〔Book Review〕レベッカ・ブラウン/柴田元幸訳『若かった日々』


 『体の贈り物』『私たちがやったこと』などで、若い女性たちを中心に多くの読者に熱い共感と感動をもって迎えられたレベッカ・ブラウンの最新短篇集。
 一人の女性の思春期の頃の家族の思い出、性のめざめなどが、この作家特有の繊細で喚起力に満ちた文章で綴られる。自伝的な作品といっていいだろう。
 集中「魚」は、父に寄せる娘の複雑な感情を描いて、精巧な手工芸品を思わせる。
 釣りの名人で、大きなバスを釣り上げて雑誌に写真を掲載された父。父といっしょに行った魚釣り。水槽で飼っていた熱帯魚……。鎖編みのようにつむがれてゆく幼い頃の思い出が水槽の魚のクローズアップでフェードアウトし、着陸した飛行機の機内からタラップに降り立とうとする十四歳の「私」にフェードインする。
 母と離婚して別の女性と再婚した父をたずねてやってきた私は、父と新しい妻との三人で、海水浴に行ったり、料理を作ったりして、一週間ほどの休暇を過ごす。
 深夜、TVで戦争映画を見ているときに元海軍軍人だった父が、戦争中に立てた手柄を妻に自慢する。だがそれが嘘であることを私は知っている。
 「そんなのデタラメだよ、父さん。あたしが知らないとでも思ってるの」
 父に対する反発が堰を切ってあふれ出し、私は家を飛び出してしまう。
 呼び戻しにきた父は、車に釣り道具を積み込んで私を深夜のドライブにつれ出す。しばらく走ったあと、二人は岸辺に並んで座り、波に揺れる釣り糸を黙って見つめる。
 シチュエーションこそ異なるが、小津安二郎の映画『父ありき』の、親子の釣りの場面を思わせる情感のあるシーンだ。
 私は父の助けを借りて、大きな魚を釣り上げる。「ありがとう、父さん」と私は父に言う。「ほんとに。ありがとう」
 父には「ありがとう」の本当の意味がわかっていない。だが私にもその言葉の意味はわかっていなかったろう。言葉にならない感情は時としてこうした形で表出されざるをえないのだ。
 私は釣り上げた魚を戻したいと父に言う。父は何故かと問う。「何が望みなんだ?」父は私に訊くが、私にも「何が望みなのか、自分でもわからなかった」
 父は魚を水にほうり投げる。白い魚が一瞬宙で月の光に輝いた――。
 一匹の魚が天を搏つ鮮やかなストップモーションで小説は幕を閉じる。
 「父との和解」というテーマは多いが、これほど抑制した筆致で愛憎の両面感情を表現しえた傑作は少ない。翻訳は感情の襞を見事に伝えて間然するところがない。


             (「マリ・クレール」2005年2月号掲載)
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若かった日々

若かった日々