恋しくば

 あの人は突然やってきた。
 そんな印象があるけれど、たぶんそれは事実じゃないだろう。前もって父から話があったにちがいない。だけどぼくの記憶のなかでは、ある日突然、風のようにあの人はぼくの前にあらわれたのだった。
 ぼくは、小学五年生だった。いつものように近所に住む同級生と連れ立って下校し、玄関を開けるとあの人がいた。
 「――ちゃん」真っ白なエプロンをしたあの人は、ちょっと眩しそうな目でぼくを見ると、微笑んでこういった。「よろしくね」
 ぼくはどう返事をしたらいいのかわからず、ぷいと踵を返すと二階の自分の部屋へ駆け上がった。心臓がどきどきしていた。白いエプロンが、目に痛いようなエプロンの白さだけが、いつまでも目に焼きついていた。
 その夜のことは記憶にない。朝、登校するぼくを手をふって見送ってくれた姿、店で客の応対をしていた姿がきれぎれに記憶に残っている。
 ぼくの家は小売り酒屋を営んでいた。店にくる客に酒やビールを売ったり、電話で受けた注文の品を父がライトバンで届けたりする小さな商いだ。当時はコンビニやスーパーなどなく、近所に競合相手もなかったせいか、それなりに繁盛していたのだろう。ぼくと父、そして祖母がつましく暮らすだけの収入はあったと思う。
 母は、ぼくが二年生のときに亡くなった。忙しそうに立ち働いていた姿、小学校の入学式に出席するために着物を着てぼくの手をひいてくれた姿(大きな桜の木の下で撮った記念写真が残っている)、母の記憶といえばそれぐらいだ。かまってもらえなくて淋しい思いをしたという記憶すらない。母が死んでからは、祖母が店番をするようになった。客がくるたびに「よっこらしょ」とかけ声をかけて立ち上がる祖母の声がいまでも耳に残っている。
 夕方になると、近所の男たちが入れ替わり立ち替わりコップ酒を飲みにやってきた。男たちは立ったままコップの冷や酒を一気に喉に流し込み、カウンターに小銭をおいて立ち去った。何人かでやってきて、カウンターにもたれて雑談しながら飲む客たちもいた。
 時折、客の相手をしているあの人の声が居間まで聞こえることもあった。男たちの野太い声にまじってひときわ高いはなやかな笑い声がした。さっさと飲んで帰ればいいのに。薄暗い茶の間でテレビアニメを見ながらそう思ったことを憶えている。茶の間で青白く発光するテレビの画面と店から洩れてくる嬌声だけが、古いノートのインクが滲んで判読しがたくなった文字のようにぼんやりと記憶の片隅に残っている。
 立ち飲みの客が途切れると手早く店を閉め、ぼくたちは夕飯の食卓を囲んだ。祖母と父とあの人とぼく。店が閉まっているのをみて勝手口から酒を買いにくる客もいた。あの人は食事を中断して店へ酒を取りに立ち、客に手渡すとまた食事をつづけた。食事が終わると、あの人は店の後片づけにとりかかった。ぼくが布団に入ってもそれはまだ終わらなかった。
 いつだったか、祖母が近所の小母さんと話しているのを聞いたことがある。
「いい人が来てくれて助かりました」
 そんなふうなことを祖母は何度も何度もあきずにしゃべっていた。小母さんはぼくに「あたらしいお母さんができてよかったね」といったけれど、ぼくはあの人をお母さんだと思ったことはなかった。父は「お母さん」と呼ぶように強制しなかったし、ぼくも話しかける必要があるときは「あの」とか「ねえ」とか曖昧にすましていた。
 母が死んですでに三年の歳月がたっていた。言葉は使わなければ封印されて地面の底深く埋められてしまうのだ。掘り起こすには時間がかかる。


 あの人が家へやってきて三か月ぐらいたった頃だろうか、いや半年後かもしれない、ぼくと父とあの人とで動物園へ行ったことがある。電車に乗って三十分ほどのところにある、公園に付属した小さな動物園だ。珍しい動物といえば麒麟と犀ぐらいで、観覧車とメリーゴーランドが申し訳程度に付いていた。
 ぼくたちは小春日和のなか、お弁当を持って檻のなかの動物をながめながら散策した。そのとき初めてあの人を間近で見たように思った。ぼくはあの人をお母さんと呼んでもいいような気がした。いまならお母さんという言葉がなんの抵抗もなく出てくるような気がした。
 ぼくたちはベンチに腰掛けてお弁当を開いた。食べ終わると一服している父を残し、ぼくとあの人は近くの檻を見に行った。
 「――ちゃん」
 あの人がぼくを手招きした。狐の檻の前にあの人はいた。
 「わたし、狐を見るといつもお母さんを思い出すの。生き別れたわたしのお母さん」
 あの人は檻の中の白い狐を見ながら自分に語りかけるようにそういった。あの人にもお母さんがいて、この空の下のどこかで暮らしているということが、ぼくにはひどく不思議なことのように思えた。
 「お母さんがね、狐に姿を変えてわたしに会いにきたような気がするの。会いにきたのはわたしのほうなのにね」
 そういってあの人は小さく微笑んだ。それから低い声でなにか唄うようにつぶやいた。ぼくはその横顔を見ながら、思いきって声に出してみた。
 「お母さん」
 「そう、わたしのお母さんよ」
 あの人はぼくの呼びかけを相槌だと勘違いしたらしかった。
 ちょっとおどけたように狐に「お母さん」と呼びかけて、ぼくを紹介した。
 「――ちゃんです」
 ぼくはなんだかいたたまれないような恥ずかしさで血が逆流した。ぼくはあの人を睨みつけると檻の前から駆け出した。
 あの人と父が公園の隅でうずくまっているぼくを見つけたのは、もう日が暮れかかろうとする頃だった。強い口調で叱責する父からあの人はぼくをかばってくれた。
 「ごめんなさい。からかったわたしが悪かったの」
 ぼくは、そうじゃないそうじゃないんだ、と胸の内で繰り返すばかりで、涙があふれて言葉にならなかった。
 それから数日後、あの人はぼくたちの前からふいに姿を消した。ひと言のあいさつも書き置きもなく。洗濯して糊付けした真っ白なエプロンがきれいにたたんで置いてあった。
 ぼくはあの日の動物園での出来事が原因だと思い、取り返しのつかないことをしてしまったような思いにとらわれた。その思いはそれから何年ものあいだぼくを苛んだ。
 父も祖母もあの人のことはいっさい口にしようとしなかった。祖母は、客が来るたびに「よっこらしょ」とかけ声をかけて立ち上がり、家の中は何事もなかったかのようにあの人がくる前にもどった。


 それからまた何年かが過ぎた。ぼくは高校三年生になっていた。ある日、指名手配中の殺人犯が時効寸前に捕まったという記事が新聞に出ていた。犯人は整形をして全国を転々と逃げ回ったすえ、北陸の温泉町で仲居をしているところを逮捕されたと報じられていた。記事に付された写真は記憶のなかのあの人にどこか面影が似ているような気がした。
 近所の人たちがぼくの家にやってきてはあの人の噂をした。ぼくは、そうじゃない、と胸の内で訴えたが、口には出さなかった。もう涙は出なかった。
 ぼくは電車に乗り、あれ以来一度も行ったことのない動物園へ出かけた。記憶をたどりながら狐の檻をさがした。檻は見つかったが、生憎と狐はいなかった。あの人と一緒にどこかへぷいと姿をくらましたにちがいない。何もいない檻の前に立っていると、あの人の低く吟唱する声が聞こえてくるような気がした。


 恋しくばたづねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉


 それが浄瑠璃の一節だとわかったのは、それからまた三年のちのことである。