画が終ったのちに横溝正史に問い質していた中井の姿をたしかに記憶している。横溝に訊ねた経緯は映画評にも書かれていたはずと手近にある中井の本を調べてみたのだが、当の『陰獣』評がどの本を捜しても見当たらない。たしかに著書で読んだという記憶を持っていたのだけれど、そうなるとその記憶じたい俄かにあやふやなものに思えてき、こうして過去の記憶の一つひとつが掌に掬った砂のように指のあいだからさらさら零れおちて、やがて確かなものなどなにひとつないのだといういつもの思いにいざなわれてゆくほかはない…


 『陰獣』評の原稿を受け取ったのは東松原にある中井の馴染みの鮨屋でだった。この鮨屋については「新劇」元編集長の和気元が書いているが*3、勧められるままにビールなどを飲み、学生時代から短歌が好きでといった話をしたように思う。それで気に入ってくれたのかどうか、仕事を離れて一度歌舞伎座に招待を受けたことがあった。中井といっしょに現れた年配の男性は中井が自分の分身と呼ぶ田中貞夫であったにちがいない。当の歌舞伎は玉三郎が出ていたこと以外まるで覚えていない。幕間にあわただしく幕の内弁当を食べたこと、芝居が跳ねて築地の鮨屋に招かれたがそそくさと辞去したことなど、きれぎれに思い出すだけだ。
 映画評を依頼したのはその一回きりだったろうか。どだい中井英夫に見てもらいたい映画などヴィスコンティの『家族の肖像』ぐらいしかなかったが、これはなぜか鈴木清順に映画評を依頼している(原稿の受取り場所は夫人の経営する飲み屋であった)。
 最後に中井英夫に会った、というよりも姿を見たのは寺山修司の葬儀が行なわれた青山斎場で、その丁度一週間前には田中貞夫がこの世を去ってい、中井自身「体調とみに整わず、弔辞を読むあいだ、声も手もふるえ放しだった」*4と書いているように、遠目にも明らかな憔悴ぶりだった。それが一九八三年の五月。田中貞夫が主宰する作品社から出した最初の作品集『われに五月を』で、寺山が「いまこそ時/僕は僕の季節の入口で/はにかみながら鳥たちへ/手をあげてみる/二十才 僕は五月に誕生した」と詠った五月。故あって、受付の端で参列者を迎えていた私は、五月の抜けるように青い空を仰いで、この詩を思い出していた。
 中井英夫がこの世を去ったのはそれから十年後の一九九三年十二月十日金曜日。『虚無への供物』巻頭に、


「―― 一九五四年の十二月十日。外には淡い靄がおりていながら、月のいい晩であった。お酉様の賑わいも過ぎた下谷・竜泉寺のバア“アラビク”では、気の早い忘年パーティの余興が始まろうとして、暖房のきいた店の中は、触れ合うグラスと、紫烟と人いきれで、熱っぽくざわめいていた。」


と書かれている同月同日、曜日も同じその日。葬儀は下谷法昌寺にて僧侶・福島泰樹のもと執り行われた。
 さて、もう一冊の『黒衣の短歌史』については、かつて中井英夫全集第十巻に収録された際に書評をしたためたことがある。通常の書評を逸脱して、中井への追悼の思いを込めて綴った文章である。bk1のサイトでいまも読むことができるが、ここにも掲げておきたいと思う。以下が全文である。


  一編集者と歌人の「ひたくれないの生」の記録


 このずっしりと重い、800頁を超える文庫本を手にし、クリーム色のカバーに印刷された「黒衣の短歌史」という漆黒の文字を、なにか信じられないような思いで目にしています。幾度か新版が出たけれど、わたしにとっての『黒衣の短歌史』は、煙草の脂でビニール・カバーが茶色く変色した潮新書のそれであり、その思いは今までも、そしてこれからも変わることはないでしょう。
 中井さん――、わたしが現代短歌に興味をおぼえた頃、繰り返し読んだ本が2冊あります。1冊は三一書房版現代短歌体系の第11巻――中井さんの推輓で20歳の天才歌人・石井辰彦を世に送り出した記念すべき1巻――、そしてもう1冊が潮新書の『黒衣の短歌史』でした。

 そんな、手垢がつくほど繰り返し読んだ『黒衣の短歌史』を――、その標題に込められた中井さんの思いを、そのときのわたしが――やがて編集者として著者とまみえることになるなど思いもよらぬ学生のわたしが、理解していたとは決して申しません。旧弊な「歌壇」を相手に若き編集者がいかに悪戦を強いられたかよりも、そこに引用されていた塚本、岡井、葛原、春日井らの歌を、現代短歌への導きの糸として無邪気に愛唱していたにすぎません。村木道彦の傑作――、


 秋いたるおもいさみしくみずにあらうくちびるの熱 口中の熱


の、潮新書版の誤記「おもいさびしくみずにあろう」が本書でもそのまま踏襲(?)されているのを、思いがけず旧知に出合ったかのように微笑ましく読んだことです。

 中井さん――、わたしがあらためて本書を手にとったのは、申すまでもありません、このたび初めて「完全収録」されたあなたと中城ふみ子との往復書簡34通を読みたいがためにほかなりません。


 冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか


と歌い、乳癌のため31歳で夭折した中城ふみ子を――、その凍空に打ち上げられた「冬の花火」のような一瞬の光芒を人の目に焼き付けんがために、中井さん、あなたがどれほどの献身をなさったかは周知の事実です。
 「関心はその作品にだけあった」とあなたは書いていられます。「どこにその作家本来の泉があり、どこを掘り進めば清冽な水が滾々(こんこん)と尽きることなく湧くかの手助けをする以外、ほとんど心を動かされたことはない。悲痛な呻きもその深淵の叫びも、反対に無垢の明るさも恣(ほしいまま)な若さも、すべてどう作品に投影されているかだけが関心事だった」と。

 むろんその言葉をわたしは毫(ごう)も疑うものではありません。病床から書き送った中城ふみ子の歌稿へのあなたの批評は「いいかげん、生ぬるい、全く余計、だらしない、ナマな表現、ひどいや、駄目」と秋霜烈日、容赦がありません。しかしそれは、ふみ子の才をだれよりも認めたがための愛情あふれる「酷評」であること、一目瞭然です。
 だがそれにしても、我ガ心、木石ニ非ズ――、ふみ子の才能への愛がふみ子その人への愛となり、いつしかなりまさってゆくさまを、この34通の書簡は稀有のドラマとして如実に伝えている、といえば、中井さん、あなたはきっと苦笑なさるでしょうね。手を一閃して虚空から掴み出した一輪の薔薇が萎れるのをぼくはただ哀傷したにすぎない、と。でもわたしはこの書簡集を一読し、こう確信しないではいられませんでした。中城ふみ子は、「オンナノコギラヒ」の中井さんが生涯に心から愛した数少ない女性のひとりであったにちがいない、と。そうでしょう、ね、中井さん。
 本書を読み終えて記憶の底から甦ったのは、齋藤史さんの次の一首でした。


 死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれないの生ならずやも

                            (2002.05.14)

黒衣の短歌史 - 中井英夫全集 第10巻 (創元ライブラリ)

黒衣の短歌史 - 中井英夫全集 第10巻 (創元ライブラリ)

*1:立風書房、一九七九年/中井英夫全集第六巻、東京創元社、一九九八年

*2:東京創元社、一九九四年

*3:和気元「長いものが嫌い」、中井英夫全集第七巻附録、一九九八年

*4:「われに五月を」、『地下鉄の与太者たち』所収/中井英夫全集第七巻