翻訳者は裏切り者――ナボコフ再訪(1)
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この間、翻訳詩について数回に亙って書き継いできたが、そのなかで小説の翻訳の問題にふれて『フィネガンズ・ウェイク』と『白鯨』の名を挙げたところ石井辰彦氏にコメントをいただき、はからずも『白鯨』の数種の翻訳を比較することになった。本棚の奥から本を引っぱりだして久しぶりに繙いたが、翻訳によって受ける印象はけっこう違うものだということを改めて感じた。
翻訳書の書評などで「翻訳とは思えないこなれた文章である」といった称讃や、あるいは日本語で書かれた論文などに対して「まるで翻訳のような生硬な文章である」といった批判が見受けられたが、これは翻訳の文章はいわゆる直訳調でぎこちないという通念を前提にしてのことだろう。かつての観念論哲学の翻訳にそうした傾向があったことは否定できないが、最近の翻訳ではそれほど極端な直訳調は影をひそめたように思われる。異国の言語で書かれた文章はそもそもシンタックスが異なり、さらに文化の違いによる偏差も加わるため、自然な日本語の文章にするためにはどうしてもある程度の「意訳」が必要となる。原文に忠実であるのは原則であるとしても、忠実であるとはどういうことかという点に関しては、詩の場合と同様、小説においてもなかなか一筋縄では行かない問題を孕んでいる。そのあたりについて、とりあえず手近にある翻訳小説を素材に比較してみたいと思う。
ウラジーミル・ナボコフは英米独仏露語を操った創作・翻訳によって<言語の魔術師>と称されたポリグロットで、ジョージ・スタイナーによるとエドガー・ポオの作品のロシア語による迷訳を「迷訳どおりに英語に訳し戻してみせた離れわざがある」*1そうだけれども、そのナボコフの初期の傑作小説『ディフェンス』*2を翻訳した若島正は巻末の訳者解説で翻訳の「基本方針」を次のように記している。
「翻訳の作業では、なるべくナボコフが書いているとおりに訳すことを基本方針とした。翻訳家として名高い柴田元幸氏の名言によれば、翻訳とはいかに作者を裏切るかだという。この言葉は身にしみてよくわかる。それに倣って言えば、わたしはナボコフを裏切りきれなかった。ナボコフと読者のどちらを取るかと言われれば、ナボコフを取らざるをえなかった。読者にとっては読みづらいと思われる文体や、おやと一瞬立ち止まるような言葉も、そのまま残した。とりわけ翻訳者にとって厄介なのは、コロンやセミコロン、それにダッシュを多用しながら延々と続く長いセンテンスで、これを短く切ってしまうとナボコフの文章ではなくなる。コロンだけは目をつむって句点で切ったが、その他は可能なかぎりナボコフの息の長さを忠実に写すことにした。原作の言葉や文章には作者の魂が宿っていて、それを正確に伝えることが翻訳者の使命であり、一般読者といったあいまいな存在のためを思って難しい表現をわかりやすく希釈したりするのは許されないという、ナボコフ自身の翻訳観に立とうとした結果である。」
若島が柴田元幸の「名言」としているのは(むろん若島は承知のうえでだが)、イタリア語のTraduttore, traditore、すなわち「翻訳者(トラドゥットーレ)は裏切り者(トラディトーレ)」という警句を原典とする。翻訳がどうしても原文を裏切らざるをえないとしたら、いかに上手に裏切るかが翻訳者の使命である、というわけである。若島があえて裏切らなかったという『ディフェンス』を原文と比較してみるのも一興だが、ここでは『白鯨』で試みたように、一つのテキストが複数の翻訳者によっていかに訳されているか、その違いから「裏切り」の問題にアプローチしてみたい。
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『ナボコフ短篇全集 1』*3は複数の訳者による「全篇新訳」を謳い文句にした待望の作品集だが、そこから若島正の翻訳になる「博物館への訪問」(The Visit to the Museum)を採り上げる。冒頭の一パラグラフ。
「数年前、パリに住む友人が――やんわりした言い方をすれば奇妙な癖の持ち主なのだが――私がモンティセールに二、三日滞在することを知って、当地の博物館に立ち寄ってみてくれとたのんできた。聞くところによれば、そこにはルロワ・スマイリングが描いた祖父の肖像画が掛かっているとのことで、手を広げながら語ってくれた曖昧な話に、私は正直言ってあまり耳を傾けなかった。余計な他人事に関心がないこともあったが、友人がはたして空想の域にとどまっていられるものかつねづね怪しく思っていたからである。だいたいこんなふうな話だった。日露戦争の当時にサンクト・ペテルブルグの家で祖父が死んでから、パリにあったアパートの所蔵品が競売に付された。いくつかの地を転々とした後で、肖像画はルロワの故郷にある博物館によって買い取られた。そこに肖像画がまだあるかどうか、ぜひ知りたいのだという。あるとしたら、買い戻せるかどうか、そして買い戻せるとしたら、値段はいくらかと。どうして博物館に直接連絡を取らないのだとたずねてみると、何度か手紙を書いたが返事が来なかったそうだ。」
『ナボコフ短篇全集 1』の解説(諫早勇一)によれば、「しばしばカフカ的とも呼ばれる」幻想的な短篇。巻末に、ナボコフ自身の手になる「注釈」(数篇は、ナボコフがロシア語で発表した作品を英訳した息子ドミトリイ・ナボコフによる)が附されている。注釈によれば、この作品は最初、パリで刊行された亡命ロシア人向けの評論誌「現代雑記」に掲載され(一九三九年)、のちに英訳が「エスクワイア」に発表された(一九六三年)。ちなみに『ナボコフ短篇全集』全二巻はドミトリイの編による英訳版を底本にしている。
次に掲げるのは、北山克彦訳「博物館への訪問」*4。原文は同じドミトリイの英訳版(翻訳の底本は、Russian Beauty and Other Stories)。
「数年まえのこと、パリにいる友人が――穏やかに言っても、なにかと変ったところのある人物である――わたしがモンティセールで二、三日過ごす予定なのを知って、その町の博物館に立ち寄ってほしいと頼んできた。そこにルロワ描くところの彼の祖父の肖像画がかかっていると聞かされたという。彼はにこやかに両手を拡げて、いささか曖昧な話をわたしに物語った。白状すると、わたしはその話にろくに注意を払わなかったのだ。ひとつには他人の押しつけがましい用向きはわたしの性に合わないからであったが、主な理由はといえば、この友人が幻想にうつつを抜かさずこちら側にとどまっていられる能力に、わたしがたえず疑念をいだいていたためである。話というのはおよそつぎのような次第である。時は日露戦争当時にさかのぼる。そのころサンクトペテルブルグの家で祖父が亡くなった。そののち、パリにあった祖父のアパートにおかれていた物は競売にふされた。問題の肖像画は、はっきりしない遍歴をいくつか重ねたあとで、ルロワの故郷の町の博物館が取得することになったのである。友人にしてみれば、その肖像画がほんとにそこにあるのかどうか、もしあるとしたなら、買いもどすことが可能かどうか、もし可能ならば、その価格はいくらかなのか知りたいのだという。なぜ自分で博物館に連絡を取らないのかとわたしが訊くと、彼が答えるには、何度か手紙をだしたのだが、一度も返事がきたためしがないということだった。」
次に掲げるのは、小笠原豊樹訳「博物館を訪ねて」*5。原文は同じドミトリイの英訳版で底本は、Nabokov’s Quartet,The Eye)。
「何年か前のこと、パリに住む友人が――控え目に言ってもいろいろ変った所のある人物である――私が二、三日モンティセールに滞在すると聞いて、その町の博物館に寄ってみてくれないかと私に頼んだ。なんでもルロワの筆になる彼の祖父の肖像画がそこにあると聞いたという。笑顔で、両手を拡げて彼はなんだか漠然とした事情を話してくれたが、実をいえば私はろくろく聞いてもいなかった。というのは私が他人の事情に立ち入るのを好まぬこともあるが、この場合はむしろ以前からこの友人に果して幻想の手前で踏みとどまる能力があるか否か、疑わしく思っていたからである。事情というのは、おおよそ次のようなことだった。彼の祖父がサンクト・ペテルブルグの屋敷で死んだのは日露戦争時代のことだが、その後、祖父のパリの住居にあった家具類は競売に出された。件の肖像画は何がしかの不明瞭な遍歴を経たのち、ルロワの生まれ故郷の町の博物館に収められた。肖像画が本当にそこにあるのかどうかを友人は知りたいと言う。そこにあるとすれば買い戻せるかどうか。買い戻せるとすれば、その価格はどのくらいか。直接その博物館に問い合わせればいいと私が言うと、何度も手紙を出したのだが返事が来ないという彼の答だった。」
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三種の訳文に関してそれほど大きな違いはない。文字量でいえば、若島訳が三八四文字、北山訳が五〇三文字、小笠原訳が四二八文字。以前読んだときは小笠原訳がもっとも簡潔であるという印象を受けていたが、文字数では若島訳がもっとも少ない。句点の数でいえば、若島訳より順に九、十二、十一。つまり若島訳がもっともセンテンス数の少ない翻訳である。
ということになれば、原文がどうなっているかを調べないわけにゆかない。次に掲げるのがドミトリイの英訳になるThe Visit to the Museum。邦訳の『ナボコフ短篇全集』が底本に使用したThe Stories of Vladimir Nabokov,Vintage Internationalのpaperback版である。
Several years ago a friend of mine in Paris―a person with oddities, to put it mildly―learning that I was going to spend two or three days at Montisert, asked me to drop in at the local museum where there hung, he was told, a portrait of his grandfather by Leroy. Smiling and spreading out his hands, he related a rather vague story to which I confess I paid little attention, partly because I do not like other people’s obtrusive affairs, but chiefly because I had always had doubts about my friend’s capacity to remain this side of fantasy. It went more or less as follows: after the grandfather died in their St. Petersburg house back at the time of the Russo-Japanese War, the contents of his apartment in Paris were sold at auction. The portrait, after some obscure peregrinations, was acquired by the museum of Leroy’s native town. My friend wished to know if the portrait was really there; if there, if it could be ransomed; and if it could, for what price. When I asked why he did not get in touch with the museum, he replied that he had written several times, but had never received an answer.
原文は約200 words。ピリオドの数は6。コロンが1、セミコロンが2。若島が『ディフェンス』の解説で指摘したナボコフの文体の特徴――「コロンやセミコロン、それにダッシュを多用しながら延々と続く長いセンテンス」はここにも瞭らかである。
そして、若島訳の句点数は九、若島が『ディフェンス』を翻訳する際の「コロンだけは目をつむって句点で切ったが、その他は可能なかぎりナボコフの息の長さを忠実に写すことにした」という「基本方針」はここでもほぼ採用されている(一つのセミコロンをやむなく句点にしている)。この点では、三人の訳者のなかで、たしかに若島がもっとも原文に忠実であり、「裏切り度」が低い。
また、最初のセンテンスのthe local museum where there hungの関係代名詞のつながりを三人の訳者ともそろって句点で切っているが、これはつなげると日本語では冗長になるため無理もなかろう。ついでにいえば、二人の訳者が「にこやかに両手を拡げて」「笑顔で、両手を拡げて」としているところを若島が「手を広げながら」となぜSmilingを略したかは不明である。
翻訳で問題になりそうなのは、my friend’s capacity to remain this side of fantasy.の個所。
若島は「空想の域にとどまっていられるものか」、北山は「幻想にうつつを抜かさずこちら側にとどまっていられる能力」、小笠原は「幻想の手前で踏みとどまる能力」、と三者三様に訳しているが、this side of fantasyのof は同格のof、this side=fantasyだろう。北山訳ではthis sideはfantasyとは対蹠の「現実」を指しているように見えるし、小笠原訳もfantasyの手前の地点を指している。そうすると若島訳がもっとも妥当であるということになるが、この文章の意味を考えると、この友人はややもすると空想が現実を侵蝕しかねないという奇癖のある人物であって、この友人の空想は空想、現実は現実と区別する能力を語り手は危ぶんでいるわけであるから、北山訳も小笠原訳もまったくの誤訳であるとは言い切れまい。
小説のストーリーはこう続く。「私」はたまたま件の博物館を訪ねることなり、ルロワの描く肖像画に出合う。そして、博物館の館長の家を訪れ、その肖像画を買うことができるかどうかを訊ねるが、館長はそんな絵は博物館には存在しないという。たしかにルロワの絵はあるが、それは肖像画でなく田園風景を描いた絵であると。私は館長と一緒に博物館へと出向く。展示室を次々と経巡っているうちに私は一種の迷路に迷い込む。ある部屋の扉の向こうから人々の拍手喝采するざわめきが聞こえ、扉を開けるとそこは劇場ではなく、偽造の霧に乳白色にかすむ雪化粧のほどこされた街路である。
「もう私は、取り返しのつかないことに、今自分がどこにいるのかわかっていた。悲しいかな、ここは記憶の中にあるロシアではなく、現在の事実としてのロシアであり、私が足を踏み入れることを禁じられた、絶望的なまでに隷属的な、絶望的なことに私の祖国なのである。」(若島正訳)
「現在の事実としてのロシア」とはソヴィエト連邦であり、亡命作家ナボコフにとってソ連は禁じられた祖国である。私は逮捕され、怖ろしい苦難を体験することになるのだが、もはやそれについては語るまい。他人の馬鹿げた頼みごとは引き受けまいと誓ったことを述べるにとどめよう、と語って物語は終る。hopelessly slavish, and hopelessly my own native landと畳掛ける措辞は、かりそめのレトリックにとどまらない。
このカフカ=ボルヘス的な幻想的小説にあってなお祖国へ寄せるナボコフのアンビヴァレントな思いはそこここに顔をのぞかせる。博物館の中でさまよい、館長と別れていわば幻想の世界へと迷い込む入り口に位置するのが機関車の模型である。
「彼はもう姿を消していた。ふり返ると、一インチと離れていないところに、汗をかいた機関車の背の高い車輪があった。帰り道を探そうとして、私は長いこと鉄道の駅の模型のあいだでうろうろしていた。扇状の濡れた線路のむこうには薄闇の中で菫色の信号がなんと奇妙に光っていたことか、そして私の哀れな心臓がなんと痙攣に震えたことか! 突然またすべてが一変した。」(同)
読者は、ナボコフィアンの読者は、思い出さずにいないだろう。「初恋 First Love」の――自伝的作品『記憶よ語れ Speak,Memory: An Autobiography Revisited』の一章に組み込まれることになる美しい短篇「初恋」の冒頭に登場する、ネフスキイ通りにある旅行代理店に飾られていた呆れるほど精密に作られた国際線寝台車の三フィートもある模型を。サンクト・ペテルブルグとパリとを結ぶその列車で、ナボコフは幼年期に何度も(少なくとも五度は)旅行したのだった。列車の模型は、ナボコフにとって幼少の幸せなひとときの回想へと彼を誘なうマドレーヌ菓子なのである。
だが、その祖国は今はもう失われて幻想の中にしか存在しない。現実はhopelessly my own native landなのである。ナボコフにとってthis side of fantasyにremainするとは、まさに「失われた時」を求める行為にほかならない。this side of fantasyをめぐって書かれた一篇の小説の冒頭に、登場人物=友人の性癖にかこつけて主題をさりげなく提示するのはいかにもナボコフらしい手口である。先に誤訳であるとは言い切れないと書いたけれども、「幻想にうつつを抜かさずこちら側にとどま」ると訳すのは別の意味でナボコフを裏切ることになるだろう。この小説はなによりも「幻想にうつつを抜か」すこと――to remain this side of fantasy――を描いた小説なのだから。
【追記―5月29日】
nagorinoyumeさまより、this side of〜は「一歩手前の」の意味の熟語であるとのご教示を戴いた。仰せの通りである。辞書を引く労を惜しんだ私の至らなさである。北山克彦、小笠原豊樹両氏にお詫びするとともにご教示くださったnagorinoyumeさまに感謝致します。
というわけで、上記の私の仮説は水泡に帰した。日頃の与太話と違い、こういう文章は慎重に検証してからアップしなければならない。これは自戒。
ナボコフの小説がときに「失われた時」を求めるノスタルジックな色彩を帯びることがあるのは確かであるけれども、この作品の冒頭に「登場人物=友人の性癖にかこつけて主題をさりげなく提示した」という仮説は修正しなければならない。
「私」は、幻想の手前で踏みとどまる友人の能力を危ぶんでいたのだが、あろうことか私自身が幻想の向こう側へと踏み込んでしまった。幻想の手前で踏みとどまる能力をもたなかったのは私だった。これはfantasyのthis sideとother sideをめぐる小説であるということを、冒頭に「登場人物=友人の性癖にかこつけて提示した」という仮説はどうだろう。だけど、これじゃ当たり前すぎてちっとも面白くないですね。
しかし、こうしていろんな仮説を組み立ててみることに読書の醍醐味があるということには、きっとnagorinoyumeさまも同意してくださると思うが、如何。
*1:ジョージ・スタイナー、由良君美他訳『脱領域の知性』河出書房新社、一九七二年
*2:ウラジーミル・ナボコフ、若島正訳『ディフェンス』河出書房新社、一九九九年
*4:ウラジーミル・ナボコフ、北山克彦訳『ロシア美人』新潮社、一九九四年
*5:ウラジーミル・ナボコフ、小笠原豊樹訳『四重奏/目』白水社、一九六八年