海辺にて――バリー・ユアグローに、再び


 思いがけずまとまった休みがとれたので、私は旅に出ることにする。わずかばかりの着替えをつめたバッグを手に、行き先も定めず汽車に乗る。
 窓際に席をとり、頬杖をついて流れゆく風景を眺める。固い座席に座っているのに厭きたころ、窓外に海が見えてくる。気の向くままに汽車を降り、ここで一泊することに決める。
 駅の案内板で見つけた宿に荷物を置き、私はふらっと散歩に出かける。松林を抜けて海辺に出ると、若い女性がひとり佇んでいる。潮風に吹かれて長い髪がさらさらと揺れている。頬にかかる髪をときおり指でかきあげながら、彼女は水平線のかなたをじっと見つめている。
 その愁いをふくんだ横顔に惹かれて私はしばらく眺めている。彼女は私に気づき、顔をわずかにこちらに傾けて軽い会釈をおくってくる。私も会釈をかえし、ゆっくりと彼女に近づいて行く。
 「お邪魔してすみません」と私は声をかける。彼女は微笑みを浮かべたまま「いいえ」と頭をふる。彼女の髪が風になびく。松の小枝がかすかに風に鳴っている。
 私は彼女とならんで海を見つめる。遠くで一艘のヨットが波間に漂っている。白い帆が日の光を浴びてきらきらと輝いている。
 「旅をしていらっしゃるの?」
 海を見つめたまま彼女は小さな声で私に問いかける。
 「ええ」と私がこたえると、「行きたいところへ自由に行けるってすてきね」とかすれた声で彼女はささやくように言う。
 なにか事情があって彼女はこの土地から離れられないのだろうか、と私は思いをめぐらせる。「あなたは旅行をなさらないのですか」と私は遠慮がちに問いかける。
 しばしの沈黙ののち、彼女は口をひらく。
 「私はここを離れられないの」
 どうして、という私の質問にはこたえず、彼女は海を見つめたまま独白する。
 「ここで生まれて、雨の日も風の日も暑い日照りの日も、ずっとここで海を見てきたわ。もう八十年にもなるかしら。いいえ、もっとたっているわ。私はいずれ誰にも知られずここで朽ちていくのよ。そんな人生、あなたは想像したことある?」
 私は彼女の深い哀しみにうたれて返す言葉もない。
 「自由ってすてきね」彼女はかすれた声で繰り返す。
 彼女の髪が風になびく。松の小枝が風に鳴っている。
 私は「お邪魔してすみません」と小さな声で言い、その場をそっと離れる。そんな人生を想像したことがあるだろうかと心の中で自問しながら。