すべて世は事も無し――翻訳詩の問題(1)


 翻訳小説を読んだり自分でも翻訳書を編集したりするせいもあって、翻訳に関する本はわりあいよく読む。最近出版された柴田元幸さんの『翻訳教室』(新書館)は、東大文学部での授業(「西洋近代語学近代文学演習第1部 翻訳演習」)を文章化したもので、じつに面白かった。
 スチュアート・ダイベックバリー・ユアグローレベッカ・ブラウンといった柴田さんが翻訳を手がけている作家をはじめ、レイモンド・カーヴァー、ハルキ・ムラカミ(これは日本文学研究者ジェイ・ルービンが訳した英文)、リチャード・ブローティガン等々のテキストを訳した学生の文章を、柴田先生や学生たちが「ああでもないこうでもない」と討議してゆくさまが臨場感に溢れていて、読んでいるとその授業に出席しているような錯覚に陥るほどだ。
 村上春樹を招いて学生たちが翻訳について質問をする<特別講座>もある。「いちばん僕がたいへんだと思うのは詩です。レイモンド・カーヴァーの詩を訳したけど、詩というのはいくらでも訳しようがあるんですよ」と村上は語る。以前ここでも、ケストナーの詩を、板倉鞆音、小松太郎、飯吉光夫の三人の翻訳で掲げたが、訳者によってまるで別の詩のように見えるということはめずらしくない。小説では、まるでちがう小説に見えるということはないけれども。

 昨年暮れ、富士川義之さんが岩波文庫でブラウニングを訳された*1。すぐれた訳業であると思ったが、Pippa Passesの最終二行「神様は天にいます――/天下泰平、天下泰平!」にはどうしても違和感が残った。上田敏の「神、そらに知ろしめす/すべて世は事も無し」があまりにも強く印象附けられていたせいで、これは無理からぬことだろう。ヴェルレーヌの「秋の日の/ヸオロンの/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し」(上田敏)やアポリネールの「日も暮れよ 鐘も鳴れ/月日は流れ わたしは残る」(堀口大學)や、ヴィヨンの「さはれさはれ 去年の雪 いまは何処」 (鈴木信太郎)やといった詩は、もうそれじたいがオリジナルのようなもので、福永武彦が『異邦の薫り』*2で伝えているように、ヴェルレーヌの「落葉」などは「鈴木信太郎博士がその訳著『ヴェルレーヌ詩集』を上梓する際に、この一篇のみは上田敏訳をそのまま借り受けて、これ以上の翻訳は出来ないからと断つた」ほどである。
 山本夏彦翁は『完本 文語文』(文藝春秋)で「口語は動いてやまないものである。それは詩の言葉にはならない。詩は文語を捨てたから朗誦に堪えなくなった、読者を失った」と書くけれども、これは簡単に反証が可能だろう。ことは文語か口語かの問題ではなく、詩的言語のベクトルの違いというべきだろう。堀口大學は『月下の一群』で、たとえばヴァレリークローデルを文語で、アポリネールコクトーを口語で、といったふうに訳し分けているけれども、これは定型詩と自由詩に対応しているということだろうか。
 篠田一士に『現代詩大要 三田の詩人たち』*3という著書がある。堀口大學を取り上げた一章で篠田はこう書いている。


 「この『月下の一群』が大きな刺激となり、日本の新しい詩を創ったわけですが、その要因として、一つは口語というもの、つまり、日常的な口語というものを自由自在に使う実験をしたということが挙げられます。これが昭和初年のモダニズムと一般に言われている、新しい詩の動向を導きだしたのです。」


 篠田は『月下の一群』と『海潮音』とにおけるマラルメの詩の翻訳の比較に筆を進めるのであるが、余談として上田敏の訳詩に対する折口信夫の批判を紹介する。折口は晩年に書いた短いエッセイで『海潮音』を全否定した、と篠田は言う。折口のそのエッセイを私は未見である。以下は篠田からの孫引きである。
 折口は、詩の翻訳は必ずしも詩である必要はないという。文学から文学を創りだすのは翻訳として邪道である、と。上田敏は文学的な効果を出すために、雅語や漢語、普通には用いられない「古い言葉や奇妙な語を使っている」と折口は批判する。しかし、これはひとり上田敏にとどまることではないだろう。日夏耿之介西條八十ら象徴派詩人の詩や訳詩の特徴でもある。また、前掲の『異邦の薫り』で福永武彦は、「古語の使用が、稀には行き過ぎと思はれる場合もないではない」と留保しつつも「上田敏の特徴は、何よりも日本語に対するその造詣の深さである。記紀万葉から謡曲、小唄に至るまでの豊富な語彙を駆使して、あつと驚くほどの効果をあげた」と折口とは対照的な評価をくだしている(これが上田敏三十一歳のときの訳業であるとは信じられない)。
 篠田は折口の批判を紹介しつつこう続ける。


 「訳詩にこだわることはない、それはそれで立派な創作詩と同じに考えていい、と僕は言いましたが、同時にそうではなくてやはり訳詩と創作詩は違う、訳詩は翻訳にすぎないんだから、原詩をできる限り正確に伝えればいい、何もとくに文学や詩にする必要はない――これが折口さんの主張です。こういう考え方は、原詩を尊重するという意味では非常に重要な考え方です。原詩をいろいろに変え全く似ても似つかないものにしてしまうのは、翻訳としての機能が十分に果たされたとはいえないということです。」


 篠田はここで明らかに折口の立場に加担している。詩の翻訳は詩であるべきか否か。この問題に真っ向から取り組んで丁々発止の論争を行なったのがドイツ文学者の大山定一と中国文学者の吉川幸次郎である。その、戦時下に行なわれた(!)往復書簡をおさめた『洛中書問』は、翻訳について考えるうえで、いまなお問題を提起し続けている重要な書物であると言わねばならない。
                                 (この項つづく)

翻訳教室

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*1:富士川義之編『対訳 ブラウニング詩集』岩波文庫、二〇〇五年

*2:福永武彦『異邦の薫り』一九七九年、新潮社

*3:篠田一士『現代詩大要 三田の詩人たち』小澤書店、一九八七年。先頃、講談社文藝文庫で再刊された。