書物探索のつづれ織り――北村薫『太宰治の辞書』を読む



 北村薫さんの新刊『太宰治の辞書』が出た。久々の「円紫さんと私」シリーズ。カバー装画はもちろん高野文子さん。「花火」「女生徒」、それに書下ろしの表題作「太宰治の辞書」の三作を収録。扉裏の献辞「本に――」にゾクゾクする。残りのページが少なくなるのを惜しみながら一気に読み終える。
 ――私は花火の事を考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火の事を。
 そう、「花火」は芥川龍之介の「舞踏会」をめぐるストーリーで、江藤淳三島由紀夫の「舞踏会」評が引用される。むろん引用するのは「私」である。女子大生だった「私」も結婚して中学生の子どもがいる。時の経つのは早いものだ。


 鹿鳴館の夜空に煌く花火を三島由紀夫はこう評する、と「私」は引用する。
 「この短篇のクライマックスで、ロティが花火を見て呟く一言は美しい。実に音楽的な、一閃して消えるやうな、生の、又、死のモチーフ。」
 三島は、「芥川は本質的にワットオ的な才能だつたのだと思ふ」という。そして「『舞踏会』は、過褒に当るかもしれないが、彼の真のロココ的才能が幸運に開花した短篇である」という。
 「私」は三島の『小説家の休暇』より「ワットオの《シテエルへの船出》」の一節をさらに引用する。


 「ロココの世界は、画布の上でだけ、崩壊を免かれるのだった。なぜならワットオのように輝かしい外面に憑かれた精神は、それ自身の運動によって崩壊してゆく内面的な危機から免かれていた。描かれおわった瞬間に各種の情念は揮発して消え、あとには、目に見える音楽のようなものだけが残った。」


 この引用が新仮名表記になっているのは「私」が本棚から手にとったのが、おそらく新潮文庫版だったからだろう(「舞踏会」評の引用は全集からと断わっている)。そして「私」は、こうコメントする。「ロココ風とは、一般に優美軽快、繊細典雅。貴族的であることだろう。武張った印象のある三島だが、建てた家はロココ調であった」と。
 「花火」はそれ自体で完結した短篇であるけれども、ロココをかすがいにして「女生徒」につながる。ここには懐かしの正ちゃん(高岡正子)も登場する。正ちゃんは「ロココっていえば、――太宰だな」と「意外なこと」をいう。「女生徒」の「ロココ料理」である。
 正ちゃんいわく「まあ、この《ロココ料理》のために、ヒロインの造形があり、全体があるといっても過言ではないのであります」。そして「私」は角川文庫の『女生徒』を読むことになる。
 ロココ料理とは「女生徒」の語り手であるヒロインが考案したもので「お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出す」もので「ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見える」というものである。
 「私」は「女生徒」の元になった「有明淑(しず)の日記」の探索におもむく。「女生徒」は大半が有明淑の日記に基づいて書かれたものだが、ロココ料理のくだりは太宰のオリジナルである。ちなみに、有明淑の日記と「女生徒」とを比較して、太宰は何を使い、どのように変更したか、にたいする「私」の考察はするどい(とりもなおさず北村さんの考察でもあるわけだが)。
 「私」は、初出の雑誌も見ておかなくちゃと「女生徒」が掲載された「文學界」の閲覧のために文藝春秋に出かける。編集者という設定が効いている。「女生徒」のロココ料理のくだりにこんな一節がある。


 「ロココといふ言葉を、こないだ辞典でしらべてみたら、華麗のみにて内容空疎の装飾様式、と定義されてゐたので、笑つちやつた。名答である。美しさに、内容なんてあつてたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまつてゐる。だから、私は、ロココが好きだ。」


 旧仮名の表記になっているのは昭和十四年の「文學界」から引用しているためである。ただし、現行の刊本と文章に異動はない。


 さて、そのヒロインが繰った「辞典」とはなんだったか。その探索行が「太宰治の辞書」のテーマとなる。そして真打円紫さんがこの連作のトリを務める
 「円紫さんの噺を初めて聴いたのが、もう四半世紀近く前――(略)僭越ながら、同じ時間を生きて来た円紫さんと、客席と高座で向かい合えるのは心躍ることだ。」
 『空飛ぶ馬』で初めて北村さん(当時は「覆面作家」といわれていた)と出会ったのが、もう四半世紀以上前。僭越ながら、同じ時間を生きて来た北村さんと、このシリーズの新作で向かい合えるのは心躍ることだ。
 それはともかく、いつにかわらぬ円紫さんのするどい指摘にうながされて、「私」は「本の旅」をつづける。その詳細は、この本をお読みくださいというしかない。ここまで、注意深く地雷を避けるように迂回しながら紹介してきたが、本書をまだ読まれていない方の「心躍り」をこれ以上妨げてはいけない。むろん、円紫さんのいうように「唯一無二の答えが出るようなら、小説とはいえない」のであって、わたしがこの小説のなかのささやかな「謎」を明かしてしまったとしても、この小説の魅力はいっこうに失われはしないのだけれども。
 ともあれ、以下にしるすのは、本書を読んでのわたしのきわめて私的な感想である。
 先に引用したように、三島の建てたロココ調の家は有名である。正しくはヴィクトリア朝コロニアル様式というそうだが、三島はなぜああいう悪趣味な(とわたしには思える)家を建てたのか、それがわたしの長年の疑問だった。映画(『からっ風野郎』)に主演するのと同じ無邪気な露悪趣味のひとつかもしれないと思っていたのだが、この『太宰治の辞書』を読んでその疑問に答えが与えられたような気がしたのである。
 ロココとは「華麗のみにて内容空疎の装飾様式」であるという。太宰治(の辞書)がそういうのである。三島の小説は、そのきらびやかな美文によって、華麗ではあるが人工的な作り物、内容空疎(ロココ料理のような!)と評されることも無きにしも非ずだった。三島自身はそうした批評に表立って異を唱えはしなかった(ように思う)。だが、内心「美しさに内容なんてあってたまるものか」と思っていたにちがいない。そして、文章によってではなく、ロココ調の家によってそうした批判に一矢を報いたのである。「純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまつてゐる。だから、私は、ロココが好きだ」
 太宰治を嫌っていたと言われるけれど、心中奥深くで三島は太宰に共感していたにちがいない。だから冷水摩擦やボディビルや規則的な生活にあれほど執心したのだろう。三島もまた芥川とひとしく「本質的にワットオ的な才能」の持ち主だった。「目に見える音楽のようなものだけ」が残ることを祈念し、「一閃して消えるやうな、生の、又、死のモチーフ」にとりつかれた生涯だった。
 ちなみに、奥付のあとの自社広告までふくめて『太宰治の辞書』という作品になっている。この本に寄せる編集者の愛情が窺われる一冊である。



太宰治の辞書

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