小中英之 ――その3

 手元に「アルカディア 現代短歌+評論」と題された歌誌がある。小池光、滝耕作、藤森益弘、松平修文、以上四名の歌人編集委員を務める季刊商業誌である。奥付に、昭和54年12月15日発行とある創刊号*1
 創刊号では、評論、座談会、歌人へのアンケートによる「70年代から80年代へ」という特集を組み、四人の編集委員がそれぞれ力作――小池、松平は短歌、藤森、滝は連載評論(滝の「現代歌人論」第一回は小中英之論)――を寄せている。ほかに、松本勝貴、道浦母都子樋口覚らの短歌、藤原月彦の俳句(句集の標題となった「貴腐」十五句)、平出隆の詩、それに短歌、俳句、詩の時評など、百頁足らずの冊子に詩歌各ジャンルを視野におさめようとする編集委員たちの意欲が溢れている。かれらの念頭には「80年代の『ジュルナール律』を」との思いがあったのかもしれない。

 ちなみに、この一年前には、かつての「ユリイカ」編集長、小野好恵編集による芸術綜合誌「カイエ」が創刊され、一、二号と続けて「80年代文学へ向けて」「80年代芸術へ向けて」の特集を組んだ。狂騒の六〇年代が過ぎ、停滞の兆しが芽生えつつあった七〇年代後半、状況をいかに打開するかが共通の問題意識であったのだろう。それは「カイエ」創刊号の「いま文学について、情況について、一体何が語れるだろう。あらゆる価値や権威がなしくずしに相対化された贅肉だらけのこの時代に、誰れが希望を語れるだろうか」といった編集後記や、「アルカディア」特集の滝耕作の、「(70年代に)時代の痛みを負い、不安を抱えつつ、なおかつ疎外された人間性を救出し得るような、根源的な回復能力を身に帯びた文学はどれだけ私たちの眼の前に提出されたのか」(「70年代とは何であったか」)といった言葉に如実に表れている。
 こうした聊か紋切り型の慷慨調に今では鼻白む思いもしなくはないが、この思いの切実さだけは疑いえない。ただその「切実さ」が、ややもするとある種の性急さを呼び込む結果となっていることもまた否定できまい。
 たとえば、「アルカディア編集委員のひとり松平修文は、「七十年代若手歌人の登場」と題した創刊号の短歌時評で、「角川書店の新鋭歌人叢書あたりを契機として、若手歌人の歌集が盛んに出されるようになった」として、福島泰樹、小中英之、滝耕作、三枝浩樹、吉岡生夫らの歌集を挙げて次のように論じる。


「 遠景をしぐれいくたび明暗の創のごとくに水うごきたり(わがからんどりえ)

 小中の感受性の鋭さが、なだらかな調べが、季節と交感する心のやわらかさが魅力的ではあるものの、それが安東次男の言うように例え現代の歌が見失ったものであるとしても、短歌の新しい可能性を切り開いていくような予感がここには薄い。個人的な詠嘆の世界に充足してしまっているように思われる。篠が微視的観念の小世界の具体例として小中の作品を挙げているのもわかる気がする」


 松平は一方、福島、滝、三枝、吉岡の歌を一首ずつ掲出し、


「これらの歌に、美と真と善の一体化をめざす、人間的なものの回復をめざす共通の営為があることを見逃がすわけにはいかない。これらがどのように結実するかこそが、八十年代の課題である。ともあれ、私たちの使命は、人間を短歌をもって解体してゆくことである。どこまで裸の人間を描くことができるか、ぎりぎりまで追いつめてみることの他にないだろう」


と述べる。松平の言う「短歌の新しい可能性」が奈辺にあるかを窺うことができる文章である。
 しかし、「現代の歌が見失ったもの」を取り戻すことが「短歌の新しい可能性を切り開」くことにつながらないわけではなかろう。むろんそれは松平の想定する「新しい可能性」と異なるものではあるけれども。

 安東次男が小中英之の『わがからんどりえ』に寄せた解説にいま一度立ち返ってみよう。安東は書いている。


「私にしてみれば英之の歌に、現代の歌人たちが見失ったものを取戻してくれるかもしれない、という期待をかけている。曰く、季節であり、それと根を一にした言葉や物名の良さである。と言えばかれの足を引張り、歌を枯れさせることを畏れるが、それぐらいのことで死語のなかに溺れるようなら、歌など作らなくてもよい。小中英之の感受性のしなやかさを以てすれば、そうはならぬはずだ」


 安東の言う「死語」とは、この解説の前段に関わる。安東は小中の、


 きさらぎの雪にかをりて家族らは帰ることなき外出をせよ


を引例して、


「(この)一首は、<きさらぎの雪にかをりてうかららは帰ることなき山踏をせよ>と作り直したくなる。歌が現代のものだということは、「うから」「山踏」の内容は「家族」「外出」だと読取らせることにあって、この古めかしい言葉の外延を猶予想外のところまで拡げて見せることにある。「うから」だの「山踏」だのがただ古ぼけて見えるような連中は、歌(詩)など作る資格も読む資格もないのだ、と割切った方がよい」


と述べる。安東の批評はどこまでも真っ芯をつらぬいている。安東のいう「言葉の外延を猶予想外のところまで拡げて見せること」が短歌の、否、文学の「新しい可能性を切り開」くことにほかならないのは自明であろう。「美と真と善の一体化をめざす、人間的なものの回復をめざす」といった紋切り型のアドバルーン以上の文学の要諦がここに語られている、といっていい。
 なによりも、私の愛誦措く能わざる松平修文の、


 水につばき椿にみづのうすあかり死にたくあらばかかるゆふぐれ
 末黒野(すぐろの)に立つつむじかぜ針さしに針刺してゐる母には告げず 
 少女らに雨の水門閉ざされてかさ増すみづに菖蒲(あやめ)溺るる 
                            (『水村』雁書館)

といった歌こそ、自身の述べる空疎な標語とは無縁の、言葉の「新しい可能性を切り開い」て見せた現代の歌にほかなるまい。

 「アルカディア」創刊号の「私にとって短歌とは何か――70年代の回顧と80年代への展望」と題した座談会での大林明彦の発言、


「小中さんは大正期のロマンチシズムみたいな感じがしてね。もう少し時代と格闘してほしいという気がしてね」


に対する、編集委員のひとり藤森益弘の、


「僕はそうは思わないね。小中さんの歌はまさに現在的(三字傍点)であり、現在の僕たちが直面せざるを得ない問題や抱えざるを得ない哀しみを、小中さん自身の戦い方で押し進めていると思うよ。小中さんの歌の美しさ(三字傍点)に惑わされちゃいけない。彼も、彼の歌も、もっとしたたかですよ」


との言葉は、小中と同じ短歌結社に属し小中に薫陶を受けた者だけあって、理解の行き届いた発言であると言えよう。
 編集後記によれば、この「アルカディア」という誌名は藤森の発案によるものだそうだが、ところで、私が藤森と出会うことになったのは小中英之の紹介によってであった。
                              (この項つづく、敬称略)

*1:版元は沖積舎、定価780円