さみしいね。――鴨下信一さんのことなど

 

 

 脚本家の橋田壽賀子が四月四日に亡くなった。小沢信男さんより二歳年上の1925年生れ、享年九十五だった。新聞の一面に訃報記事が掲載されたのは、脚本家として初めて文化勲章を受章したという経歴によるものだろうか。そのすこし前、新聞記事の扱いは橋田壽賀子よりずっと小さかったが、三月二十四日には田中邦衛が亡くなった。五木寛之石原慎太郎と同年の1932年生れ、八十八歳だった。このところ、BSの日本映画専門チャンネルで配信中の『北の国から』を見ていたので感懐はひとしおだった。 

 四月四日に放送された『北の国から』第19回では、スナックのカウンターで、そこに勤める児島美ゆきと肩を寄せながら田中邦衛が語る場面に心ひかれた。

 沈み込んでいる田中邦衛児島美ゆきがからかう。奥さんに逃げられたの? 田中邦衛は胸のポケットから封筒を取り出してカウンターに差し出す。封筒には今日届いたという離婚届のコピーが入っていた。ごめんなさい、ひどいこと言って。中島みゆきの「髪」がバックで流れている。さみしいね。ああ、さみしい。

 田中邦衛がたずねる。あんたは東京に出てきたとき、スパゲティ・バジリコって知ってたかい? おれは聞いたこともなかった。交際していた妻にアパートの部屋でふるまわれた手づくりの料理がスパゲティ・バジリコで、富良野から上京してはじめて目に(耳に)したスパゲティ・バジリコに感動したと訥々と語る。スパゲティ・バジリコは一種の暗喩でもあるのだけれど、スパゲティといえばそれまで甘たるいケチャップまみれのナポリタンぐらいしか食べたことがなかったのだろう(そういうことを連想させる)。ふたりはカウンターで「銀座の恋の物語」をデュエットする。その歌は結婚式の披露宴で妻いしだあゆみとデュエットした歌だったと田中邦衛は回想し涙ぐむ。児島美ゆきがささやく。お店が終ったらうちに来ない? スパゲティ・バジリコつくったげるから。

 児島美ゆきの部屋の本棚をみて田中邦衛が感嘆していう。ずいぶんと本があるんだな。本読むのが趣味なの。かい・こう・けん、か。開高健にはまってるの、開高健高中正義高中正義って作家は知らないな。高中はミュージシャンよ。あなた、本読む? あんまり読まないな。最近、どんな本読んだ?(すこし考えて)じゃりン子チエかな。一瞬虚を突かれた児島美ゆきが、五郎ちゃん大好き!と、やおら田中邦衛に抱きつく。

 こういう朴訥なキャラクターを演じて田中邦衛の右に出る役者はいなかった。いなかったと過去形で語らなければならないのがさみしい。この黒板五郎という役柄は、いかにも田中邦衛自身を思わせるが、実際の田中邦衛は「とても頭の回転が速く、知的で、ユーモアに満ち溢れた方なのだ」と三谷幸喜朝日新聞の連載コラム「ありふれた生活」(四月八日掲載)に書いていた。

北の国から』は何度も再放送され、そのつどビデオテープやディスクに録画して繰り返し見たが、リアルタイムでは見ていない。同じ時間帯に『想い出づくり』が放送されていたからだ。山田太一脚本、演出は鴨下信一(がメイン。連続ドラマは何人かの演出家が担当する)で、当時どちらを見るか迷った末に『想い出づくり』を選んだ。その頃、鴨下さんと初めてお目にかかったのだった。あれからちょうど四十年になる。

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 鴨下信一さんも今年の二月十日に八十五歳で亡くなられたが、メディアではあまり報じられることがなかった。このたびの橋田壽賀子の死に際しても、東芝日曜劇場で長年コンビを組んだ鴨下さんがひと足先に亡くなったことにふれた番組は見かけなかった。TBSでさえも。そのことにすこしの憤りとさみしい思いをした。

 鴨下信一さんはあらゆるジャンルに通暁した博識無類の人だった。鴨下さんと親しい映画評論家の山田宏一さんから「鴨下さんは一日に本を三十冊読むらしい」と聞いて、まさかと思って鴨下さん自身に直接確かめたことがあった。鴨下さんは目を細める独得の笑顔で「ばかなことをしておりますけれども」と否定はされなかった。そういえば、松本清張について書かなければいけないので全作品を読もうとしたのだけれど時間がなくて「息子にすこし下請けに出した」と笑っておっしゃったことがあったが、それはそのときに聞いた話だったかもしれない。全66巻という途方もない量の全集(これでも全作品ではない)を短期間ですべて読破しようというだけでも常軌を逸している。

 その幅広い膨大な読書量には、久世光彦さんも感嘆していられた。あるとき、赤坂一ツ木通りの金松堂書店(TBSのすぐそば。残念ながらこの三月に閉店した)で本を物色する鴨下さんのあとをストーカーのようについて回ったことがある、と久世さんから伺ったことがある。鴨下さんはジャンルのことなる本を数冊抱えて、最後にヨーロッパの王室のエンブレムに関する専門書を棚から抜き出してレジに持って行ったんだよ。あれにはまいったな、と笑われた。ドラマの演出の参考にもとめられたのかもしれない。演出家だけあって「ことば」に関しては一家言あり、著書の『日本語の呼吸』などについてここでも書いたことがあるが、鴨下さんにはことばや文章に関する著作も多い。

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 なかでも『忘れられた名文たち』(正続)は文芸批評もしくは文学社会学の名著である。たとえば、山田宏一の『美女と犯罪』から一節を引用してこう述べる。

  こういう文章を読んでみると、映画ファンというサークル内で語られているいろいろなことが、そのまま一般に通用することなのだという著者と読み手の自信が明らかにみてとれる。つまりは、特殊な〈サークル内言語〉で一般のことを語ることも、一般の〈標準言語〉で特殊なサークル内のことを語ることも、両方とも可能なことなのである。大衆社会の中で文化のジャンルという概念が消滅しつつある現況を、このことはよくあらわしている。

 鴨下さんのいう「大衆社会の中で文化のジャンルという概念が消滅しつつある現況」は、この本の書かれたおよそ十年まえに吉本隆明が『マス・イメージ論』で論じた主題でもあったが、〈サークル内言語〉つまりある種の業界内のジャーゴン(隠語)が一般社会へと浸透していく状況はその後ますます加速しているといえよう(最近の都知事の「東京大改革2.0」なる意味不明のキャッチフレーズはまるで浸透しなかったけれども)。

 話をもどすと、四十年まえにはじめてお目にかかってから、打合せと称して何度もお会いした。もちろん打合せは口実ではなく、鴨下さんの映画に関する該博な知見を一冊にまとめたいと思ったからだ。わたしの力不足で、結局本にはできなかったが、たとえばルイス・ブニュエルの『昼顔』に関して次のような(おそらくだれもしていない)指摘をされたのが記憶に残っている。

 娼館ではたらく若妻カトリーヌ・ドヌーヴは、幼いときに受けたセクハラが原因で不感症になっているのだが、あるときやってきた東洋人の客の手練手管によってあられもない性的エクスタシーを感じる。東洋人の男は手にしたあやしげな鈴を思わせぶりに鳴らしてみせるのだが、これは交接時に女性が膣内に挿入すると快感を得るといわれる「りんの玉」という中国由来の性具である。映画では詳しい説明がないので、観客はドヌーヴがなぜそれほど快感を得たのかがわからない(ちなみに男が小脇にかかえていた小箱の中身は何だったのだろう。性具の一種には違いないだろうが。ブニュエルは自伝でわたしにもわからないと、とぼけているけれども)。

 わたしは鴨下さんがたのしそうに話されるそんなエピソードを聞くために足しげくTBSに通った。その後、わたしの職場が変わったりしてお会いすることも間遠になったが、いつか鴨下さんの本をつくりたいという気持ちはずっと持ち続けていた。最後にお目にかかったのは、ここにも書いた十余年まえのことになるが、その席でも本をつくりたいというお願いをした記憶がある。

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 ギラン・バレー症候群胃がんなど幾度も大病を患われたが、まだまだお元気でTVや舞台の演出をされるのだろうと思っていた。TBSの重役になっても現場の演出にたずさわりたいとたったひとりの部署を新たにつくられたほど、生涯一演出家をつらぬかれた人だった。ただ、ただ、さみしい。