オンリー・コネクト――バッハマン、ツェラン、アメリー



 日がな一日のんべんだらりと過している。本を読み、映画を見、家事をし、また本を読む。その繰返しで一日が過ぎ、一週間が過ぎ、ひと月が過ぎる。時のたつのが早い。Time flies by. 時は翼をもつ。翼をもたないわたしは時に置き去りにされ呆然と立ちすくむ。


 「思ってもみないところで、思いがけない名を聞く」。わたしにも覚えがあることだが、これは長田弘の「錬金術としての読書」というエッセイの冒頭の一節だ(『本に語らせよ』)。
 長田弘が出遭った思いがけない名はインゲボルク・バッハマン。韓国映画『誰にでも秘密がある』(2004)で、チェ・ジウが本を読んでいる。それを見たイ・ビョンホンが声をかける。「インゲボルク・バッハマン?」。初めての出会いの場面――。
 韓国の若者がバッハマンを読んでいてもなんら不思議はないけれど、やはりちょっと虚を突かれるところがある。有村架純がバッハマンを読んでいたらどうだろう。ちょっとキュンとするかも。まあ、チェ・ジウ有村架純だからかもしれないけれど。
 長田弘は書いている。


 「バッハマンが不慮の死をとげたのは一九七三年。いくつかの忘れがたい詩と物語をのこしたきりのウィーンの詩人の名が、その名を知っている人ならば信じられるというふうにして、ソウルの映画の現在にさりげなくでてくるおどろき。」


 その本を好きな人ならきっと好きになる。あなたがどんな本を読んでいるか言ってごらん、あなたがどんな人間か言い当ててみせよう。


 バッハマンの短篇集『三十歳』の邦訳が出たのは1965年、白水社の「新しい世界の文学」シリーズの一冊としてだった。生野幸吉訳。前年には野崎孝訳のサリンジャーライ麦畑でつかまえて』が同シリーズで出ている。二冊目の邦訳、長篇小説『マリーナ』が1973年、これは晶文社の「女のロマネスク」シリーズの一冊だった。神品芳夫・神品友子訳。このシリーズではゼルダフィッツジェラルドの『こわれる』が青山南訳で出ている。そして30年後の2004年に『ジムルターン』の邦訳が出る。「バッハマンはいまも知られていないが、いまも忘れられていないのだ」と長田弘は書いている(2011年にはバッハマンの全詩集が中村朝子訳で青土社から出た)。
 『三十歳』はちょうど一年前に松永美穂による新訳が岩波文庫から出て読んだのだけれど、『ジムルターン』の邦訳が出ているのは知らなかった。Amazonで取り寄せる。こういう本は都心の大きな書店に行っても並んでいるかどうかわからない。『ジムルターン』は大羅志保子訳、鳥影社の「女の創造力」シリーズの一冊。バッハマンは「シリーズ」に縁が深い。
 まずは訳者あとがきに目をとおす。こういう箇所に目がとまる。


 「第五話のなかに、主人公エリーザベトが、フランス語の名前だが実はオーストリア出身でベルギーに住んでいる男性の『拷問について』というエッセイを読んだとき、トロッタが何を言おうとしていたのかを理解したという個所がある。」


 『ジムルターン』は短篇集で、第五話は「湖へ通じる三本の道」という集中もっとも長い作品。


 「そのエッセイを書いた当人のジャン・アメリーはこの個所を読み、『ジムルターン』について万感胸に満ちた書評を書き、バッハマンが埋葬される前日に手向けの一文を寄稿したばかりか、一九七八年十月十七日バッハマンの命日に、ザルツブルクで命を絶った。二人は直接会ったことはなく、純粋に文学を介しての交信であった。」


 『ジムルターン』は1972年に刊行されたバッハマン最後の作品集で、ドイツ批評界の大御所ライヒラニツキらに酷評されたが、読者に支持されたという。「本のなかに織り込まれていたかもしれない「遺言」を理解したのは、まさに読者自身であった」(訳者あとがき)。主人公エリーザベトはバッハマン自身が投影された人物で、拳銃で自殺する亡命者トロッタはセーヌ河に投身自殺する詩人パウル・ツェランがモデルとされる。バッハマンは22歳の初夏、シュルレアリスト画家エドガー・ジュネの家でツェランと知り合い恋におちた。


 ジャン・アメリー。「思ってもみないところで、思いがけない名」ではないけれど、バッハマンとアメリーとのつながりに一瞬虚を突かれ、すぐさま了解する。ああ、ジャン・アメリーか、と思う。
 W・G・ゼーバルトの批評集『空襲と文学』(鈴木仁子訳)に「夜鳥の眼で――ジャン・アメリーについて」がある。アメリーはプリーモ・レーヴィとおなじアウシュヴィッツの収容所にいたことがある(そして二人とも過酷な強制収容所生活を生き抜いたのちに自ら死を選ぶ)。ゼーバルトアメリーについてこう書いている。「彼は自身と自身のような人間に対して加えられた破壊に、戦後二十五年以上にもわたって、文字どおり頭を占拠されていた人間だったのである」と。そしてこうも書く。「いったん犠牲者になった者は、いつまでも犠牲者にとどまりつづける。『私は今なお宙づりになっている』とアメリーは書いている。『二十二年後の今なお肩の関節がはずれたまま、床の上にぶらさがっている』」と。
 アメリーが、肩の関節がはずれたまま宙づりになっているというのは、比喩であると同時に現実そのものでもある。後ろ手に縛られたまま鎖で床から1メートルの高さに宙づりにされ、アメリーの両肩は自分の重みで脱臼した。「拷問はラテン語の「脱臼させる」に由来する。なんという言語的明察だろう!」(アメリー『罪と罰の彼岸』)。
 バッハマンに話をもどせば、エリーザベトが(アメリーの)「拷問について」というエッセイを読んだあと、この小説はこう続けられる。


 「彼女はこの男性に手紙を書きたかったが、しかし彼に何を言ったらいいのか、どうして自分が彼に何か言いたいのか分からなかった。というのも明らかに彼は、恐ろしい出来事の表層を突き抜けるために多くの年月を必要としたらしかったからだ。そして僅かしか読み手がいないだろうと思われるこれらのページを理解するためには、ちょっとした一時的な驚愕を受け止めるのとは違った受容能力が必要だと思われた。なぜならこの男性は、精神の破壊という点で、何が自分に起こったのかを見つけだそうとし、また、どんなふうにして一人の人間が本当に変わってしまい、破壊された存在として生きつづけたのかを見つけだそうとしているからだった。」
 

 アメリーはこの箇所を読んで、百年の後に知己を得た思いがしたことだろう。そして、もしゼーバルトの文章を読むことができたとしたら、彼にたいしても。


本に語らせよ

本に語らせよ

ジムルターン (女の創造力)

ジムルターン (女の創造力)

  • 作者: インゲボルクバッハマン,Ingeborg Bachmann,大羅志保子
  • 出版社/メーカー: 鳥影社ロゴス企画部
  • 発売日: 2004/06/01
  • メディア: 単行本
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空襲と文学 (ゼーバルト・コレクション)

空襲と文学 (ゼーバルト・コレクション)

高原の秋運転手ギター弾く



 大西巨人に『春秋の花』という著作がある。古今の詩歌句あるいは小説や随筆の一節を掲出して短文を附したアンソロジーである。大岡信の『折々のうた』のようなスタイルの本ですね。なかに「よみ人しらず」の歌も古今集から選ばれているけれど、それとは少し意味合いの違う「失名氏」の作品もいくつか掲出されている。
 「失名氏」とは「筆者〔大西〕が作者名を失念していることの意」であり、こうした「失名氏」の作品が「私の脳裡にいろいろ存在する」とある。大西巨人の読者なら周知のことだけれども、常軌を逸した記憶力の持ち主である巨人氏は、たまたま目にした新聞の投稿欄の短歌や俳句までしっかり記憶にとどめてしまうのである。そうした詩文が『神聖喜劇』の東堂太郎のように、折に触れ、記憶の底からずるずると止めどなく溢れてくるのだから、本書をなすにあたって「記憶の中の詩文を言わば『アト・ランダム』に取り出すのであり、特別これを書くための調査・渉猟を試みるのではない」というのもさもありなん、である。
 本書に収められた「失名氏」に次の句がある。


  あぢさゐや身を持ちくづす庵(いほり)の主(ぬし)


 この句に附された文章がいろっぽくて、いい。


 「(略)二十一、二歳の私は、ある二十八、九歳の夫人に深い親愛をもって毎日のように逢っていた。夫人の家の庭隅に見事な一本(ひともと)の紫陽花があって、その花花の爛熟のころ、私は、ふと掲出句をくちずさんだ。「私も『身を持ちくづし』ましょうかねぇ。」とその必ず「身を持ちくづす」ことのないであろう綺麗な夫人が、ほほえんで静かに言った。言うまでもなく、私は、そのひとの手指を握ったことさえも、ついになかった。」


 その夫人は、『神聖喜劇』に出てくる「安芸」のひとではない。なにしろ、あちらは互いに「剃毛」する仲なのだから。艶福家ですねえ、巨人氏は。いや、『神聖喜劇』は小説ですけど。


 さて、最近読んだ小沢信男さんの『俳句世がたり』も、古今の俳句を掲出してそれに文章(短文というより、やや長めのエッセイ)を附した本で、おやと思ったのは次の句。


  高原の秋運転手ギター弾く


 作者は木村蕪城という人で「ホトトギス」系の俳人、のちに俳誌「夏爐」を主宰した、とある。昭和十六年(1941)の作で、当時二十八歳。信州八ヶ岳の麓の療養所で結核の身を養っていた頃の句。
 エッセイでは触れていないけれども、この句は小沢さんにとって元は「失名氏」の句だった。小沢さんの書簡体小説の傑作「わが忘れなば」に二つの俳句が出てくる


  高原の秋運転手ギターひく
  横顔の美しきひと金魚買う


 この句の作者についての探索が小説のプロットをなしていて、ほぼ一人語りの主人公が結核の胸郭成形術のために東大病院に入院していたときに人から聞いた句で、作者は信州信濃俳人だという。主人公は信州の高原療養所で一年ほど療養したあと、太宰治が情死した昭和二十三年(1948)に転院して手術を受けるのだけれども、このあたりは小沢さんの経歴と一致していて、『神聖喜劇』とおなじく主人公に自己を投影しているのですね。
 で、小説では句の作者はついにわからずじまいになるのだけれど、これは小沢さんの創作だろうとわたしは思っていた。ところがどっこい、小説発表の四半世紀後に「これは実は我が作で」という人が現れた。小沢さんの「高原の秋運転手」という文章からその顚末を簡単に紹介すると――。
 『長野県文学全集』第五巻に「わが忘れなば」が収録され、平成二年(1990)に刊行された。それを読んだ木村蕪城氏が「文芸家協会ニュース」の会員通信欄に随想を寄せられた。「たまたま先ごろ目にした小説に、自分の句を使って「無名な野郎の腰折れ」などと書いている、やれやれ。憮然とした文章であられた」と小沢さんは書いている。小沢さんはさっそくお詫びかたがた蕪城氏に手紙を送り、「文芸家協会ニュース」にもその経緯を書かれたという。
 ちなみに、この「高原の秋運転手」というエッセイは、『長野県文学全集』の版元でもある郷土出版社が刊行した『私たちの全仕事』(1999年・非売品)という700頁ほどの厚い本に収められている。もう十年ほどまえになろうか、古本屋でたまたま立ち読みしていてこの文章に出会って驚いたのなんの、即座に購入した。
 小沢さんは二つの俳句を手術中「呪文のように脳裏に唱えて危機を脱した」と書いている。「文芸は、まことにふしぎだ。偶然の一句が命の綱ともなる」と。だがそれにしても、
  横顔の美しきひと金魚買う
 この句の作者はいまだ不明である。いつかふいに「じつは」と名のり出る人があるやもしれない。ひょっとすると、二つの句を教えてくれた「商家の若隠居ふう」の人が作者だったのかもしれない、と小沢さんは書いているけれども。

春秋の花

春秋の花

俳句世がたり (岩波新書)

俳句世がたり (岩波新書)

猥褻鳥


 目をこらしてみたが、鳥の姿を認めることはできなかった。鳴き声だけだ。いつものように。とにかくこのようにして世界の一日分のねじが巻かれるのだ。
                    ――村上春樹ねじまき鳥クロニクル
                     
                                 
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その鳥の存在に最初に気づいたのが誰だったのかいまではさだかでない。それは一種の都市伝説のように人の口から口へと伝わっていった。というのはしかし確かではない。口から口へでなくツイッターフェイスブックといったソーシャルメディアでつぶやかれ瞬く間に拡散したといったほうがより事態の推移を正確に伝えているだろう。ツイッターにおけるごく初期のつぶやきによればその声は――当初は「声」と表現されていた――東京近郊で耳にされたという。ある寝苦しい盛夏の明け方どこからともなく聞えてきたその声を耳にしたある集合住宅の住人は隣に住む二十代後半と思われる人妻の発した声かと思った。だがそれにしては声が明瞭に過ぎはしまいか。本来ならばもう少しくぐもった声であるはずだが明らかに開放的といってよい発生法とオペラのアリアにも比すべきゆたかな声量が訝しい。しかもそれは隣の部屋というよりむしろ窓の外から聞えてくるような気がする。しばらく耳をすませていた住人は――言い忘れたが住人は都内の私立大学に籍を置く二十代前半の男であるとされている――隣の部屋を慮りながら窓をそっと開けた。窓外には鬱蒼と繁る樹林が薄明のなかに遠望されどうやら声はそのあたりから発して木々によって増幅されて聞えてきたものらしい。不可思議な現象にしばらく耳をかたむけていたがやがて声は次第に途絶えて聞えなくなったという。これはむろんツイッターのつぶやきそのものではなくそれが幾たびもリツイートされそこに尾鰭が加わって出来上がった一種の物語である。ある者によれば発祥は東京都下の多摩地区だという。またある者によればそれは多摩地区ではなく埼玉であり別の者によれば茨城だとされている。それが伝聞の不確かさによるものなのかあるいはほぼ時を同じくして幾つかの場所でその声が確認されたものなのかいまとなっては断定することはできない。いずれにせよそれはインターネットによって一気に津々浦々に広がった。どこからともなくその声が聞えてきたというだけなら一過性の話題として速やかに忘れ去られたにちがいない。それが国内はおろか海外にまで波及するほどの広がりを見せるとは……いや、先走るのは慎もう。ツイッター上のつぶやきが増幅されて広がってゆくティッピングポイントはもう一つのつぶやきの出現に求められよう。最初のつぶやきをめぐる応答がひとしきり賑わいを見せやがて収束するかと思われたころ新たな証言――いまでは第二の発見者と呼ばれている――が出現した。当の人物は東京郊外に住む三十代の男性システムエンジニアとされているが(多摩地区に居住するのは彼であるとする説を唱える者もいる)彼もまた明け方どこからともなく聞えてくる声を耳にしてあるいはこれがSNSで話題となった例の声かと思いすぐにベランダの窓を開けたという。システムエンジニアの居住するマンションから至近距離にある公園の樹木からその声は聞えてきた。梢が枝葉をふるわせながらすすり泣いているようでしばらく耳を傾けていると梢のあいだから一羽の鳥が飛び立って朝ぼらけのなかを空のかなたへ消えてゆきそれとともに声も途絶えたと彼はツイートしている。その鳥と件の声との関連についてシステムエンジニアは断定を憚ったがこの第二の発見者の証言は事態を煽り立てるに充分の効果を上げた。彼はツイッターでつぶやくとともにある動画共有サイトに動画を投稿した。スマートフォンによって咄嗟に録画されたというその動画には妙なる声を発する樹木と空のかなたに羽搏いてゆく一羽の鳥がたしかに映し出されていたからである。サイトに動画が投稿された数時間後にはアクセス数はたちまち四桁に達しツイッターフェイスブックへの投稿がそれに拍車をかけた。映像から判断するに件の声はこの鳥の鳴き声にほかならない。どこかのうちに飼われていた九官鳥かインコが逃げ出したのにちがいない。そうしたつぶやきがインターネット上に溢れるなか事態はさらに大きく展開する。鳥たちの映像が堰を切ったように動画サイトに次々とアップロードされたのである。


  2
東京郊外といわず全国各地から投稿された鳥たちの映像が動画サイトに溢れ海外からの投稿もなかには数件雑じっていた。ここで急いで付け加えておかねばならないのは当初九官鳥もしくはインコかと推測されたのはその特徴的な鳴き声に原因があり人々の関心がこれほどまでに昂まることになったのもまたその鳴き声が最大の要因にほかならないということである。二十代後半の人妻の発した声かと思ったと第一発見者がツイッターでつぶやいたごとくそれは閨房における媾合の際の女性の喘ぎ声に酷似した鳴き声であった。鳴き声には幾つかのヴァリエーションが認められた。「あっはーん うふん いやん」と悩まし気に鳴く声。「いやんいやんいやん」と身悶えするように鳴く声。ひときわ高く「あっあっあっ」と断続的に感極まったように鳴く声。個体によって鳴き方が異なる場合もあれば同一個体が複数の鳴き方を奏でる場合もあった。押し殺した声で溜息のように「ああ うう はあ」と繰り返す鳥もいれば「いやいやいやっ」と咽び泣くような声が次第に「いい いい いい」と甘やかな声に変化しついに「あっあっあっ」と高まって果てる高度な変奏を披露する鳥もいた。最初の投稿から旬日を経ずして動画サイトのアクセス数は百万回に達した。各メディアもさすがにこの事態を無視もしくは傍観し続けるわけにもゆかず最初は新聞がインターネット上に現れた未確認飛行物体とそれが巻き起した事態について鳴き声にふれることなくささやかな報道を行なった。ついでテレビがニュース番組で取り上げてネット上の動画を引用しつつその特徴的な鳴き声に関心が集まっているとキャスターがコメントしたが肝腎の鳴き声にピー音がかぶせられていたために意味不明の報道となり多数の苦情が視聴者から寄せられることとなった。インターネットから発した鳥をめぐる狂騒は日に日に昂まってゆくかに見えたが押っ取り刀で取り上げた週刊誌の記事によってこの騒動はあっけない終焉を迎えた。鳥かどうかさえ識別のつかないぼやけた映像は論外としても識別可能な個体のすべては世界各地に生息する鳥たち――ヒバリ、ミソサザイムクドリ、ウタツグミ、アカゲラ、ムネアカヒワ、カラフトムシクイ、エトセトラエトセトラ――でありどだいこのような鳴き声をたてる鳥など世界中を見渡しても存在しない。おおかた鳥の映像とアダルトビデオの音声とをコラージュしたトリコラで世間を騒がせて喜ぶ愉快犯の仕業だろう。鳥類学者が厳かにそう断言したからである。こうして幻の鳥をめぐる騒動は一件落着したかに見えたが事態は思いがけない方向へと展開する。


  3
その年の夏は例年に増して猛暑の日が続いた。都心でも連日体温を上回る気温が観測され東京近郊では摂氏四〇度を超える高温が幾度も記録された。人は天変地異の起こる前触れではないかと噂し合いそれに呼応するかのごとく列島各地で大小の地震が頻発し南国では火山が噴火して市中を灰色に染めた。そして立て続けに襲った颱風による豪雨が一切合財を洗い流して列島に秋色が訪れたころ次第に色づき始めた武蔵野台地の樹林にあの声が戻ってきた。俗に三多摩と呼ばれる関東平野の西域には住宅地に隣接して鬱蒼と繁る雑木林が其処彼処に点在してかつての武蔵野の面影を残している。そうした雑木林の一つがある日の明け方もの思わし気な歔欷の声を洩らし夜がしらじらと明けるころにはその声はぴたっと鳴き止んだ。それからというもの声はたちまち近隣の樹林に伝播して武蔵野台地の木という木が一斉に悩ましげな声を発し始めた。もはや誰かの作為的な悪戯とも思われず鳴き声を発する樹木が存在するのでなければ鳥もしくは鳥に類する生物の発するさえずりの一種といわねばならないと鳥類学者が新聞でコメントを述べた。バードウォッチャーたちが双眼鏡や望遠鏡を駆使して観測したが鳥の姿は枝葉に紛れて一向に確認できなかった。インターネットの動画サイトに連日投稿されたすすり泣く樹林の映像には木を見て鳥を見ずとコメントが書き込まれた。やがて小学生たちのあいだに鳥の鳴き声の真似が流行し始めた。ランドセルを背負った児童たちが登下校の際に声をそろえて「あっはーん うっふーん」と唱和する声がいたるところで聞こえ見かねた大人たちの苦情が役所や市町村の教育委員会さらには新聞の投書欄や政党の市議団事務所に殺到した。なりゆきを静観していた某テレビ局のワイドショーがおそるおそる取り上げると視聴率が一挙に二倍に跳ね上がり各局もそれに追随して事態に拍車をかけた。深夜の討論番組では各界の識者たちが侃々諤々の議論を繰り広げた。児童に悪影響を及ぼす害鳥は即刻駆除してもらいたいと教育評論家が発言するとヒバリやウグイスの鳴き声はよくてこの鳥の鳴き声は悪いというのは人間中心主義的思考でありいまだかつて鳴き声によって害鳥とされた鳥は存在しないと動物保護団体のメンバーが反論して駆除には断固反対すると表明した。海外の学術団体やメディアも日本に突如出現した幻の鳥に大きな関心を示した。英国王立鳥類保護協会はこの鳥を数羽捕獲して生きたまま英国へ送るよう日本政府に申し入れ(可能なら雌雄ひと番いに加え鳴き声のヴァリエーション数に相当する個体数を希望すると付け加えた)ニューヨークのある雑誌はこのunidentified mysterious flying creature(未確認飛行生物)をThe obscene bird(猥褻鳥)と名づけGODZILLAを引合いに出して原発事故による突然変異の可能性を示唆した。幻の鳥を一目見ようと近隣諸国の観光客がツァーを組んでぞろぞろ押しかけたが姿を見ることはかなわず鳥を図案化したTシャツを爆買いして帰っていった。鳥たちは東京近郊から徐々に都心へ向かって行動範囲を広げてゆくかのように思われた。新宿御苑明治神宮外苑や日比谷公園の樹林で次々と鳴き声が確認された。インターネット上では鳥たちの次なるターゲットが取り沙汰され鳥たちは皇居をめざすと書き込む者が現われた。吹上御苑で鳥たちが一斉に乱交のごとく卑猥な鳴き声で高らかにさえずる光景を想像した者たちは恐れおののいた。彼らはかくなる事態は断固阻止せねばならぬと息巻いて丸の内のオフィスビル街を街宣車で行進し大音量のスピーカーで鳥の即時撲滅を訴えた。事態の沈静化を図ろうとした環境省が捕獲に乗り出すと発表したがいかなる手段で捕獲するかについては識者による委員会の設置を待って検討すると述べるにとどまった。千鳥ヶ淵から国会議事堂さらに桜田門の周辺はにわかに騒然とし始めた。街宣車に乗った迷彩服を着た男たちと鳥を護れと大書したプラカードを掲げた動物保護団体や一般市民さらには鳥は天から遣わされた愛の象徴であると唱える宗教団体のデモ隊らが入り乱れて国会前で小競り合いを繰り広げた。街宣車から降り立った男が壇上に立ちこのようなおぞましい生き物を不法侵入させぬよう皇居の周囲に高い壁を築けと叫んだ。日を追ってデモンストレーションに加わる人々の数は膨れ上がり国会周辺はいまや一触即発の危機を孕むかの様相を呈した。 


  4
あの日を境に鳥の鳴き声がぱったりと途絶えた理由についてはSNSで様々な憶測が乱れ飛んだ。あの日の明け方たしかに銃声を聞いたと誰かがツイートした。それに呼応して「猥褻鳥は私だ」というツイートが書き込まれリツイートは数万件にのぼった。撃たれた鳥が最後に「いくっ」と一声高く鳴いたというツイートが一瞬に拡散してネット上を駆け巡った。鳥を追悼する数万人の市民たちのデモ行進が皇居を取り巻いたが狂躁の日々が過ぎると日本国中をあれほど騒然とさせた出来事もやがて何事もなかったかのように忘れ去られ鳥の話題が人々の口の端にのぼることもいつやら絶えて久しくなった。…………私は書きかけのパソコンを閉じて立ち上がり背伸びをした。夜が明けようとしていた。どこからか「いやいやいやっ」と忍び泣くような声が聞えたような気がした。窓を開けるとうっすらと朝靄の立ち込めた薄明のなかに樹林が見えた。目をこらしてみたが鳥の姿を認めることはできなかった。
                                (11月29日脱稿)



蜻蛉釣り今日は何処まで行ったやら


O様
 台風の影響でしょうか、今日は朝から雨が降りしきっています。いつものように、向かいの樹林を眺めていたら、あ、鷺が! 

 雨の降る日に時折り姿を見せます。今朝は畑に着地して、なにやら思案気の風情。さて、どうしようかと考えているのでしょうか。しばらくすると、木蔭に向かってとことこと歩いてゆき、そのうちに姿が見えなくなりました。


 珈琲を淹れて朝刊をひろげると、「天声人語」にこういう文がありました。


 「俳優であり俳人でもあった渥美清さんに次の句がある。〈赤とんぼじっとしたまま明日どうする〉。詠んだのは63歳の秋。」


 天声人語子はつづけてこう書いています。
 「じっと動かないトンボに四角い顔を寄せ、何ごとかつぶやく名優の姿が目に浮かぶ」
 そうでしょうか。
 わたしの解釈は、すこし違います。夜も更けて、しんとした静寂のなか、彼は孤り、思いをめぐらせています。さて、明日はどうしようか。明日とは、明後日もしあさってもふくむ不定の未来であるのかもしれません。
 そんなとき、ふと生垣にとまった赤とんぼが脳裏に浮びます。羽根をやすめているのか、それともこれからどうしようかと考えているのか。
 「ざまあねえ、おれもまるで赤とんぼだね」
 ふっと自嘲の笑みが彼の口元に浮びます。


 「天声人語」は、渥美さんの句を枕に、長崎県絶滅危惧種に指定された赤とんぼ、深山茜(ミヤマアカネ)の話題に移ります。佐世保市の環境団体の会長によれば、休耕田が増えて苗にまく農薬が変ったのが急減の原因とのこと。繁殖に適した環境は「水がちょろちょろと流れ出る棚田」ということで、農家から棚田を借りて稲を育てた。それでも四年前に比べると、生息数は半数以下に減っている。棚田をやめると、絶滅に近づく。「責任は重大です」と会長は語る。
 そして、この文章はこう結ばれます。


 「間近で見るとミヤマアカネはなかなか精悍である。お尻を太陽に向けてまっすぐ突き上げる姿など五輪の体操選手のようだ。実りの9月、棚田を歩きながらトンボと田んぼの行く末を案じた」
 

 深山茜の画像をネットで検索してみました。ぴんと伸ばしたお尻(?)を天にむかって突き上げた姿は、たしかに体操選手を思わせなくもありません。それもさることながら、筆者が体操選手を引合いに出したのは、それ以上に「トンボと田んぼ」の語呂合せの「着地」を自讃したかったからかもしれません。
 数日前、わが家のベランダにもとんぼが一匹飛んできました。ああ、もう秋か、と月並みな感想を抱いたものです。
 夕暮れ時の田舎の畦道では、いまも子供の頃のように赤とんぼが群れをなして飛んでいるのでしょうか。

異邦の薫り――くぼたのぞみ『鏡のなかのボードレール』を読む



 もう随分まえのことになるけれども、クッツェーの『恥辱』という小説についてここでふれたことがある*1。いい小説だと思い、いくつかの場面についてはいまも印象につよく残っている。だが、最近読んだある本によって、わたしは自分の無知を思い知らされることになった。無知については言うも更なりだけれど、いい小説だと思ったわりには全然この小説を読めてないじゃないか、といささか暗然とするところがあった。
 わたしはこの小説の主人公についてこう書いている。「二度の離婚歴があり、現在はシングル。ナンパしたり娼婦を買ったりの日々を送っている」。そして、「彼、ラウリーはちょっとした気紛れで女子学生のひとりと関係を持つ」と。女子学生メラニーとの交際が発覚して主人公は大学を辞めることになるのだから、このエピソードはプロット上の大きな意味をもつ。しかし、それに優るとも劣らぬほど重要な意味が冒頭の「娼婦を買ったりの日々」にあることを、くぼたのぞみ『鏡のなかのボードレール』(共和国、2016年6月刊)*2、とりわけ第9章の「J・M・クッツェーのたくらみ、他者という眼差し」という文章によって教えられた。
 

 小説の冒頭、主人公は娼館へおもむき、馴染みの女性ソラヤと性交する。その第二パラグラフの最後にこう書かれている。「ソラヤの顧客になってゆうに一年。彼女には満足しきっている。砂漠のような一週間が、木曜は豪奢で悦楽に満ちたオアシスとなったのだから」(くぼたのぞみ訳)。この「豪奢で悦楽に満ちた」に「ルュクス・エ・ヴォリュプテ」とルビが振られているが、原文は「luxe et volupté」、フランス語のイタリック体になっている(小説は英語で書かれている)。わたしの読んだ鴻巣友季子訳『恥辱』は、「贅と歓びの」でルビも強調もない。
 くぼたは最初に原著を読んだときは「勢いにまかせて」読んだために、そのフランス語の三語をとくに意識しなかった、だが、オクスフォード大学のピーター・マクドナルドがクッツェーについて学生に講義をする動画を見ていて「はたと気づいた」という。このマクドナルドの講義というのも、きわめて興味深いものだ。小説の冒頭の一文「五十二歳という年齢、離婚歴のある男にしては、セックスの問題はかなり上手く解決してきたつもりだ」について、マクドナルドはセックスを「解決しなければならない問題」(solved the problem of sex)とすることに焦点を当て、「このようなデカルト的合理主義に疑問を投じ、主人公の「解決法」が作中で崩壊し、どのような災厄を招いていくかを指摘していく」という。刺戟的な読解だ。こういう講義を受けられる学生がうらやましい。
 さて、クッツェーがイタリック体で示した「luxe et volupté」、くぼたによれば、これはボードレールの『悪の華』の有名な詩「旅への誘い」に出てくる「luxe, calme et volupté」の引用(「クッツェーがよく使う、原テクストを少し違えた「誤引用」」)だという。「豪奢で、静謐で、悦楽に満ちて」。クッツェーはなぜここでボードレールを引用したのだろうか。しかも、読者にそれと知らせるようなほのめかしとして。


 ソラヤの所属するエスコート・クラブは、ケープタウンの中心から少し離れたグリーン・ポイントにある。ここは「アパルトヘイト時代は背徳法に反するカラーラインを跨ぐ売買春が行なわれていたことで悪名高い。人種別に居住区を定めた集団地域法に反して多人種が混じって住んできた地域でもある」(くぼた)という。主人公が街中で二人の子どもを連れたソラヤと出遭ったのを機に、彼女は彼の前から姿を消す。彼がエスコート・クラブに電話をすると、ソラヤは辞めた、なんなら別の女性を紹介しよう、と電話に出た男はいう。「エキゾチックなタイプは選り取りみどりです。マレーシア、タイ、中国、お好みをどうぞ」(鴻巣訳)。ソラヤもまた「陽に焼けた痕跡のない」「蜂蜜色をした褐色の肢体」をもつ「ムスリム」の女性だった*3。 
 「褐色の肢体」をもつ女性との「豪奢で、静謐で、悦楽に満ち」た時間――。
 ボードレールの『悪の華』には特別に「ジャンヌ・デュヴァル詩篇」と呼ばれる数篇の詩がある。初版で十六篇、第二版で十八篇。ボードレールのミューズともいうべき、カリブ海出身の黒人と白人の混血女性ジャンヌ・デュヴァルにインスパイアされた詩篇である。くぼたのぞみはこう書いている。


 「ボードレールの「旅への誘い」に出てくる三つのフランス語「luxe et volupté(豪奢で悦楽に満ちた)」をわざわざイタリックで示しながら、クッツェーは一九世紀半ばのヨーロッパ系白人男性の異国情緒と絡めた女性への憧れや性的欲望をこの『恥辱』のなかに描き込んだ。二〇世紀も終盤のケープタウンで人種主義のシステムが崩壊した社会に生きる、これまで特権的地位にあったことをさほど疑問にも思わなかった五十二歳の白人男性の悦楽のあり方として刻み込んだのだ。」


 たしかに、くぼたのぞみの言うように「日本語読者の多くは(略)南アフリカの複雑な人種構成や歴史事情を思い描くこともないだろう」し、「背景がわからなくても、作者の深い意図まで読み取らなくても、小説は面白く読める」にちがいない。「グリーン・ポイント」という地名にも、わたしをふくめて大方はなんの感興も催さないだろう。だが、クッツェーが(周到に)冒頭に置いた主人公とソラヤとのエピソードをうっかり読み飛ばしてしまうと、この小説を表面だけで理解したつもりになりかねない。面白く読んだけれども、じつは本当には読めていなかったのじゃないかと思ったのは、このくぼたのぞみの指摘によってである。
 くぼたは「ホッテントット・ヴィーナス」の名で知られるサラ・バートマン――ケープタウンからイギリスへ見せ物として連れ出された有色人女性――の最初の「所有者」デイヴィッド・フーリー David Fourie の名と『恥辱』の主人公デイヴィッド・ルーリー David Lurieとの関連を指摘し、「作家は当初、頭文字だけ変えてLourie としたが、アフリカーンス語ではルーリーと読んでも、英語圏ではスコットランドアイルランド系になりラウリーと発音されるかもしれない、と一文字削ったのではないかと推察される」と書いている。邦訳では「ラウリー」となっている。
 そしてさらに、ハベバ・バデルーンの『眼差すムスリム――奴隷制からポストアパルトヘイトへ』(2014、未訳*4)の第四章「ケープ植民地における性をめぐる地理学――『恥辱』」における、冒頭部分に関する犀利な分析を紹介する。バデルーンは自身ムスリムクッツェーの教え子でもある。ほんの一部分の紹介を読んでも、この本がポストコロニアルスタディーズの最良の成果であることはよくわかる。すでに充分長くなったので、関心のある方は直接同書もしくは『鏡のなかのボードレール』をお読みいただきたい。


 くぼたのぞみは書いている。「ソラヤとは誰かを考えることは、クッツェーがこの作品の冒頭にあえてソラヤを置いたことの意味を考えることでもあるだろう」と。わたしはこの『鏡のなかのボードレール』で己の迂闊さを知らされ、あわてて『恥辱』の冒頭を再読した。なるほど、初読のさいは気にせずに読み飛ばしていたのだが、そういう目で見るといくつか気になる箇所も目につく。一例をあげれば、主人公がソラヤとの交わりを自問する、自由関節話法で書かれているところ。
「セックス面は、烈しくあっても情熱的ではない。わが身の象徴としてトーテム像を選ぶとしたら、蛇だろう。ソラヤとの交わりは、思うに、蛇の交尾さながらにちがいない。事は長々しく、一心不乱だが、絶頂の瞬間にも、どこか観念的でむしろ乾いている。/ソラヤのトーテムもまた蛇だろうか?」(鴻巣訳)
 これは当然『悪の華』の一篇「踊る蛇」(第二版28)を念頭に置いているのだろう。


 「私の目の楽しみは、物憂げな恋人よ、/そんなにも美しいきみの体が、/ゆらゆらとそよぐ布地のように、/肌をきらめかすさま!/(略)/身はなげやりに美しく、拍子をとって/きみの歩むさまをみれば/棒の穂先にくねくねと/踊る蛇にもたとえようか。」(阿部良雄訳)


 韋編三たび絶つ。繰り返し読まねば本は読んだことにならないとあらためて銘肝した。


鏡のなかのボードレール (境界の文学)

鏡のなかのボードレール (境界の文学)

*1:id:qfwfq:20120414

*2:宗利淳一の装本がみごと!

*3:女子学生メラニーもまた有色人女性である。「この作品では白人男性の欲望が、もっぱら有色の女性に向かっていくことが明示されているのだ」(くぼた)。

*4:Gabeba Baderoon: Regarding Muslims―from slavery to post-apartheid, Wits University Press, 2014 「南アフリカの歴史のなかでもっとも見えにくい存在であったムスリムについて論じる好著」(くぼた)とのこと。翻訳が待たれる。

ゲイブリエルとグレタを乗せた馬車がオコンネル橋を渡る



 昨日16日、ブルームズデイにちなんでジョン・ヒューストンの『ザ・デッド』を観た。以前BSで放映されたものの録画で、二度目か三度目かの再見になる。見直して新たに気づいたことなどについて二、三書いてみよう。
 ストーリーは簡素だ。二人の老嬢姉妹ケイトとジューリアそれに姪のメアリーの三人が例年催す舞踏会に招かれた縁戚の者や知人たちのダンス、ディナー、会話。そして宴の果てた後の一組の夫婦の、妻の回想をめぐるささやかな諍い。ヒューストンはジョイスの小説を、幾つかの科白をふくめてほぼ忠実に映画化しているといっていい。
 原作にヒューストン(シナリオは息子のトニーが担当し、オスカーにノミネートされた)が付け加えた場面は幾つかある。その一つ、酔っぱらいのフレディがいつものように遅れてやってきて、先に来ていた母親に問いただされる。「委員会の会合があって」とかなんとかしどろもどろに言い訳するフレディに、母は「会合? どこでかね。マリガンのパブでかい?」と皮肉を言う。観客をにやっとさせる『ユリシーズ』へのアリュージョンである。
 大きな改変は、メアリーのピアノ演奏が終わった後に、グレイスが詩を長々と朗読する場面が挿入されることで、これは原作にないエピソードである。朗読するのは、Lady Augusta GregoryのDonal Og。「レディ・グレゴリーがアイルランド語から翻訳したBroken Vowという詩である」とグレイスは朗読の後に注釈をつける。元はアイルランドに伝わるバラードで、グレゴリー女史はアイルランドに伝わる民話、伝説、バラードを英語に翻訳してアイルランド文芸復興に寄与した人。W.B.イエーツととともにアビー・シアターを設立し、多くの芝居を執筆した*1
 グレイスの朗誦が終わると、居並ぶ老若男女は、初めて聴いたこの詩への称賛を口々に唱える。「バラードにするといいね」という人までいる始末。ヒューストンはなぜこの場面を付け加えたのだろうか。おそらく当時のダブリンの独立運動アイルランド人のアイデンティティ、といった背景への言及だろうが、当時の歴史的状況に疎いので確かではない(民族主義者のアイヴァーズ嬢にゲイブリエルがからまれる場面が小説にも映画にも登場する*2)。
 そしてもう一つ。ジューリアがベッリーニの歌曲「婚礼のために装いて」を朗唱する場面で、カメラは階段をゆるやかに上り、二階の室内に入ってテーブルの上の蝋燭立て、小さな民族人形、写真立ての肖像写真などの事物を次々に映し出す。そして一枚のタペストリーに縫い取られた文字――Alexander Popeの詩句に焦点を合わす。二人の老嬢のいずれかの持物だろう。あるいはそれは親の代から伝わってきたものであるのかもしれない(ポープの引用の意図はさまざまに解釈できるだろう)。


 Teach me to feel another’s woe,
 to hide the fault i see,
 that mercy i to others show,
 that mercy show to me.


 ゲイブリエルとグレタを乗せた馬車がオコンネル橋を渡る。深い闇の中にいくつものガス灯の明かりが靄に滲み、川面に照り映えている。静謐で譬えようもなく美しい場面。そしてグレシャムホテルに着いた二人は部屋に落ち着くが、グレタはなにかに憑かれたように物思いに耽っている。


 ――グレッタ、ねえ、なにを考えてるんだい?
  返事もなく、腕に身をまかせるでもない。もう一度、やんわり言った。
 ――言ってごらんよ、グレッタ。どうかしたんだろ。違うかい?
  彼女はすぐには答えなかった。それからわっと泣き出して言った。
 ――ああ、あの歌のこと考えてるの、オーグリムの乙女のこと。
  彼女は身をふりほどいてベッドへ駆け寄り、ベッドの柵上へ腕を十字に投げ出して顔をうずめた。
         (柳瀬尚紀訳「死せるものたち」、新潮文庫『ダブリナーズ』所収)


 「オーグリムの乙女」は舞踏会の最後にダーシーの歌った歌である。グレタは階段の上に立ち尽し、部屋の中から聞こえる歌声に耳を傾けていた。それは、若き日のある青年との永遠の訣れを思い出させる歌だった。
 ジョイスはグレタが「わっと泣き出し」たと書いているが、ヒューストンはそうは描かない。グレタは哀しみに耐えている。肺病で死んだ青年マイケルとの思い出を語るうちに感情が激してくる。そしてベッドにからだを投げ出して嗚咽するのである。感情の機微についてはジョイスよりもヒューストンに一日の長がある。The Deadを書いたとき、ジョイスは25歳だった。80歳を過ぎたヒューストンが若きジョイスに「ほら、このほうがいいだろ?」とウィンクしているようである。
 ちなみに、しんしんと降る雪の場面を観ていて、わたしはある小説の雪の情景を幾度も思い出していた。その小説、アン・ビーティのIn the White Nightにも、ある雪の降る夜、パーティがお開きになったあとの一組の夫婦の小さな諍いが描かれていた。ずいぶん昔読んだ小説なので確かではないけれど。ビーティもあの小説を書くときにThe Deadが頭にあったのだろうか。


追記(6.18)
In the White Night を探し出して再読した。「小さな諍い」ではなかった。愛する者を失った哀しみがいまなお生々しく現前するというところに共通するものがあった。その哀しみを浄化するかのように雪が降りしきるという情景においても。


ダブリナーズ (新潮文庫)

ダブリナーズ (新潮文庫)

*1:https://www.theguardian.com/books/booksblog/2010/apr/19/poem-of-the-week-lady-augusta-gregory

*2:結城英雄は訳書『ダブリンの市民』(岩波文庫)の解題で、ヒューストンは「ポスト・コロニアルの視点で映画化したが、ミス・アイヴァーズを中心に据え、見事である」と記している。

緑色をした気の触れた夏のできごと――村上春樹訳『結婚式のメンバー』



 以前書いた「MONKEY」の村上春樹柴田元幸対談「帰れ、あの翻訳」*1で予告されていた「村上春樹柴田元幸 新訳・復刊セレクション」が「村上柴田翻訳堂」として刊行され始めた。第1回の配本がカーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』(村上訳)とウィリアム・サローヤン『僕の名はアラム』(柴田訳)。今月2回目の配本は、フィリップ・ロス『素晴らしいアメリカ野球』とトマス・ハーディ『呪われた腕 ハーディ傑作選』の2冊。前者は集英社文庫、後者は新潮文庫(『ハーディ短編集』)を復刊したもの。
 『僕の名はアラム』は、短篇のそれぞれにドン・フリーマンの挿絵がついていて、原著を踏襲したものだろう、素朴で味わいのある雰囲気を醸している。ここでは『結婚式のメンバー』についてすこし書いてみよう。
 読み始めてちょっとした違和感をおぼえたのだけど、そのわけはすぐに思い当った。ああそうか、チャンドラーだな…。清水俊二訳でチャンドラーに親しんだものにとって、村上春樹訳のチャンドラーは著しい違和感をもたらしただろう。だれもが、「ええっ、これがマーロウ?」と思ったはずだ。これも以前ここに書いたけれども*2、村上訳は、原文に忠実であること、表現の細部を疎かにしないこと、に特長がある。そうすることによってかつてのマーロウのイメージは一新されたが、それがより本来の姿に近いマーロウなのである。
 『結婚式のメンバー』の翻訳も同じく、村上春樹は原文に忠実に、ディテールを正確に訳すことに専心している。The Member of the Wedding には先行する二種の邦訳がある。渥美昭夫訳『結婚式のメンバー』(中央公論社、1972)と加島祥造訳『夏の黄昏』(福武文庫、1990)である*3。わたしの「ちょっとした違和感」の所以は加島祥造訳にある。冒頭を写してみよう*4


 「フランキーが十二歳の夏は、不思議な奇妙な季節だった。今年も彼女は一人きりだった。どこのクラブのメンバーでもなかった。毎日ひとりで、戸口のあたりでぶらぶらしていた。フランキーは不安だった。六月の緑の色はあざやかだったのに、真夏になるとにわかに黒ずんでくる。強い日射しの下で、何もかもが濃く縮んでしまったのだ。それでも初めのうちは町じゅうを歩きまわった。どこかに何か用があるような気がした。
 朝と夜、町は灰色でひんやりしている。しかし日中は太陽の光がおそろしく強く、道路は溶けてガラスのように光った。しまいに両足が熱くてたまらなくなり、気分がわるくなった。いっそ家にいた方がましだった。ところで家にいるのは、ベレニス・セイディ・ブラウンとジョン・ヘンリ・ウェストだけだ。(以下略)」 (加島祥造訳『夏の黄昏』)


 短いセンテンスをたたみかけて、きびきびとしたリズムのある訳文だ。手練れの翻訳家の手になるものとわかる。村上春樹訳だとこうなる。


 「緑色をした気の触れた夏のできごとで、フランキーはそのとき十二歳だった。その夏、彼女はもう長いあいだ、どこのメンバーでもなかった。どんなクラブにも属していなかったし、彼女をメンバーと認めるものはこの世界にひとつとしてなかった。フランキーは身の置き場がみつからないまま、怯えを抱きつつあちらの戸口からこちらの戸口へとさまよっていた。六月には木々は明るい緑に輝いていたが、やがて葉は暗みを帯び、街は激しい陽光の下で黒ずんでしぼんでいった。最初のうちフランキーは戸外を歩き回り、あれやこれや頭に思いつくことをやっていた。街の歩道は早朝と夜には灰色だったが、昼間の太陽がそこに釉薬(うわぐすり)をかけ、焼けついたセメントはまるでガラスみたいに眩しく照り輝いた。歩道はついにはフランキーの足が耐えられないほど熱くなり、おまけに彼女はトラブルを抱え込んでいた。なにしろたくさんの秘密のトラブルに巻き込まれていたので、これは家でおとなしくしていた方がいいかもしれないと考えるようになった。そしてその家にいたのは、ベレニス・セイディー・ブラウンとジョン・ヘンリー・ウェストだけだった。(以下略)」 (村上春樹訳『結婚式のメンバー』)


 一見しておわかりのように、村上訳は加島訳にくらべて三割がた長い(文庫本の頁数もそれに応じて三割がた多くなっている)。一つのセンテンスも長く、したがって、ややもったりした感じを受ける。要するに文章に「キレ」がない。これは、チャンドラーの村上訳と清水訳とを比べた時の感じとまったく同じである。だが、訳文のセンテンスが長いということは、原文の一語一語を省略せずに訳出している、ということでもある。原文を見てみよう。


It happened that green and crazy summer when Frankie was twelve years old. This was the summer when for a long time she had not been a member. She belonged to no club and was a member of nothing in the world. Frankie had become an unjoined person and hung around in doorways, and she was afraid. In June the trees were bright dizzy green, but later the leaves darkened, and the town turned black and shrunken under the glare of the sun. At first Frankie walked around doing one thing and another. The sidewalks of the town were grey in the morning and at night, but the noon sun put a glaze on them, so that the cement burned and glittered like glass. The sidewalks finally became too hot for Frankie’s feet, and also she got herself in trouble. She was in so much secret trouble that she thought it was better to stay at home – and at home there was only Berenice Sadie Brown and John Henry West.


 それはグリーンでクレイジーな夏に起こった、という書き出しで始まる。すこしあとで、6月には木々が目もくらむような鮮やかな緑に輝き、とあるのでgreenは葉っぱの色だとわかる。だから加島訳は冒頭のgreenを省略し、その代りに「不思議な奇妙な季節」と、訳者の(この小説から読み取った)「主観」で染め上げる。あるいは、greenのあとにsummerが続けば、それは木々の緑を意味することが明らかなので省略したのかもしれない。村上訳は律儀に文字通り「緑色をした気の触れた夏」と訳している。
 それに続く加島訳は「今年も彼女は一人きりだった。どこのクラブのメンバーでもなかった」と、原文の順序を入れ替えている。村上訳は原文通り。フランキーの「不安」(加島訳)「怯え」(村上訳)は、彼女がunjoined personであることに起因している。自分の居場所がなく、誰からも承認されていないという寄る辺なさが、アドレッセンスにある少女を捕えているafraidの正体なのである。ここは原文通りの順序がいいだろう(「ここは」というのはヘンだけど)。次の加島訳「どこかに何か用があるような気がした」はまったくの「意訳」。あれをやったりこれをやったりするけれど、心ここにあらず。本当にやるべきことはほかにあるはずだけれど、それが何かはわからない。そんな感じですね。だれにも覚えがあるにちがいない。
 「太陽がそこに釉薬をかけ、焼けついたセメントはまるでガラスみたいに眩しく照り輝いた」は、いい比喩。村上春樹調といってもいいかもしれない(逆ですけど。村上春樹は、浴びるほど読んだ外国の小説からこうした比喩を学んだのである)。加島訳は、比喩は無視して「太陽の光がおそろしく強く」と至極あっさりした調子。その次も「気分がわるくなった」とあっさり処理しているけれども、これでは日射病か熱中症にでもなったみたいだ。気分がわるいのは焼けついた歩道のせいばかりではない。それにもましてトラブルを、「たくさんの秘密のトラブル」を抱えていたからである。ここは(ていうか、ここも)原文をはしょらないほうがいい。


 と、こうやって小説の冒頭を原文とふたつの訳文を対照しながら見てくると、加島訳のきびきびとしたリズム、キレのよさは、原文を多少なりとも損なうことで得られたものだということがわかる。清水俊二訳チャンドラーと同じである。ただし加島訳は、村上春樹が清水訳をさしていった「細かいことにそれほど拘泥しない、大人(たいじん)の風格のある翻訳」というよりも、「確信犯」という感じがする。原文に忠実であることより、読者にとって読みやすい翻訳が「いい翻訳」であるという信念のようなものを感じさせる。どちらがいいかは「好みの問題」なのかもしれないけれど、わたしは原文に忠実に(はしょることなく)訳したものが好きです。


 さて、マッカラーズの『心は孤独な狩人』の映画版(邦題『愛すれど心さびしく』)をBSで見ることができた*5。原作の深みには及ばないが、主役の一人である少女ミック役のソンドラ・ロックが素敵だ。初出演のこの映画でオスカーにノミネートされたらしい。映画が撮影された時は20歳ぐらいのはずだが、ちょっと見には男の子のような「亜麻色の髪をしたひょろ長い十二歳ばかりの少女」をよく演じている。ミックはフランキーであり、少女時代のカーソンでもある。

 『結婚式のメンバー』の文庫カバーには、映画でフランキーを演じたジュリー・ハリスとベレニス役のエセル・ウォーターズの間にはさまれたマッカラーズの写真が使われている。ペンギンブックス版のカバーはこんなのです。『心は孤独な狩人』のソンドラ・ロックにちょっと似ている。いずれもcoming-of-age storyであり、バルテュスの少女のイメージもどこか揺曳しているようだ。


上は『心は孤独な狩人』のソンドラ・ロック
下はバルテュスの Thérèse dreaming, 1938

結婚式のメンバー (新潮文庫)

結婚式のメンバー (新潮文庫)

*1:id:qfwfq:20151115 ついこないだのことだと思ったら、もう半年前になるんだね。歳月は蹄の音を残して走り去る…

*2:id:qfwfq:20070414

*3:わたしの知るかぎり、この二種。渥美訳以前にも、あるいは邦訳があったのかもしれない。加島祥造は福武文庫のあとがきで、「これは以前に『結婚式の仲間』と訳された」と書いている。渥美訳『結婚式のメンバー』は、書棚を探したけれど、どこかに埋もれたのか、引越しの際に処分したのか、見つからない。

*4:「MONKEY」対談の注で、柴田さんは「マッカラーズの書き出しはいつも印象的である」と書いている。

*5:フルムービーをYouTubeで見られるんですね。知らなかった。『結婚式のメンバー』も。どちらも字幕はついてませんけど。