ロバート・フロストを読む皇后


 一九九八年にニューデリーで開催された第二十六回国際児童図書評議会(IBBY)において、美智子皇后が基調講演(ビデオテープによる)をなさったことは広く知られている。「子供の本を通しての平和――子供時代の読書の思い出」と題された講演内容は、宮内庁のホームページや書籍で英語と日本語とによって読むことができ、事改めて書くまでもないけれども、このところ考えてきた詩の翻訳の問題にも聊かふれるところがあるので、トレースしながら若干の感想を記してみたい。なお、講演原稿は『橋をかける 子供時代の読書の思い出』*1より引用する。また、美智子皇后は皇后と表記し、敬語はくだくだしければ略す。諒とせられよ。


   1

 子供の頃、身近にあった本にいかに楽しみを与えられ、励まされたかについて話してみたいと前置きをして、皇后は幼い頃に聞かされた「でんでん虫の話」を――「恐らくはそのお話の元はこれではないか」と新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」にそって――お話しになる。
 ある日突然、自分の背中の殻に悲しみが一杯つまっていることに気づいたでんでん虫が友達を訪ね「もう生きていけないのではないか」と話すと、友達のでんでん虫は「それはあなただけではない、私の背中の殻にも悲しみは一杯つまっている」と答える。でんでん虫は、次々と友達を訪ねては同じことを話すが、誰からも同じ答が返って来る。そして、悲しみは誰もが持っているということにでんでん虫が気づき、悲しみに堪えて生きねばならぬ、と嘆くのをやめたところでこの話は終る。
 この話を聞かせられたのは、「四歳から七歳くらいのまでの間」のことだったろう、と皇后は語る。その頃はまだ「大きな悲しみ」を知らず、でんでん虫が最後に嘆くのをやめたので「ああよかった」と思っただけであったが、その後、幾度となく思いがけない時にこの話が記憶に甦ってきた。「殻一杯になる程の悲しみ」と、それに気づき「もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安」とが記憶に刻みこまれていたのだろう、「生きていくということは、楽なことではないのだという、何とはない不安」を感じることもあった、という。


 小学校に入る頃、戦争が始まった。父が東京から疎開先へ持ってきてくれた本はとても嬉しく「惜しみ惜しみ」読んだが、そのなかに一冊、子供向けに書かれた日本の神話伝説の本があった。その本は「個々の家族以外にも、民族の共通の祖先があることを教えたという意味で、私に一つの根っこのようなものを与えて」くれた。「本というものは、時に子供に安定の根を与え、時にどこにでも飛んでいける翼を与えてくれるもの」のようだと述べる。
 その神話の本に、一つ忘れられない話があった、と倭建御子の挿話を紹介する。遠征の途中、海が荒れ、后の弟橘比売命が海神の瞋りを鎮めるために「いけにえ」となり、


 さねさし相武(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも


 かつて燃えさかる火のなかを逃げまどっていたときに安否を気遣って下れた君よ、と詠って入水する。


 「「いけにえ」という酷い運命を、進んで自らに受け入れながら、恐らくはこれまでの人生で、最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに、感銘という以上に、強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも、愛と犠牲という二つのものが、私の中で最も近いものとして、むしろ一つのものとして感じられた、不思議な経験であったと思います。
 この物語は、その美しさの故に私を深くひきつけましたが、同時に、説明のつかない不安感で威圧するものでもありました。」


と皇后は語る。その漠とした不安感は「いけにえ」や人身御供という行為からくるものでなく、この物語がもつ「現代にも通じる象徴性」によるものだと分析する。「今思うと、それは愛というものが、時として過酷な形をとるものなのかも知れないという、やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への、恐れであり、畏怖」であり、それが「物語の中の水に沈むというイメージ」と相俟って「私を息苦しくさせて」いたのだという。
 この古事記の挿話における文学的な核とでもいったものを感受する力と、長じてのちそれを的確に分析する知力には並並ならぬものがあり敬服に値する。


   2

 疎開中に読んだ思い出に残る本として皇后はさらに「日本名作選」と「世界名作選」二冊を挙げる。これは昭和十年から十二年にかけて新潮社から刊行された「日本少国民文庫」(全十六巻)のなかの三冊で、山本有三が責任編集に当たっている。このうち「世界名作選」二冊は、皇后の講演を機に新潮社から復刊され、いまは新潮文庫でも読むことができる。
 そのなかから、幼い少年の悲しみを主題としたケストナーの詩「絶望」とソログープの物語「身体検査」とを紹介し、士気を高める勇ましい話でなくこうした話を選んだ編者山本有三の意図に「生きている限り、避けることの出来ない多くの悲しみに対し、ある時期から子供に備えさせなければいけない、という思いがあったのでしょうか。そしてお話の中のでんでん虫のように、悲しみは誰もが皆負っているのだということを、子供達に知ってほしいという思いがあったのでしょうか」と思いを馳せる。
 そして、「世の中にさまざまな悲しみのあることを知る」と同時に、読書から得られた喜び、すなわち「心がいきいきと躍動し、生きていることへの感謝が湧き上がって来るような、快い感覚」について語る。それもまた一首の和歌によってであったという。どういう歌であったかは述べられていないが、「その一首をくり返し心の中で誦していると、古来から日本人が愛し、定型としたリズムの快さの中で、言葉がキラキラと光って喜んでいるように思われました。詩が人の心に与える喜びと高揚を、私はこの時始めて知ったのです」と述懐する。
 こうした「心の踊る喜び」を与えてくれた詩として、「世界名作選」よりロバート・フロストの「牧場」を挙げて朗読する。



   「牧 場(まきば)」    阿部知二


 牧場の泉を掃除しに行ってくるよ。
 ちょっと落葉をかきのけるだけだ。
 (でも水が澄むまで見てるかも知れない)
 すぐ帰ってくるんだから――君も来たまヘ


 小牛をつかまへに行ってくるよ。
 母牛(おや)のそばに立ってるんだがまだ赤ん坊で
 母牛(おや)が舌でなめるとよろけるんだよ。
 すぐ帰ってくるんだから――君も来たまヘ


 「この詩のどこに、喜びの源があるのか」自分には十分説明することはできないが、「牧場」「泉」「落葉」「水が澄む」等の言葉や、「すぐ帰ってくるんだから――君も来たまえ」の繰り返しにその「秘密」があるようだ、と語る。そして七、八年後に大学の図書館で原詩と巡り合い、「記憶の中の日本語の詩と、ぴったりと重なった」という。原詩を以下に掲げておこう。


     THE PASTURE

 I'm going out to clean the pasture spring;
 I'll only stop to rake the leaves away
 (And wait to watch the water clear, I may):
 I shan't be gone long. − You come too.


 I'm going out to fetch the little calf
 That's standing by the mother. It's so young
 It totters when she licks it with her tongue.
 I shan't be gone long. − You come too.


 「英語で読むと、更に掃除(クリーン)、落葉(リーヴス)、澄む(クリアー)、なめる(リック)、小牛(リトルカーフ) 等、L音の重なりが快く思われました。しかし、こうしたことはともかくとして、この原文を読んで私が心から感服したのは、私がかつて読んだ阿部知二の日本語訳の見事さ、美しさでした」と皇后は見事な鑑賞の言葉を述べる。
 ちなみに、安藤一郎訳では以下のようになっている*2


 わたしは牧場の泉をきれいにしようと出かけるところ、
 一寸止まって木の葉を掻きのけるだけですよ
 (そして水の澄むまで待ってみる、たぶん)
 長くはかからない――あなたも来なさい


 わたしは小さい仔牛を連れてこようと出かけるところ、
 母牛のそばに立っているのを。まだ幼なくて
 母牛が舌でねぶるとよろよろするんですよ。
 長くはかからない――あなたも来なさい


 「世界情勢の不安定であった一九三〇年代、四〇年代に、子供達のために、広く世界の文学を読ませたいと願った編集者があったことは、当時これらの本を手にすることの出来た日本の子供達にとり、幸いなことでした。この本を作った人々は、子供達が、まず美しいものにふれ、又、人間の悲しみ喜びに深く触れつつ、さまざまに物を思って過ごしてほしいと願ってくれたのでしょう」と皇后は語り、「子供時代の読書とは何か」と自問する。聊か長くなるが、要約せずにそのまま引用しよう。これほど見事な読書論は稀有といっていい。
 

 「今振り返って、私にとり、子供時代の読書とは何だったのでしょう。
 何よりも、それは私に楽しみを与えてくれました。そして、その後に来る、青年期の読書のための基礎を作ってくれました。
 それはある時には私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました。
 読書は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした。
 自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、悲しみを経ている子供達の存在を思いますと、私は、自分の恵まれ、保護されていた子供時代に、なお悲しみはあったということを控えるべきかもしれません。しかしどのような生にも悲しみはあり、一人一人の子供の涙には、それなりの重さがあります。私が、自分の小さな悲しみの中で、本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。本の中で人生の悲しみを知ることは、自分の人生に幾ばくかの厚みを加え、他者への思いを深めますが、本の中で、過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは、読む者に生きる喜びを与え、失意の時に生きようとする希望を取り戻させ、再び飛翔する翼をととのえさせます。悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには、悲しみに耐える心が養われると共に、喜びを敏感に感じとる心、又、喜びに向かって延びようとする心が養われることが大切だと思います。
 そして最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。」



 そして、国際児童図書評議会へのメッセージを述べて講演は終る。


 「どうかこれからも、これまでと同じく、本が子供の大切な友となり、助けとなることを信じ、子供達と本とを結ぶIBBYの大切な仕事をお続け下さい。


 子供達が、自分の中に、しっかりとした根を持つために
 子供達が、喜びと想像の強い翼を持つために
 子供達が、痛みを伴う愛を知るために


 そして、子供達が人生の複雑さに耐え、それぞれに与えられた人生を受け入れて生き、やがて一人一人、私共全てのふるさとであるこの地球で、平和の道具となっていくために。」



   3

 この情理を兼ね備え、美しい言葉で語られた講演に附け加えるべき言葉はない。ただひとつ、詩の翻訳の問題に関連して、一篇の訳詩を紹介しておきたい。
 皇后は「世界名作選」に収録された翻訳詩についてこう語る。


 「子供にも理解出来るような、いくつかの詩もありました。
  カルル・ブッセ、フランシス・ジャム、ウイリアム・ブレーク、ロバート・フロスト…。私が、印度の詩人タゴールの名を知ったのも、この本の中ででした。「花の学校」という詩が選ばれていました。後年、「新月」という詩集の中に、この詩を再び見出した時、どんなに嬉しかったことか。「花の学校」は、私をすぐに同じ詩人による「あかんぼの道」や「審く人」、「チャンパの花」へと導いていきました。」


 ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore)、この詩聖と呼ばれた詩人の子供の詩を蒐めた『新月』は素晴しい詩集である。就中「チャンパの花」は忘れがたい印象を残す。タゴール自身の英訳になる原詩と、その日本語訳を松浦一の名訳*3で掲げておく。


     THE CHAMPA FLOWER


 Supposing I became a champa flower, just for fun, and grew on a branch high up that tree, and shook in the wind with laughter and danced upon the newly budded leaves, would you know me, mother?


 You would call, "Baby, where are you?" and I should laugh to myself and keep quite quiet.


 I should slyly open my petals and watch you at your work.


 When after your bath, with wet hair spread on your shoulders, you walked through the shadow of the champa tree to the little court where you say your prayers, you would notice the scent of the flower, but not know that it came from me.


 When after the midday meal you sat at the window reading Ramayana, and the tree's shadow fell over your hair and your lap, I should fling my wee little shadow on to the page of your book, just where you were reading.


 But would you guess that it was the tiny shadow of your little child?


 When in the evening you went to the cow-shed with the lighted lamp in your hand, I should suddenly drop on to the earth again and be your own baby once more, and beg you to tell me a story.


 "Where have you been, you naughty child?"


 "I won't tell you, mother." That's what you and I would say then.


               ――The Crescent Moon[1913] By Rabindranath Tagoreより



    「チャムパの花」


 唯(ただ)一寸(ちょつと)の戯れに、私がチャムパの花となり、あの木の上の高い処、枝の上に生長し、笑つて風にゆすぶれて、新(あらた)に芽萌(めぐ)んだ葉の上で踊ると若しもしたならば、お母さん、私が分るでありませうか。


 「坊やお前は何処に居る、」お母さんは呼ぶでせう、私は独りで笑つてゝ、じつと静にして居ませう。


 そつと私の花弁(はなびら)開けて、お仕事なさるお母さんを見守つて居りませう。


 沐浴(ゆあみ)の後でお母さんが濡髪を肩の上に拡げ、御祷りを言ふ小さい庭へチャムパの木蔭を歩んで行く時、花の匂ひは気付くでせうが、私の処から来る事は分らないでありませう。


 お昼の御飯後、お母さんがラーマーヤナを読みながら窓の処に坐つて居、髪と膝とに木の影が差したる時に、私は丁度読んでお居での処の御本のページへ私の小さい影を投げませう。


 それでも其れはお母さんの小さい坊やの小さな影と推量なさるでありませうか。


 明りのついたランプを持つて、夕方お母さんが牛小屋へ行つた時に、私は不意に地面へまた落ちて、も一度お母さんの坊やとなつて、お話をして下さいとお願いを致しませう。


 「腕白者だね、何処に居たの」。


 「言ひませんよ、お母さん」。お母さんと私とそれが其時言ふ事でせう。


 この詩は「かくれんぼ」という題での邦訳もあるように、母と子の微笑ましい情景を描いたものと解すべきであるのかもしれない。だが私はこの詩を、幼くして身罷った子がチャンパの花に転生した詩として読んだ。夭折してチャンパの花となったとしても、花弁が地に落ちて再び母の子として生れ変り母に本を読んでもらいたい。そうした願いの詩として読み胸を打たれた。
 幼くして自分の許から去り、いままた生れ変ってきた子を母はやさしく窘める。
 「腕白者だね、何処に居たの」
 「言ひませんよ、お母さん」
 この会話は切なく、慈愛に充ちている。そんな勝手な読み方をして、私はこの詩をこよなく愛してきた。私がそうした読み方をしたのは、松浦がこの詩を幼児言葉で訳していないことにもよるだろう。幾つかの邦訳を、その第一スタンザのみ掲出してみよう。


 ぼくが ふざけて チャンパの花になり
 あの木の たかいこずえに さいて
 わらいながら かぜに ゆられ
 あたらしい 芽のでた 葉っぱのうえで
 おどって いたとしたら おかあさま
 ぼくが わかるかしら?
           (高良とみ、高良留美子訳「チャンパの花」*4


 お母さん もしぼくが戯れに
  花になって チャンパの樹に咲き
 東の空が ばら色に染まる頃
  若葉の梢で 朝風に揺れたら
 お母さんの負けですね
 ぼくが見つけられるかしら?
  「坊や どこへ隠れたの!」って呼ばれたら
   声をたてずに笑うんだ
           (神戸朋子訳「かくれんぼ」*5


 後者の「かくれんぼ」はベンガリー語原典からの翻訳なので、原詩自体に異同があるのだろう。だがこのような日本語の詩として初めてこの詩を読んだなら、惹かれはしても、松浦一の翻訳を読んだときのように深く打たれはしなかったろう。
 詩を読むとは、詩の意味するところを知ることではない。読者が詩の言語を生きることにほかならない。詩を翻訳で読むとき、原詩の意味内容がわかったとしても、それだけでは詩を体験したことにはならない。詩を読んで、もしもその詩に心が動かされたなら、なによりもその日本語に打たれたのだと思う。美智子皇后がロバート・フロストの阿部知二の日本語訳の見事さを称賛なされたように、私も松浦一の日本語訳の美しさを称えたいと思う。


橋をかける―子供時代の読書の思い出

橋をかける―子供時代の読書の思い出

 

*1:美智子『橋をかける 子供時代の読書の思い出』すえもりブックス、一九九八年

*2:R・フロスト、安藤一郎訳『詩集 少年のこころ』より、世界名詩集大成第十一巻「アメリカ篇」所収、平凡社、一九六二年

*3:松浦一『文学の本質』白鳳社、一九七三年より。但し、この本は一九一五年に大日本図書より刊行されたものの新版で、新字新仮名への変更のみならず、漢字を仮名に開くなどの変更が加えられている。ここでは、原著の表記を踏襲したと思われる『名訳詩集』(西脇順三郎、浅野晃、神保光太郎編、白鳳社、一九六七年)より、漢字のみ新字で引用する。松浦は『文学の本質』において、この詩を「神との隠れん坊」「無邪気なる幼児の詩が、そのまま神を歌う詩となるのに適当する」との読み方を示唆している。

*4:タゴール著作集第一巻、「詩集1」第三文明社、一九八一年

*5:『幼な子の歌 タゴール詩集』日本アジア文学協会、一九九一年