〔Book Review〕絲山秋子『海の仙人』

 本書は、二〇〇四年二月に刊行された『イッツ・オンリー・トーク』につづく絲山秋子の二冊目の単行本、前回の芥川賞候補になった中篇小説である。
 主人公の河野勝男は宝くじで大金を手にし、会社を辞めて敦賀で一人暮らしをしている。海沿いの古い家の床に砂を敷きつめて、日がな一日釣りをして過ごす、仙人のようなミザントロープ(孤客)である。
 勝男は、カーキ色のジープに乗った中村かりんと出会う。かりんは、大手のハウスメーカーで設計課長を務める、勝男より五歳上の三十八歳。長い髪に切れ長の目、べっ甲の眼鏡をかけたナナ・ムスクーリ似の美人だ。二人はやがて愛し合うようになるが、岐阜に住んでいるかりんとは遠距離恋愛、さらに勝男は幼い頃のある出来事がトラウマとなり、セックスレスの関係である。
 このメイン・ストーリーに、もう一人の女性・片桐妙子がからむ。妙子は勝男のかつての会社の同期で、休暇をとって敦賀に勝男を訪ねてくる。
 真紅のアルファロメオGTVから上体を乗り出して、クラクションを鳴らしながら、「どっこに目ェつけてんだよ! カッツッオ!」と、だみ声で怒鳴る「ワイルド」な登場ぶりが印象的だ。
 勝男と妙子は、それぞれの目的をもって車で北陸へ一緒に旅立つのだが、二人に随行するのがこの物語の狂言回し、ファンタジーと呼ばれる「神様」である。神様といってもきわめて世俗的、お好み焼きに舌鼓を打ち、ラブホテルのカラオケで「セックスマシーン」を歌いもする素ッとぼけた奴だ。
 敦賀から金沢、新潟へと、彼らの旅はさながらロードムービーの珍道中だ。ひと夏の短いセンチメンタル・ジャーニーの終わりとともに一転、物語は篤い病いを得たかりんと勝男との永遠のわかれに向かってゆるやかにすべりだす。
 ほとんど神話的と言いたいような静謐なラストシーンをもつこの恋愛小説にあって、ひそかに勝男に思いを寄せる妙子の存在はたんなるコメディ・リリーフにとどまらない。むしろ一篇の真のヒロインというべき精彩を放っている。
 デビュー作で前々回の芥川賞候補作「イッツ・オンリー・トーク」を評して、山田詠美は「主人公のやさぐれ方に魅力がある」と絶讃したが、今回の芥川賞候補となった「勤労感謝の日」の主人公も、そしてこの片桐妙子もまたきわめて「あっぱれ」なやさぐれぶりだ。やさぐれ「負け犬」キャラを描かせて絲山秋子は天下一品である。
 川端賞を受賞した大傑作「袋小路の男」もつづいて年内には刊行されるはずだ。デビューして一年余りの新鋭だが、もはや風格さえうかがえる。次回の芥川賞絲山秋子がとるだろう*1長井秀和じゃないが、「まちがいない」。


             (「マリ・クレール」2004年11月号掲載)
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海の仙人

海の仙人

*1:阿部和重の『グランド・フィナーレ』が受賞した。候補に挙がるような作品を発表しなかったからである。いずれとるだろうが、とらなくても実力は周知のとおり。