「落合秋草堂」掌録
古本の世界は面白い。
たまたま通り掛った古本屋に探している本がありそうな予感がして店へ入るとちゃんとある。電車のなかで読んでいた本に面白そうな本が紹介されていて読みたいと思い、電車を降りて古本屋へ入るとその本が棚に並んでいる。そういう経験には事欠かない。ずっと買おうか買うまいかと迷っていた本を思い切って買いに行くと、店晒しになっていた本にもかかわらず売り切れている。棚の前で一瞬迷っていると横から手が伸びて攫われる。隠秘哲学には興味があるが超常現象を売物にするTVのオカルト番組にはまったく関心はない。しかし、古本の世界にはたしかにシンクロニシティが日常茶飯に起こるのである。
これもその一つ。
ある古本屋で物色していると『砂上の画』という會宮一念のエッセイ集が目についた。手に取ると見返しに新聞記事の切抜きが数葉折り畳まれて挟まっていた。開いてみて驚いた。會宮が朝日新聞に連載した「落合秋草堂」四回分が含まれていたからである。私がかつてこのブログで触れた*1、結城信一が『石榴抄』で紹介し、小中英之が短歌時評で取上げた連載記事である。ありふれた偶然であると思われるかもしれないが、「落合秋草堂」の切抜きが挟まった『砂上の画』は、おそらくこの世に一冊しかあるまい。それが私の手に落ちる確率は、さて、どれほどのものだろう。この思いがけぬ出遭いを奇貨としてその本を購入したのはいうまでもない。
新聞記事の切抜きは、ほかに佐伯祐三との交友にふれた會宮自身の随筆「佐伯の声」と、もう一葉、本書『砂上の画』の無署名書評があった。この書評の結びに次のような一文がある。
「著者は不幸にも数年前より失明状態にあるが、その中で以前と変わらぬ文章をものするとはさすが多年の修練のたまもので、短編小説の名手上林暁が「真の達人」(『幸徳秋水の甥』)と評価するのもうなずける。」
前回書いたように、『幸徳秋水の甥』の書評者は上林の文章を、病を得て「いよいよ平明簡潔になっている」と評しているが、この評者も會宮について上林の同著を引きながら同様の評価をしている。おそらく同一人物の手になるものだろう。
ちなみに上林の「真の達人」は、會宮の随筆集『みどりからかぜへ』内容見本に寄せた短文で、脳出血の上林と眼疾の會宮を並べて「二人の達人」と評した田宮虎彦に対して「會宮さんこそ真の達人である」と記したもの。
『幸徳秋水の甥』と『砂上の画』とは別々の時期(数年の間隔がある)に同じ古書店で手に入れたもので、あるいは同じ人の蔵書であったかと思ったが、切抜きの扱いぶりをみるとそうではないようだ。
「落合秋草堂」切抜きの第四回にこういう文章がある。
「昭和一七年一月、奈良の寺巡りと長崎に実父の跡を訪ねようとした。会津は上司海雲と永見徳太郎への紹介状をくれた。お蔭で学生のときの大和旅行後、久々で諸菩薩や天邪鬼に接した。観音院には会津の書、海潮音が掲げてあった。(略)上司とは一昨年死ぬまで交友を得た。」
いま私は入江泰吉の仏像写真を蒐めた本を編集しているのだけれども、入江は東大寺観音院住職の上司海雲とは幼馴染であった。上司の紹介で入江は会津八一、杉本健吉、小林秀雄、志賀直哉、亀井勝一郎らと相識り「天平の会」を結成する。亀井の『大和古寺風物詩』は、入江に奈良の仏像の撮影を志させた本だった。
これもささやかなシンクロニシティの一つであるといえようか。
*1:2006-02-12「来嶋靖生――生命の吐息の歌」/2006-12-10「結城信一と会津八一」