あとから来るもの夜ばかり――追悼久世光彦

 久世光彦さんが亡くなられた。
 昨年十一月にあるパーティでお遭いした折はお元気そうだったのに、あまりに突然のことでまだ信じられない。淡いご縁だったのでとりわけ哀しいということはないが、心の底に茫洋とした喪失感が漂っている。


 久世さんに初めてお会いしたのは十七、八年前のことである。その頃関わっていた映画雑誌でホームドラマの特集をすることになり、『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』の演出家である久世さんにインタビューをお願いすることになった。たしかその前年に晶文社から出た貼函入の瀟洒な装本のエッセイ集『昭和幻燈館』にいたく惚れ込んでいた私は、久世さんにお目にかかるのを愉しみにしていた。赤坂にある久世さんの事務所へおもむき、近くの喫茶店でお話をうかがった。

 久世光彦にはヤヌスのように対照的な二つの顔がある。
 一つは、『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』で見せる底抜けに明るいコメディ演出家の顔、そしてもう一つは『昭和幻燈館』に見られる審美的な浪漫主義者のそれ。だが後者の顔は『悪魔のようなあいつ』(一九七五年)というドラマで夙に周知のものである。三億円事件を題材にしたこのドラマはわずか三か月しか続かなかったが、主演の沢田研二藤竜也とのあいだに仄めかされる同性愛的情感によって一部の人々に熱狂的に迎えられた伝説的な作品である。脚本を書いたのは長谷川和彦*1。のちに長谷川が監督した『太陽を盗んだ男』での沢田研二の主演につながるものだが、それはまた別の話。

 『悪魔のようなあいつ』は、おそらく視聴率がそれほどよくなかったのだろう、久世さんはその後のTVドラマではそちらの顔をつとめて見せないようにしているように私には思えた。その後十年も経って、雑誌ならいいだろうと思ったのかどうか(「ブルータス」という発表の舞台もよかったのかもしれない)、ヴィスコンティについて、ポオや乱歩や三島由紀夫について、制服のエロティシズムについて、まるで密やかな悪事を告白するかのように語り始めたのだった。
 『昭和幻燈館』に収録された「犯罪者への夢 同潤会アパート」で、久世さんは書いている。


 「(…)終戦後には同潤会大塚女子アパートの一室に戸川昌子がいて、独りひねもす猟奇的な探偵小説を書いていた。このアパートを舞台に、そこを終(つい)の栖(すみか)にひっそりと棲んでいる老女たちを登場人物に書かれたのが、第八回江戸川乱歩賞を受賞した『大いなる幻影』であった。
(…)そのころ私は幾度か傍を通ったことがあるが、地下の浴室のタイルの下に体を丸めた嬰児の死体がいまも埋まっているような、暗欝な犯罪の香りのする建物だったことを覚えている。思うに、私の中の犯罪者幻想は、昭和三十年代のあのころ、大塚仲町から茗荷谷への坂道で芽生えたのかもしれない。その建物は、どんな時間に通っても、いつも夕暮れの中にうっそりと建っているように見えたのである。」


 ポオの「群集の人」のイメージを揺曳しているかのようなこのエッセイは一読、私に強い印象を与えた。インタビューが終ったあとの雑談のおりに、ちょうどそのころTVで放映された久世さん演出のドラマ『海峡物語』*2で、主人公の芦田伸介小泉今日子らがリビングで打合せをしている場面について「まるで同潤会アパートで犯罪の密談をしているようだった」と感想を述べたら、久世さんは我が意を得たりといった顔で嬉しそうに微笑んだ。そういうときの久世さんの表情は、月並な表現だが、はにかんだ少年のような無垢の輝きを湛えていた。
 その後しばらくたってなにかの雑誌で、久世さんが小池光の次のような歌*3


 どこまでもじゃんけんんのあいこして顔のなくなる夕顔小路

 この町の淋しい秘密  ひとりずつ郵便ストのなかに人棲む


にふれて(おそらく小池光の短歌を初出の雑誌「鳩よ!」で初めて目にしたのだろう)、とても気に入ったので歌集を読みたいのだけれど手に入らない、といった意味のことを書かれていたので、お節介と承知しつつ手紙でお教えしたら、丁重な御礼の葉書が届いたことがある。


 それから十五年以上もたった一昨年の暮れ近く、思いがけず久世さんと再会することになった。私の編集する書籍で西條八十について対談してもらったのだが、八十への偏愛は『昭和幻燈館』を端緒に、その後恐るべき筆力で次々とものされた著書で繰り返し倦むことなく述べられている。思うに、久世さんの著作におけるモチーフは、この処女作のなかにすべて萌芽のかたちで認められるといっていいだろう。対談で久世さんの語ったこともまた殆どすでにこの本に書かれているものである。


 「私たちが子供のころ歌った「お山の大将」も西条八十の作であった。この「お山の大将」は「王様の馬」と同じく森繁久弥の愛唱歌のひとつである。森繁はこの歌の最終節をこよなく好きだと言う。《お山の大将/月ひとつ/あとから来るもの/夜ばかり》原曲ではどうなっているのか知らないが、森繁はこの一節だけ短調に転調していつも歌うのである。すると無邪気で元気な子供の遊びの唄が、突然なんとももの哀しい歌に一変してしまうのである。それはまるで祭のあとの寂しさのような、あるいは子供のころ日昏(ひぐ)れの径を孤(ひと)り小走りに帰る怖さのような、胸ふたぐばかりの切なさなのである。」


 この「胸ふたぐばかりの切なさ」を生涯胸の底に抱えていたのが久世光彦という人である、と私は思う。だからこそあのようなコメディをつくることができたのだろう。乱歩を愛し、乱歩になり代わって探偵小説まで書いた久世光彦は、あるいはもうひとりの「人外境」の住人であったのかもしれない。中井英夫亡き後、建石修志が久世さんの専属絵師になったのも当然のなりゆきであったろう。亡くなる直前まで旺盛に仕事をされていたが、叶うことなら三島由紀夫の『奔馬』を久世さんの演出で見たかったと思う*4。いい作品になったにちがいない。

 だがそれにしても森繁より先に逝くとは久世さんもまさか思いもよらなかったろう。きっと冥府で向田邦子といっしょに「お山の大将」を唄いながら森繁が来るのを待っているのにちがいない。
 御魂の冥福を祈るばかりである。


昭和幻燈館

昭和幻燈館

*1:原案は阿久悠上村一夫と組んだ劇画も出版された。

*2:五木寛之の、『艶歌』の続篇にあたる同題小説が原作。

*3:「ぽ・ポ」連作。小池光歌集『日々の思い出』雁書館、一九八八年。

*4:前回、三島由紀夫にふれて書いたのは、はからずも二月二十六日だった。久世さんは2・26事件の資料を沢山蒐集されていた。