板倉鞆音、そして山田稔

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「私は心に屈託することがあると、いつも木下夕爾詩集を取り出して、好きな詩を声を出して朗読する。すると遠くにいるなつかしい友人から久しぶりにうれしいたよりをもらったような気持ちになり、……」


と書いたのは河盛好蔵だった(前回参照)。詩には人の心を慰藉したり、和ませたり、あるいはときに奮い立たせたり、といった「効用」がある。そうした効用をもつ詩を、たとえば、孤独が耐えがたくなったとき、ふところがさびしいとき、ホームシックにかかったとき、自信がぐらつくとき、といったふうに用途別に排列した詩集がエーリッヒ・ケストナーの『人生処方箋詩集』である。
 この機智に富んだ詩集はたしか寺山修司のいたくお気に入りで、どこかで言及していた記憶がある。私の愛誦するのは天気の悪いときに読む「雨の十一月」という詩で、これは木山捷平が「去年今年」*1という作品で取り上げている。
 うちで仕事をしていると小包が届き、開けてみるとケストナーの詩集で、こんな詩が目にとまったと木山は全文を引用する。その詩に誘われるように木山は外出をし、タクシーに乗って事故に遭うのだが、ケストナーもその詩で「自動車には気をつけなさい」と警告していた、と思いだす。


 この木山の「去年今年」を引用し、木山同様、いやそれ以上に「雨の十一月」を核に据えて大切な友人たちの思い出を綴ったのが山田稔の「詩人の贈物」。現今、人との出会い、交遊、思い出を綴って山田稔の右に出る作家はいまい。この「詩人の贈物」を収録した『八十二歳のガールフレンド』*2は、表題作を始めとして心に沁み入る追悼の文章が多く収められたエッセイ集で、なかでも「詩人の贈物」は名品と呼ぶに値する散文である。まずはその「雨の十一月」を掲出しよう。「去年今年」に引用された板倉鞆音訳。


   雨の十一月


  下駄箱にしまいわすれた
  一番古い靴をおはきなさい
  実際、ときどきは
  雨の往来を歩くのもいいでしょう


  すこしは寒いかもしれません
  往来はみじめであるかもしれません
  それでもかまわぬ 散歩をなさい
  できることなら一人でなさい


  けだるそうに雨が枝から落ちてくる
  舗道は光って青い光線のようです
  雨が残りの木の葉をむしりとる
  並木は年寄り、裸になる


  晩には十万の光がしたたり
  滑るアスファルトの上ではじけとぶ
  水溜りには顔があるようです
  傘、傘、傘の森である


  夢の中を行くようじゃないですか
  でも街を歩いているのです
  秋はよろめいて並木に突きあたる
  梢には最後の一葉がゆれている


  自動車にはご注意なさい
  寒ければ、どうぞ、お帰りなさい
  無理をすると鼻かぜをひきます
  そして、帰ったらすぐに靴をおぬぎなさい



   2


 「去年今年」で「雨の十一月」に出合った山田は、まるで初めて読む詩のように思い、自分の所持する『人生処方詩集』(小松太郎訳、ちくま文庫)を繙いてみる。そして第一連を引用する。


  君の戸棚に忘れられている
  いちばん古い靴をはくんだよ!
  なぜなら君は街を歩いている間に
  じっさい ときどき雨に降られるかもしれないから


 山田の言うように「板倉訳とくらべると、別の作品と言ってもいいくらいである」。試みに手元にある飯吉光夫訳*3とくらべてみよう。


  靴箱の中に忘れたまま入っている
  いちばん古い靴を穿(は)きなさい!
  たとえ雨が降っていても たまには
  散歩に出なければだめです


 気がつくのは、小松訳も飯吉訳もいずれも二行目を感嘆符で終えていることである。おそらくケストナーの原文がそうなっているのだろう。第二、最終スタンザにはそれぞれ二つの感嘆符がある。したがってそれらの訳詩からは全体にきつい調子を受けることになるのだが、板倉訳は感嘆符をいっさい排し、やさしく語りかける調子になっている。また、「ですます調」のなかに「である」を混在させている点も、一本調子になるのを防ぎ、詩を簡潔にするのに効果的である。

 山田は板倉訳のケストナー詩集が今でも入手可能かどうか、旧知のドイツ文学者、玉置保巳に手紙で問い合わせる。山田が玉置と出会ったのは詩人の天野忠の自宅でであった。山田は詩人でもある玉置との交遊を回想する。ディテールをゆるがせにしない山田の筆致が回想を陰影に富んだ精彩あるものにしている。このあたりは先述したように山田稔の独壇場といっていい。
 玉置から、ケストナーの詩集は絶版なのでコピーを送る旨と、病気で伏している現状をつたえる電話がかかる*4。そしてその五ヵ月後、玉置が癌の転移で亡くなったという知らせが山田にとどく。
 「春は名ばかりの、どんよりと曇った底冷えのする一日が暮れかかったころ」、山田は玉置家へお悔みに行く。「全身が震え出しそうになる寒さに」ケストナーの詩を、そして天野忠の詩を思い出しながら、山田は玉置に心のなかで呼びかける。

 
 「生物としての、物体としての個が消滅しても、言葉と思い出は残る。あなたの詩と散文が、天野忠の、ケストナー板倉鞆音の詩が私の胸に残るように。
 人は思い出されているかぎり、死なないのだ。
 思い出すとは、呼びもどすこと。
 ひとりで出かけたつもりなのに、何時の間にか玉置さん、天野さんと一緒になっている。私の方が呼びもどされて、後から寄せてもらって、小声に語らいながら歩いているような和かな、しあわせな気分だ。」


  夢の中を行くようじゃないですか
  でも街を歩いているのです


 ケストナーの詩が伴奏するように、伴走するように、あえかにこだましている。


八十二歳のガールフレンド

八十二歳のガールフレンド

*1:木山捷平『下駄にふる雨、月桂樹、赤い靴下』所収、講談社文藝文庫、一九九六年

*2:山田稔『八十二歳のガールフレンド』、編集工房ノア、二〇〇五年

*3:『E・ケストナーの人生処方箋』飯吉光夫訳、思潮社、一九八五年

*4:コピーして送られてきたのは、現代の芸術叢書??『E・ケストナァ詩集』板倉鞆音訳編、思潮社、一九六五年。これは『人生処方箋詩集』の翻訳ではなく、「ケストナァの数冊の詩集からの気ままな選択である」と訳者のあとがきにある。まったく同じ内容で、但し口絵にケストナーポートレート、筆跡の写真を附した「新装版」が同じ書肆より一九七五年に刊行されている。板倉鞆音の訳詩は、『ホーフマンスタール詩集』思潮社、一九六八年、や、『動物園の麒麟――リンゲルナッツ抄』国書刊行会、一九八八年、その他があるが、いずれも素晴しい。