胡桃の中の夢


  人間はすべて夢だけを信じて生きてゐるのである。人間に信ずる事が出来るのは夢だけだからだ。 ――小林秀雄


                                  
 三月のある晴れた日の午後、私は三十年ぶりに母校の小学校の校門をくぐった。卒業して以来はじめて訪れる校舎はすっかり様変わりし昔日の面影をとどめていなかった。建物ばかりではない、そこに集ったかつての少年少女たちもまた一様に中年と呼ばれる年代に差しかかり、過ぎ去った茫茫たる歳月をいやでも私に思い起こさせた。校長と来賓のおきまりの挨拶が終わり、私たちは講堂を出た。
 仲春のやわらかな陽射しが降りそそぐ校庭で、屋外に出た開放感とこれから始まるもう一つの儀式への期待に誰もが頬を上気させているように見えた。私たちは校庭の片隅にある大きなポプラの木の下に集まった。三十年前の今日、卒業式の記念に埋めたカプセルを掘り出すために。私たちは「将来の夢」と題した作文が収められているカプセルに向かって黙々とシャベルで土を掘り起こした。


 「ぼくの将来の夢は大きなキャンピングカーを買うことです。それで北海道から九州まで、日本中の川で釣りをしながら暮らします」 


 カプセルから出てきた私の作文にはそう書いてあった。六年生の夏休み、私は毎日のように釣竿をかついで方々の川へと出かけ、あたりが薄暗くなるまで帰ろうとしなかった。大きくなったら釣った魚を食べながら日本中の川を旅して暮らそう、私は本気でそう考えていたのだ。 
 私の脳裏に少年の日の夢想が鮮やかに甦ってきた。来てよかったと思った。晴れがましい場所になど行きたくないと渋っていた私の背を押して出席を促してくれた妻に感謝した。十二歳の少年の夢はいずれ胡桃の殻のように頑丈な現実の前で粉々に砕け散ってしまうだろう。だが夢を見たという事実は時を超えて今もしっかりと残っている。リストラで解雇され萎れていた私のこの二つの掌の上に。

 少年よ――。人生は時につらく、生きるに値しないという思いにいずれ見舞われることもあるだろう。だが少年よ、夢を見ることを決して放棄してはならない。 Every dog has his day. 私はかつての少年である自分に心の中でそっと呼びかけた。
 どんな犬にも晴れの日がある、と。