〔Book Review〕マーティン・グリーン/塚本明子訳『リヒトホーフェン姉妹』


 時は十九世紀後半、所は鉄血宰相ビスマルク治下のドイツ帝国
 プロイセン将校であったフォン・リヒトホーフェン男爵家に三人の娘が生まれる。ともにたぐいまれな美貌をうたわれたが、本書の主役をつとめるのはエルゼとフリーダの二人の姉妹。
 姉のエルゼは十七歳で小学校の教師になり、学資を得てハイデルベルク大学に入学する。世界的な社会学マックス・ウェーバーの下で博士号を取得し、ウェーバーの弟子エドガー・ヤッフェと結婚する。一方、五つ下の妹フリーダは十九歳で、十五歳年上の英国人大学教授と結婚し、三人の母となる。
 ここまでは順風満帆であったが、やがて舞台に一人の男が登場し、姉妹の運命を大きく左右することになる。
 精神分析学者フロイトの高弟で早熟の天才オットー・グロス。幼い頃から王子のように育てられ、金髪碧眼、長身で物腰は高貴、猛禽のような鋭い表情と陶器のような繊細な肌をもっていた。植物学の研究から精神分析学に転じ、カール・G・ユングと並び称されるにいたる。コカインや阿片を常用し、性の革命を唱えて複数の愛人を妊娠させたり自殺用の毒を与えたりした悪魔的なアンチ・ヒーローである。多くの作家が彼を小説に登場させたというけれど、さもありなん。だれか描かないかな、少女漫画で。
 さて、このオットーの結婚相手がエルゼの寄宿学校時代の親友。当然、エルゼはオットーと知り合い、たちまち深い仲となる。このときエルゼは二児の母だった。そして、姉を通じてオットーと知り合ったフリーダもまたオットーと深い仲となる。おっとっと。
 エルゼはオットーの子を産むが、この三角、いや四角関係は長くは続かなかった。エルゼは師ウェーバーと愛し合うようになり、フリーダは夫の教え子である作家D・H・ロレンスと出会い、二か月後には夫と三人の子供を置き去りにしてドイツへ駆け落ちする。ロレンス二十六歳、フリーダ三十一歳、風薫る初夏のことである。
 ダブル三角関係だのダブル不倫だの駆け落ちだのと、まるでニンフォマニアのようだけれど、これら自由な性愛の一切合財は当時のドイツを支配する父権制への反抗にほかならなかった、と著者はいう*1。「時代精神ツァイトガイスト)はまさにエロスであった」
 エルゼは、夫とウェーバーの死後、ウェーバーの弟の社会学者アルフレートと同棲する。フリーダはロレンスの死後、ニューメキシコのタオスでどこか父の面影を宿す年下の男と同棲し*2、ロレンスの伝記を執筆する。伝記のタイトル『私ではなくて 風が…』*3は、ロレンスの詩の一節から取られたものだ。 


 私ではない、私ではない、私を吹き抜けてゆく風が!
 「時」の新たな方角へ爽やかな風が吹いている
 風にわが身をゆだねたら、もしも風が私を連れ去ってくれたなら!


 フリーダとロレンスが手に手をとって英仏海峡を越えたとき、二人はタイタニックの舳先に立つケイトとレオのように、吹き抜けてゆく新しい風を全身に感じていたにちがいない。
 その風は半世紀後、体制に反抗する大勢の若者を巻き込んで世界中を吹き荒れるだろう。「どれだけ弾丸が飛んだら戦いは終わるのだろう…答えは、友よ、風に舞っている」とボブ・ディランが歌った1960年代にも。

                   (「マリ・クレール」2003年6月号掲載)
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リヒトホーフェン姉妹

リヒトホーフェン姉妹


【後記】
 フリーダやオットー・グロスが一時出入りしていたのがミュンヘン郊外のシュヴァービングにある芸術家村。小説家・画家・詩人・神秘主義者たちが集まって、日夜、乱痴気騒ぎに明け暮れ、「ドイツのモンマルトル」の異名をとっていた。コロニーの一郭にある建物の屋根裏部屋で若きトーマス・マンが『ブデンブローグ家の人々』を書き、のちに『モモ』の作家として有名になる幼いミヒャエル・エンデが両親に連れられて移住していたという。
 その世紀末ボヘミアン文化の中心で「ボヘミアンの女王」と崇められていたのが美貌の元伯爵令嬢フランツィスカ・ツー・レーヴェントロー。彼女は詩人で未婚の母、のちにシュヴァービングを舞台にした小説『ダーメ氏の手記』(抄訳が『ミュンヘン 耀ける日々』国書刊行会に収録)を書くことになるが、リヒトホーフェン姉妹に劣らぬ恋多き女性であった。彼女の取り巻きにはリルケ、ヴェーデキント、ゲオルゲ、クラーゲス等々錚々たる人士が名を連ねていた(マーティン・グリーンによれば「フランツィスカがフリーダを刺激して、エロス的自由への道へと誘ったのであった」)。
 フランツィスカは一時期、作家のフランツ・ヘッセル(のちにパリに移住し、ヴァルター・ベンヤミンと友人になる)とアンリ=ピエール・ロシェとの三角関係にあった。ロシェはまた別のある女性をめぐってドイツ人青年と三角関係にあり、のちにそれを『ジュールとジム』という小説に書くことになる。そしてセーヌ川沿いの書店でたまたまその小説を見つけた二十一歳の青年がのちにそれを原作に一本の映画を撮り、ヌーヴェルヴァーグの金字塔となる。邦題を『突然炎のごとく』という(グリーンはフランツィスカがカトリーヌ(ジャンヌ・モローが演じた)であると本書「第二版への序」で書いているが勘違いだろう)。
 シュヴァービングの芸術家コロニーは、やがて舞台をスイスの寒村アスコーナに移し、この地のモンテ・ヴェリタ(真理の山)に、作家のヘッセ、カフカ、心理学者ユングダダイストフーゴー・バル、舞踏家のイサドラ・ダンカンらが集うことになる。ちなみにイサドラが身につけていたチュニックは、エロスを規範とした母権性社会の象徴であった。
 シュヴァービングからアスコーナへ。『リヒトホーフェン姉妹』を書いた俊秀マーティン・グリーンが次に手がけた本がこのカウンター・カルチャーのムーヴメントをテーマにした『真理の山 アスコーナ対抗文化年代記』(平凡社)であったのは当然といえるだろう。


 *フリーダとロレンスに関しては、中村佐喜子『ロレンスを愛した女たち』(中公文庫)、シュヴァービングの芸術家村については、山本定祐『世紀末ミュンヘン ユートピアの系譜』(朝日選書)、ヘルムート・フリッツ『エロチックな反乱 フランチスカ・ツー・レーヴェントローの生涯』(筑摩書房)を参照。ユングを中心としたアスコーナの「エラノス会議」については、種村季弘「アスコーナ架空紀行」、高山宏「すべてはエラノスに発す」等々を収録した論集『エラノスへの招待』(平凡社)、上松安敏『神話と科学』(岩波現代文庫)が詳しい。

*1:思想的支柱となったのがJ・J・バッハオーフェンの『母権論』みすず書房、『母権制序説』ちくま学芸文庫

*2:「のちにフリーダが言ったところによると、彼女は彼がロッキー山脈をどう思い、ロッキー山脈が彼をどう思うかをみてみたかったのだそうである」

*3:弥生書房刊