失われた書物


 当時、わたしはブエノスアイレスの郊外に滞在していた。建築学の勉強のためにアルゼンチンの大学に留学していたのである。二年間の留学期間もあとわずかを残すばかりで、大学に提出する論文の執筆に日々追われていた。
 ある日、わたしは市街電車に乗って同じく町外れにある市立図書館へ出かけた。ウィトルウィウスからアルベルティをへてル・コルビュジエにいたる建築理論の歴史的素描が論文のテーマであったが、機能主義を極限にまで廃した純粋建築に関する章を書きあぐねていた。ユトレヒトの巨匠と称された建築家ヴェルドゥーセンについての資料が不足していたからだ。
 わたしは図書館の書架をひとわたり調べてめぼしい文献がないことを確かめると、書庫の蔵書カードを検索した。だが、このさして大きくもない図書館には、わたしの研究に資する文献は生憎と所蔵されていなかった。論文の提出日は間近に迫っていた。あきらめて市の中心にある国立図書館へ行ってみようかと思案しつつ、念のためにと司書に尋ねてみた。
 「ヴェルドゥーセンについて何か参考になる本は所蔵されていないでしょうか」
 司書は、スイスの時計職人のような繊細な手つきでわたしのやった作業を精確に反復したのち、申し訳なさそうに首をふった。
 「残念ですが、ヴェルドゥーセンについて参考になる本を当館は所蔵していません」
 あらかじめ予期してはいたが、その答えはわたしを落胆させるに充分だった。途方に暮れているわたしの背後から呟くようなしわがれた声が聞こえた。
 「オルガヌム・アルキテクトゥラエ・レケンティス」
 その呪文のような言葉はわたしを震撼させた。それはまさにわたしが捜しているヴェルドゥーセンの唯一の著書の題名にほかならなかった。振り返るとひとりの老人が立っていた。
 「もし、きみの都合が許すなら」老人はニコリともしないで言葉を継いだ。「わたしの家へいらっしゃい。そうすればきっときみの役に立つだろう」
 わたしは一瞬ためらった。見知らぬ土地で見知らぬ人の家を訪なうことへの漠然とした懼れがわたしの心中を領したからだ。だが相手は老人だ。いざとなればなんとか逃げ出すこともできるだろう。なによりわたしは切羽詰まっていた。これから国立図書館へ行っても目当ての本が見つかるという保証はない。この千載一遇の機会を逃すと必ずや後悔するにちがいない。わたしは老人のあとに従った。
 図書館からさして遠からぬ場所に老人の家はあった。まるで眼孔を窪ませた頭蓋骨のように、半円アーチ状の窓が扉の左右にシンメトリカルに穿たれたファサードは、騎士にして幾何学者ジョヴァンニ・スケッリーノ風の折衷主義建築をわたしに思い起こさせた。
 そして書斎に招じ入れられたわたしを圧倒したのはその途轍もない蔵書の量だった。造りつけの書架が四、五メートルはあろうかという天井まで三方の壁全面を領し、整然と隙間なく並べられた書物の背表紙はあたかも壁に直接描かれた奇妙な紋様を思わせた。
 呆然と見とれているわたしに、老人は子供をあやすように問いかけた。
 「ホーソーンの〈人面の大岩〉という話を知っているかな」
 わたしはホーソーンが何者であるかさえ知らなかった。首をふるわたしに頓着せず老人は重ねて問いかけた。
 「ほら、よく見てごらん。なにが見えるかね」
 わたしは目を凝らして壁を見た。すると書物の背表紙によって描かれた壁の紋様からふいにある絵柄が浮かび上がってきた。それはいまにも獲物に襲いかかろうと身構えている獰猛な虎の姿だった。わたしが、虎、と呟くと老人は頷いて、目を細めてもっとよく見るんだ、といった。いわれたとおりに再び壁を凝視すると、それはいつのまにか獲物をくわえて天翔る鷲に姿を変えていた。心理学かなにかの本で見た若妻と老婆のように、地と図の見方を変えればそれはまったく違った絵柄に見えるのだった。思わず嘆声を発したわたしにかまわず老人は書架へ歩み寄ると、鷲の羽根を一本無造作に引き抜いてわたしに差し出した。獣の皮革で装幀されたその堅牢な書物の表紙をめくると、そこには「オルガヌム・アルキテクトゥラエ・レケンティス」と標題が記されていた。
 わたしは慌ただしく頁を繰った。わたしの論文にとってそれは必要かつ充分な記述だった。だがなぜ西班牙語で書かれているのだろう、訝しく思うわたしの心中を見透かしたように老人はいった。
 「むかし、わたしが図書館勤めで暇を持て余していたころ戯れに訳したものだ。役に立ちそうかな」
 わたしは数日、いや一日でかまわないからこの本を拝借できないだろうか、とおずおずと申し出た。驚いたことに老人は、よければその本は進呈しよう、といった。わたしの視力は遠からず喪われるはずだ、もう二度と読み返すこともなかろう。つづけてなにやらわたしの知らない外国語で呟いた。怪訝そうな顔のわたしに、老人は羅甸語でこういう意味だと付け加えた。

――書物はそれを真に必要とする者のところに自ずから居場所を定む。

 恐縮しているわたしに、老人はお茶の用意をさせているから飲んでいくようにとすすめた。もはや先ほどの警戒心はすっかり忘れて、メイドの出してくれたマテ茶を啜りながらわたしは建築の勉強のために日本からやってきたこと、執筆中の論文のことなどを憑かれたように話した。どういう脈絡でそんな突拍子もない話題になったのかいまでは皆目見当もつかないが、赤穂浪士の討ち入りについて延々と熱弁をふるったりもした。おそらく僥倖に我を忘れていたのだろう、気がつくと思いがけず長居をしていた。わたしは繰り返し礼を述べ暇乞いをした。
 老人から献呈された本のおかげでなんとか論文を仕上げることができたわたしは、帰国する前にもう一度礼を述べたいと思い老人の家を訪ねたが、生憎と老人は不在で会うことは叶わなかった。帰国したわたしはある大学に職を得て、以来、建築学の研究に没頭してきた。
 二度と会うこともないだろうと思っていた老人を再び目にすることになったのは、それから三十年もたったのちのことである。
 ある日、新聞を読んでいると、あの老人の顔が思いがけず目に飛び込んできた。三十年前に一度きり、それも数時間ともに過ごしただけであったが、あの鬱蒼と繁る森のような書架とともに老人の容貌はわたしに忘れ難い印象を残していた。件の老人の顔写真が添えられた記事は、アルゼンチンの生んだ世界的に著名な文学者の死を悼んだものだった。わたしは建築学以外にはなんの知識もない学者莫迦で、況んや文学などとは縁なき衆生である。その高名な文学者の名にも聞き覚えがなかった。わたしは勤務する大学の同僚から、その文学者の著書を数冊借りて読んでみた。そこには、全宇宙をその中に包含する鶉の卵ほどの大きさの球体のある地下室の話、実在する土地や人物や書物と架空の土地や人物や書物とがまことしやかに同居する幻惑的な物語、そういった読む者を目眩く迷宮へと誘なう綺譚が充ち充ちていた。「Historia universal de la infamia」と題された歴史上のアウトローのエピソード集には、ビリー・ザ・キッドや詐欺師、女海賊に伍してなぜか吉良上野介に関する挿話も含まれていた。
 記憶の底から、整然と並べられた蔵書に囲まれた聖ヒエロニムスのような老人の佇まいが鮮やかに甦ってきた。だがそれと同時に、奇妙なことにあの三十年前の出来事は果たして現実に起こったことなのかどうか、わたしには甚だ曖昧に思われてきた。この高名な文学者は慥かに実在する(いまではもう幽冥相隔たったが)。だがあの老人は?
 わたしは老人の書架とは較ぶべくもない貧弱な書架を慌ただしく捜しまわった。一時間以上かけて隈無く捜したが、老人から贈られた書物はどうしても見つけることができなかった。捜し疲れたわたしの脳裡に老人の言葉が天啓のように谺した。

――書物はそれを真に必要とする者のところに自ずから居場所を定む。

 あの書物はわたしの知らないうちにわたしの手をはなれ、いつのまにかそれを真に必要とする誰かの手に渡ってしまったにちがいない。一瞬そんな埒もない考えが頭を過ぎった。奇怪な物語を読みすぎたせいかもしれない。だが、あの日の出来事、そして三十年の時を隔てた邂逅、といったささやかなエピソードもまた、あるいはこの高名な文学者ホルヘ・ルイス・ボルヘスの書物のどこかにすでに書かれているにちがいないという確信が心中に急速に萌しはじめるのをわたしはとどめることができないでいた。

<追記>
 ホルヘ・ルイス・ボルヘスは一九八六年六月十四日、八十七歳で亡くなった。してみると三十年前は五十七歳だったことになる。わたしの出合った老人――新聞の写真と生き写しの老人は少なくとも七十歳は越えていたように見えた。蛇足を承知で附記すれば、「Historia universal de la infamia」すなわち「汚辱の世界史」は一九三五年に刊行された。ボルヘス齢三十六のときである。