藤田三男、そして三島由紀夫

 ――三島由紀夫の「仮面」と「素面」



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 今月、河出文庫の新刊で三島由紀夫の対談集『源泉の感情』が出た。親本は一九七〇年十月三十日、自決のひと月前に刊行された三島由紀夫生前最後の単行本である。小林秀雄安部公房福田恆存といった文学者、および坂東三津五郎喜多六平太、豊竹山城少掾といった伝統藝術家との対話からなる。
 解説を藤田三男さんが書いている。作家に親しく接しえた編集者ならではの行き届いた観察が三島の素顔を髣髴とさせる文章であるが、それだけでなく、一筆で三島の本質を射抜いた作家論にもなっているところが見事というしかない。
 たとえば巻頭に据えられた『金閣寺』をめぐる小林秀雄との対話で、小林はのっけから、『金閣寺』は小説というより抒情詩であると断言する。ドストエフスキーの『罪と罰』を引き合いに出しながら、ある観念に憑かれた主人公の告白はそれだけでは小説にならない。抒情的にはきわめて美しいがすべては主観のなかの世界でドラマが成立しない、と、なんのことはない全否定である。「きみの中で恐るべきものがあるとすれば、きみの才能だね」と、小林は三島のデモーニッシュな才能を指摘し、「自分の才能をとっても愛してるんじゃないのかな。才能を信頼したり愛したりする度がさ、ずっと強いだろう」と畳掛ける。応戦に窮する三島。対話の最後で小林は託宣する。「才能のために身を誤ったら、本望じゃないか」。
 この対話は昭和三十二年(一九五七)に行なわれたものだが、その後の三島のゆくたてをはるかに予言しているといえないだろうか。藤田さんは解説で「『源泉の感情』は三島さんの思いがけない衝撃を起点として編成された一見奇妙な対談集である。いかに小林秀雄とはいえ、自信作の完全否定を巻頭に据えたのはなぜだろうか」と問いかけ、そして、こう続ける。


 「しかし、安部公房福田恆存武田泰淳との対談では、三島さんは芸を尽して「素面」の「告白」をしている。われわれ後代の読者は、ともすると三島由紀夫の著作の中に、「ミシマ」の死を嗅ぎとろうとそれだけに躍起になる。そんなことは容易なことだ、「金閣寺」「近代能楽集」二作をよめば事足りる。そして作品以上に三島由紀夫の肉声を集めた「源泉の感情」(ゲーテ)にそれを求めるのは愚かなことである」


 安部公房との対話のなかの三島自身の発言に「三島の死の詮索の埒外にある重い心からの独白があるではないか」と藤田さんは指摘する。三島の発言がいかなるものであるかは直截本書にあたられたい。私が思うに、三島は巻頭で小林の「予言」に己を代弁させることによって心置きなく「素面の告白」をなし、一巻の遺著としたのではあるまいか。藤田さんは書いている。「武田さんは三島由紀夫を、ほとんど抱擁するように語りかけ、受け入れている」と*1
 この解説を読めば、本書に収録された、小林秀雄安部公房武田泰淳との対談を読まずにいられなくなるだろう。一読感服した。装訂は藤田三男=榛地和である*2


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 三島由紀夫については、昨年十一月に文春新書から出た堂本正樹の『回想 回転扉の三島由紀夫』が抜群に面白かった。菊花の契りを交わした堂本が語る三島の「素面」だけに下世話な興味を掻き立てて已まない。瑤子夫人が亡くなるまで書けなかったのは当然だろう。収録されている写真も三島家、新潮社のものは皆無である。
 とりわけ興味深いのは『午後の曳航』にカットされた結末があったという逸話。原稿用紙にして七、八枚。「君だけに見せるんだ」と言われて堂本が読んだ原稿には「猫の解剖に照応して、手術用のゴム手袋を嵌めた少年たちは、龍二の灰色の徳利のセーターを剥がし、英雄の全裸を解剖する」場面が書き込まれていたという。


 「その残酷な解剖の描写は、輝く海洋や珍しい異国の風物の比喩が沢山で、さながらアラビヤン・ナイトの物語のように酔わせた。陰毛は真珠貝を包む海藻、男根や亀頭は回教寺院の円塔や屋根となって、金色の夕陽に燦然と煌きながら裂かれ、剥かれる。荘厳なる崩壊による完成。」


 堂本は「独立した散文詩として保存して置きたかった気もする」と書いているが、原稿は残っていないのだろうか。門外不出として厳重に保管されているのかもしれない。
 榊山保名義で三島が書いたゲイ小説「愛の処刑」*3を原稿用紙に書写したのが堂本であったというのも初めて明かされた話ではないだろうか。三島は別人にも「書写」させたのではないか、と堂本は推測している。「興奮しながら筆写する同好者を眺め、事後の快楽を供にする……」。
 少年春日井建にぞっこんの三島に掌を返すような仕打ちを受けた堂本が不貞腐れる場面には、かつて中井英夫福島泰樹のインタビューで語った「三島は本当は春日井建と腹を切りたかったのに春日井が逃げた」という逸話を思い出した*4


 作家三島由紀夫はともあれ、私人三島はなぜかくも滑稽に見えるのだろう。堂本と「切腹ごっこ」に興じる三島。映画『からっ風野郎』にチンピラやくざの役で出演し、ラストシーンのエスカレーターで転倒するシーンで頭を打って病院に担ぎ込まれる三島。堂本の結婚披露宴に出席しようとして硝子扉におでこを打つ三島。本人は大真面目であるだけに滑稽さは弥増す。幼童神ヘルメス、トリックスター・ミシマ。だが、手袋を裏返すように三島の視点から見ると、この現実の世界こそ逆にグロテスクに歪んだカリカチュアに見えたにちがいない。いずれが正気であるかは問うところではない。


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 私は一度だけ三島由紀夫を間近で見たことがある。昭和四十五年(一九七〇)の五月頃ではなかったかと思う。その年、大学に入ったばかりの私は何の気まぐれか空手道部に入部し、武道館で行なわれた全国大会に出場した。むろん対戦するためではなく開会式に「出場」しただけである。道衣を着て整列していると、同じく道衣を着た三島由紀夫楯の会の青年たちと登場し「模範演技」を行なった。五メートルと離れていない至近距離であったと思う。三島はたしか名誉何段かの黒帯であったが、演技は素人目にもあまり上手ではなかった。これが三島か、と至って散文的な感想しか抱かなかった。三島が市ヶ谷自衛隊総監部で自決するのはその年の十一月二十五日である*5
 その翌年であったか、私は「豊饒の海」全四巻を購って読んだ。そして古本屋に持って行き、その代金に幾らかを上乗せして以前から目を附けていた三一書房夢野久作全集全七巻を購った。いずれも真黒な函入の本であったが、私には「豊饒の海」より『ドグラ・マグラ』のほうが数等面白く思われた。


源泉の感情 (河出文庫)

源泉の感情 (河出文庫)

*1:武田泰淳との対話は「文藝」昭和四十五年十一月号掲載。三島の死の数ヶ月前に行なわれたということになる。

*2:河出文庫から新装なった『英霊の声』『サド侯爵夫人/朱雀家の滅亡』、いずれも藤田三男解説・榛地和装訂である。

*3:「愛の処刑」は、中井英夫のパートナーである田中貞夫の編集発行する会員誌「アドニス」の特別号「アポロ」に発表された。「色々と著名人が匿名で書いていたのを記憶している」と堂本は書いているが、塚本邦雄中井英夫も小説を発表したと書いていたのは、はて、何という本だったか。塚本の小説がもっとも出来がよかったと書かれていたような記憶がある。「愛の処刑」は、のちに「クィア・ジャパン」二号に再録された。

*4:中井英夫インタビュー 黒鳥の歌」、「季刊月光」第九号初出、一九九二年九月。『中井英夫短歌論集』所収、国文社、二〇〇一年。中井英夫三島由紀夫が自決した際に次の歌を詠んでいる。「くさぐさをけりけちらしてことごとくかぐはしきかなきみがきりじに」。戯歌というべきだが、中井曰く「あれはね、嫌いなK音で、K音ばかり使って捧げたんだよね」。

*5:その直後、大学の文学概論の講義で西郷信綱教授が三島の自決にふれて「あれは政治的な死ではなく文学的な死である」といった意味のことを話されたのをよく覚えている。