今夜、喫茶「鍵」で会いましょう
――蝌蚪生るる中島らも氏より生るる 西原天気
取っ手を引くと扉はギギッと悲鳴を立てながら開いた。一歩足を踏み入れると、小学校の教室のような懐かしい臭いが鼻をついた。煤けて黒光りのする木の床には油が布かれているのだろう。
焦茶のチョッキに蝶ネクタイ、銀髪を肩まで伸ばしたマスターが、カウンターの中で「いらっしゃいまし」と深々とお辞儀をした。「あ、いや、どうも」私は口の中でもごもごと呟きながら、マスターの差し出す鍵を受け取った。鍵に附けられた木札には「ほの参拾壱」と書かれていた。
明り取りの小さな窓を除いて三方の壁面すべてを――いや、マスターの背後の壁をも――大小さまざまな抽斗が埋め尽していた。私は「ほの参拾壱」と墨書された抽斗に鍵を差し込みくるっと一回転させて取っ手の金具を手前に引いた。
抽斗の中には、いろんな形をした書物や冊子が行儀よく並んでいた。古ぼけて表紙の取れかかった和本、パラフィン紙で丁寧に包装された袖珍本、何かの獣皮で装幀された洋書。私は比較的新しそうな小さな冊子を抜き取って席に着いた。マスターが珈琲を運んできた。この店にある唯一の飲物だ。私は珈琲を一口啜り、冊子をぱらぱらとめくってみた。
アチャコやらエノケンやらアラカンやらといった懐かしい名前を詠み込んだ俳句が並んでいる。さらにめくると、「中島らもが死んで、少し悲しい。」という文章が目にとまった。読み進めると、地方都市の図書館か博物館のような空気の澱んだ木造の喫茶店のことが書かれていた。その架空の喫茶店の「壁という壁はすべて大小様々な引き出しでできていて、そのすべてに鍵がかかっている」そうだ。私は深い溜息をついた。またいつもの幻覚が始まりそうな予感がした。
冊子から顔を上げるとマスターと目が合った。その目はどこか遠く――此の世の外を見ているようであり、また、何ものも見ていないようでもあった。
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*掲出句は『西原天気人名句集 チャーリーさん』より。蝌蚪(かと)は、おたまじゃくしのこと。
この八十頁ばかりの袖珍本には、西原(さいばら)氏の人名句五十一句と、句友十数名による人名エッセイとが収録されている。
山本勝之氏の「中島らも 喫茶・鍵」は、「中島らもが死んで、少し悲しい。」の一文で始まり、中島らもがチチ松村との対談で語ったという「喫茶・鍵」の話が続く。
「ガラス窓から差し込む西日。BGMはもちろんない。ときおりコーヒーカップと皿が擦れ合う音、引き出しの鍵を廻す音、引き出しの中からなにかを取り出し、席に着く客の足音、そして深い溜息が聞こえるだけだ。
入り口の古い木のカウンターの向こうには、白髪の中島らも。深々とおじぎをして『いらっしゃいまし』と、あなたに、引き出しの鍵を差し出すのだ。」
この私家版の句集『チャーリーさん』(2005.1.1刊)は、注文すると無料で送付してくれるそうだ。
HP<俳諧俳句浮御堂> http://www5f.biglobe.ne.jp/~tabularasa/ まで。