夢にまぎれぬ――正徹管見
1
折にふれ正徹の『草根集』を繙いている。いつも懇切なコメントを寄せてくださるnagorinoyumeさまより恵与された翻刻本のコピーである。原本は、ノートルダム清心女子大学国文学研究室古典叢書刊行会が黒川文庫や正宗文庫の蔵本を翻刻した四巻本で、春夏秋冬恋雑及び補遺の無慮一万数千首を収める(正徹五十二歳の砌、草庵を焼失し、それまでの詠草をすべて失ったという。その数、二万首とも三万首とも伝える)。達磨歌として名だたる正徹の歌が注釈なしで一頁に十五首から二十首近く並んだ千頁たらずのコピーの束は菲才を茫然とさせるに充分で、量のみならずその難解さはいっそ爽快ですらある。
正徹の偉さに気づいている人は少なく、正徹の詩人としての価値はまだ埋もれたままである、と西郷信綱が慨嘆したのは今からおよそ半世紀前のことであるけれども、事情は今でもさほど変っていないかのようで、「心ひそかに彼を中世第一の詩人に擬している」*1と述べた西郷を始め、塚本邦雄、安東次男、那珂太郎ら錚々たる歌人詩人の鍾愛にも係らず正徹が江湖に遍く知られるに至らないのは、その難解さもさることながら家集の手頃な刊本や研究書のないことにもよるだろう。
上述の『草根集』は非売品であるし、明治書院の私家集大成や和歌文学大系、角川の新編国歌大観に収められたものにしても一般読者には聊か敷居が高かろう。研究書もあるにはあるがいずれも専門書であり、筑摩の「日本詩人選」シリーズで刊行を予定されながら未刊に終った那珂太郎の「正徹」が出ていたらと口惜しく思っていたところ、このほど村尾誠一による『残照の中の巨樹 正徹』*2が新典社の「日本の作家」シリーズの一冊として刊行された。同書は中世和歌を専門とする村尾が一般読者向けに書き下ろした評伝で、『草根集』、『正徹物語』などを読みときながら正徹の事績を手際よくまとめた好著である。
2
室町幕府の重臣で冷泉派の重鎮、今川了俊の下で正徹は和歌を学び、源氏物語を学んだ。王朝の御世は遥か往時、「人の言葉」も変り「今は人のなべては知らぬことのやうに」なってしまったと正徹自身書くほどであったが(紀行文『なぐさめ草』)、かつて藤原俊成が源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなりと断じたように、正徹にとっても源氏は和歌をつくるうえで大きな霊感の源泉であった。そのあたりを正徹は『なぐさめ草』でこう記す(引用は村尾の同書より)。
「ことさらこの物語は、心の用深ければ、これを心底に浮べれば、おのづから風骨となりて、言葉のほかに、心ざし見えぬべきかなと愚意に存ずるばかりなり。」
その実例を次の歌に見ることができると村尾は引例する。
咲けば散る夜の間の花の夢のうちにやがてまぎれぬ峯の白雲
この歌は若紫巻の光源氏の歌、
見ても又逢ふ夜まれなる夢のうちにやがてまぎるる憂き身ともがな
を本歌とする。だが、しかのみならず、藤壺の返歌、
世語りに人や伝へんたぐひなく憂き身をさめぬ夢になしても
をも念頭に置いていると正徹は自注する(歌論書『正徹物語』)。正徹の言わんとするところは「この本歌とそれを取り巻く人間ドラマが、この落花の歌の背後にある」ということだ、と村尾は言う。聊か長くなるがそのまま引いておこう。
「ある意味では単純な落花の世界の背後に、これだけの濃密な人間ドラマがあるのであり、それが透かし見えることが「幽玄」の実現なのだということになろう。しかし、二つの世界の距離は大きく、言葉の重なり以外には唐突な印象もまのがれまい。それが結びついて行く理由には、「夢のうちにやがてまぎるる」という事態が、物語とはいえ生々しい人間関係の切実さから切り離されて、美的な観念的な事態として抽象化されるということが、中世という時間の経過の中でなされたという事情もあろう。源氏物語自体が本来そうであった生々しさを削ぎ落とし、美的に観念化されて享受されていったという事情も考えるべきだろう。当然変質はともないながらも、源氏物語は正徹達の美の典拠として働いていたのである。」
村尾は書いていないが、正徹の「峯の白雲」には藤原俊成の有名な歌、
面影に花のすがたを先だてて幾重越えきぬ峯の白雲
のイメージもまた揺曳していたにちがいない。あるいは自ら定家宗を任じ、定家を軽んずる輩は罰を蒙るぞと書くほどの定家狂いの正徹のことゆえ、夢の浮橋に取材した定家の、
春の夜の夢の浮橋とだえして峯にわかるる横雲のそら
も当然思い浮かべていたであろう。こうして先行する様々な作品を綴れ織りにしたインターテクスチュアルな作品として正徹の歌は餘情=複雑な陰影を帯び、ときに(正徹自身も自覚するように)難解であると批判されもしてきた。村尾の言う「唐突な印象」もそのあたりの機微を指してのことだろう。
先行するテクストを引用するとき、原典のコンテクストから切り離されて一種の抽象化が行われるというのは、むろん村尾の言うとおりだろう。だがそれと同時に原典のコンテクストもまた自ずとその背後について回る――三十一文字の背後に源氏の一巻を「透かし見」させるパランプセストとしての和歌、それが本歌取りによる「餘情妖艶」、定家=正徹のめざした風骨であるといえばあまりに現代的解釈に過ぎようか。
3
光源氏の歌は、藤壺と密通する場面で詠まれる。それに対する藤壺の返歌をともども歌の背後に置くとはいかなる意味か。ここは正徹自身の原文に就くに如くはない。正徹は自身の歌を「幽玄躰の歌也」と言い、源氏の歌を「幽玄の姿にて有る也」としてこう述べる。
「「見ても又逢ふ夜稀なる」とはもともと逢はず、後にも逢ふまじければ、「逢ふ夜稀なる」とは云ふ也。此夢が覚めずして夢にてもはてたらば、やがてまぎれたるにて有るべき也。夢の中とは逢ふをさしたる也。此逢ふと見えつる夢中に、やがて我身もまぎれて夢にてはてよかしと也。」*3
どうせめったに逢えないなら、稀に逢った夢の中でそのまま夢にまぎれて果てたいものだ、という夢とうつつとの往還。夢の中でオノレ・シュブラックのように消滅したいという願望は現代の幻想小説にも通じる主題である。それはさておき藤壺は、我が憂き身を覚めない夢になしても(死んでしまっても)人は語り草に伝えるでしょう、と返す。正徹は藤壺の返歌を「「夢の中にやがてまぎるゝ」の心を能く請け取りて〔詠〕みし也」と評したのち、自らの歌を注釈する。
「「咲けば散る夜のまの花の夢のうちに」とは、花を咲くかと見れば夜のまにはや散るもの也。あけて見れば雲はまぎれもせずしてあれば、「やがてまぎれぬ嶺の白雲」とは云ふ也。夢のうちとは咲き散るうちをさす也。」
正徹はそれ以上に言葉を費やさないが、源氏が「やがてまぎるる」と詠んだのを受けて「やがてまぎれぬ」と詠った心こそ、正徹が源氏物語の「人間ドラマ」を歌の背後に置くことの意味でなければならない。
後水尾院が「寄雲恋」で「うしやただ人の心も白雲のへだてぬ中と思はましかば」と詠んだように、白雲はあるものと別のものとを隔てる象徴としてよく用いられる。正徹が「まぎれぬ峯の白雲」と詠んだのは、夢のうちにもまぎれはしない、二人の仲は決して隔つことがない、あの白雲でさえまぎれもせず峯にかかっているように、の思いを込めたからではあるまいか。
夢とうつつとの境界を詠んだ正徹の歌と、紀貫之、源氏物語とのインターテクスチュアルな関係を那珂太郎はこう指摘する*4。
「たとへば「遠恋」と題する正徹の秀逸の一首、
思ひ寝の夢路を遠みさめゆけば分けこしむねにさわぐ篠原(ささはら)
夢の中の風景と、醒めたあとの現実との境界は溶融し、「さわぐ篠原」は夢の中のものか現つのものか分かちがたいのであるが、この歌の発想の源に、貫之の次の歌を想定しないわけにはいかない。
夢路にも露やおくらん夜もすがら通へる袖のひぢて乾かぬ
ここでは眠りながら恋情に濡らす袖の涙を、「夢路にも露やおくらん」と見立てたにとどまるが、この歌と『源氏物語』「総角」の巻の「世の常に思ひやすらむ露深き道のささ原分けて来つるも」とを重ね合せれば、その複合体としての正徹の歌が紛れやうもなく浮び上つてくるだらう。」
那珂太郎は別のところでこの正徹と源氏との比較についてこうも述べる*5。
「この「総角」の巻における匂宮が、現実の恋人宇治の中君のもとに通ふさまをのべたイメェジを、正徹は夢幻の世界に転位し、夢とうつつとの相互浸透する幽玄の境を創り出したのではないか。思ひ寝の夢の中で、恋人のもとへ通ふ道をいそぐのだが、道のりのあまりの遠さにしだいに目がさめる。夢に胸元でかき分けて来た篠原が、目ざめてのちもなほ胸さわぎのやうにさやぎつづけ、今、眼前の風景として揺れてゐる、と。」
正徹の「峯の白雲」一首が手繰り寄せる世界は思いのほか輻輳しているかのようで、その周囲に召喚された歌を列挙すれば華麗な詞華集が出来あがる。
見ても又逢ふ夜まれなる夢のうちにやがてまぎるる憂き身ともがな 源氏物語
世語りに人や伝へんたぐひなく憂き身をさめぬ夢になしても 源氏物語
咲けば散る夜の間の花の夢のうちにやがてまぎれぬ峯の白雲 正徹
面影に花のすがたを先だてて幾重越えきぬ峯の白雲 俊成
春の夜の夢の浮橋とだえして峯にわかるる横雲のそら 定家
思ひ寝の夢の浮橋とだえして覚むる枕に消ゆる面影 俊成卿女
ささがにのくもでにわたるこの世かな一すぢ遠き夢の浮橋 正徹
思ひ寝の夢路を遠みさめゆけば分けこしむねにさわぐ篠原 正徹
夢路にも露やおくらん夜もすがら通へる袖のひぢて乾かぬ 紀貫之
世の常に思ひやすらむ露深き道のささ原分けて来つるも 源氏物語
あたかも差異を生じつつ無限に反復するポリフォニックなテクストの永久運動を見る思いがするといえば、これもあまりに現代的解釈に過ぎるだろうか。
なお、本稿は前々回ナボコフについて書いたのと同様の素人考えに過ぎない。思いがけぬ誤り、勘違いもあるにちがいない。ご教示を賜れば幸甚に存ずる次第である。
- 作者: 村尾誠一
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