小中英之――その4

 さて、永田和宏の後任として書評紙Nの短歌時評を担当することになった小中英之は、当時、まもなく不惑を迎える頃だったろうか。永田や福島泰樹ら、まだ青年の面影を宿す若手歌人たちの兄貴分といったところで、かれらを「カズヒロ、ヤスキ」と名前で呼ぶのがならいだった。NHKの人形劇「チロリン村とクルミの木」の人形遣いをやったり(クル子を主に扱った)、銀巴里でシャンソンを歌ったりしたこともあると聞いたが、人形遣いはともかくシャンソンを歌う小中英之を想像するのは困難だった。二十代の私にとって小中英之は世話好きで人懐っこい笑顔の中年男だった。
 私は月に一度、原稿を受け取るために小中と会い、決まっていろんな酒場へ連れて行かれた。詩人や歌人たちがよく通っていたという新宿の<詩歌句>、そして<エイジ>。新宿駅中央口近くの<五十鈴>は、入り口を入るとカウンターがぐるりととぐろを巻いており、中に白い割烹着を着たおばさんたちが数人忙しげに立ち働いているおでん屋で、椎名誠もよく通っていたという*1
 私はいまでは酒場に出入りすることも絶えて久しいが、新宿三丁目の末広通りを横に入ったところにある<どん底>で飲んでいたときだったと思う。夜も更け、神奈川県の大和市に住んでいた小中はもう終電がなくなっていたのかもしれない。これからいっしょに知り合いの家に行こう、と新宿から私鉄で何駅か先のとあるマンションへ連れて行かれた。迎えてくれたのは同じ短歌結社「短歌人」に所属する藤森益弘だった。私たちは藤森の部屋で雑魚寝をした。最近の短歌について、歌人たちについて熱っぽく語る小中と藤森の声を聞きながら、なにやら学生時代に戻ったかのような錯覚に私はとらわれていた。

 藤森は三一書房の「現代短歌体系」が新人賞を募集した際に「弑春季」という作品で最終候補に残り、参考作品として掲載された。当時、藤森は二十五歳。選者の一人である塚本邦雄が次点のトップに挙げたが、もう一人の選者中井英夫が選考座談会で語っているように、「明らかに塚本さんの影響下の作品」であり「抜群に才能はあると思うものの」塚本はひとりいればいいとの理由で入選を逸した。藤森はこの「弑春季」の一部を含む第一歌集『黄昏伝説』(短歌人会)をのち、一九七八年に刊行している*2


 滅びつつある夏の日に哀しみを風媒のごと弾くホロヴィッツ
 緩(ゆる)びゆく季の傷みを支へゐむわが身を春の砦となして
                      『黄昏伝説』


 藤森は先述の歌誌「アルカディア」で短歌評論の健筆を振るうが、やがて短歌と訣れ、二〇〇三年、第二十回サントリーミステリー大賞の優秀作品賞を受賞する。小説のタイトルは上掲の歌から取られた『春の砦』(文藝春秋)であった。

 ちなみに、この「現代短歌体系」に「七竈」という作品で応募し、中井英夫の「冥府から釋迢空と三島由紀夫が相談して送ってよこした」との最上級の頌辞とともに新人賞を受賞したのが二十歳の青年石井辰彦であった。石井の入賞作品及び次席、入選作品を含む新人賞作品、夭折歌人集、現代新鋭集を収めた「現代短歌体系」第十一巻は、学生の頃、塚本邦雄を通じて現代短歌に出合った私が、中井英夫の『黒衣の短歌史』(潮新書)とともに当時最も耽読した歌書であった。夭折歌人集には、相良宏や小野茂樹、塚本の盟友であった杉原一司らの作品が、現代新鋭集には平井弘、村木道彦、福島泰樹らの作品が収められてい、私はこの見事な詞華集を舐めるように読んだ。とりわけ気に入り、いつも口遊んでいたのは新人賞作品の次のような歌であった。


 ギリシャ悲劇の野外劇場雨となり美男美女美女美女美男たち
                     長岡裕一郎「思春期絵画展」

 「高キ高キ空ニテ滅ブ鳥アリ」と電文届く新緑の候
                     岩田憲生「岬日記」

 青空(そら)のほか撃ちしことなき拳銃を地図に向ければまた海の青(あを)
                     斎藤昇「紫婚葬祭」


 石井辰彦が新人賞の入選作家たちを集って始めた同人誌「UTA-VITRA」*3の購読を、私は石井の自宅に現金書留で申し込んだ。いまにつづく短歌誌「雁 映像+定型詩」が、編集人冨士田元彦の自宅を発行所に創刊されたのもその少し前のことで*4、私は冨士田の自宅にも定期購読かバックナンバーの購読かを申し込んだが、のちに編集者になってから会った冨士田にその話をすると、冨士田は私の名をよく覚えていると言った。
 石井は新人賞受賞後十年を経た一九八二年に、受賞作品及び「UTA-VITRA」や「雁 映像+定型詩」に掲載された作品による第一歌集『七竈』を深夜叢書社から刊行する。コルターサルの小説『石蹴り遊び』ばりに歌集のもう一つの読み進め方をあとがき(NOTES)で提示したり、本体にない「副歌集」を貼り函のカバー袖に印刷したりといった凝ったつくりに石井らしい衒いの表れた歌集である。


 貝寄する風とや今朝は濱に多(さは)に敷くにことかきただ櫻貝
 この夜さり命(いのち)すら凪ぎ我君(あぎみ)我君(あぎみ) 君と想はむ深海の魚(いを)
 血塗れの卓布には皿皿には肉肉にはさらに血をそそぐ朝
                         『七竈』


 石井とは、それから十数年後に思いがけない出会いをすることになった。
                      (この項つづく、敬称略)

春の砦

春の砦

*1:『かつをぶしの時代なのだ』集英社文庫

*2:解説を書いたのは小中英之。小中自身の第一歌集『わがからんどりえ』は、この時まだ刊行されていなかった。刊行は翌年の三月。

*3:一九七四年七月創刊

*4:一九七二年一月創刊