〔Book Review〕『永井陽子全歌集』
あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ
永井陽子の代表歌である。
「私たちは詩型の外郭のみにこだわり(略)肝心の“うた”の音楽性を忘れてしまっている。今、現代短歌から最も欠落しているのは、この音楽性であろう」*1と彼女自身が自注した、その音楽性が見事に表現された“うた”である。私たちは「ただ歌の中を流れる音楽のやうなものに耳を傾けるだけでいい」(岡井隆)。
永井陽子ほどこの音楽性にこだわった歌人はいないといっていいだろう。
べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊
これなども音楽性の際立った“うた”だ。朗誦してみるといい、行進する鼓笛隊の軽快な音楽が聞こえてこないだろうか。
そういえば彼女の歌集には『ふしぎな楽器』『モーツァルトの電話帳』『てまり唄』といったように、音楽にかかわるタイトルが多い。
この世なるふしぎな楽器月光に鳴り出づるよ人の器官のすべてが
と歌ったのは第四歌集の『ふしぎな楽器』だが、さかのぼって初期の第二歌集『なよたけ拾遺』にすでに「耳」の一語が頻出することに気づかざるをえない。
風の音、草木の音に耳をすますとき、聴覚をつかさどる耳という器官が特別な存在に思われるということだろう。
父は天にわたくしは地にねむる夜の内耳のあをい骨ふるへつつ
なべて生あるものの寝静まった夜に、身体の奥深くで迷路のような蒼い耳骨がかすかに震えている。「夜は千の目を持つ」というジャズナンバーがあるが*2、あるいはこれは夜の持つ耳なのか。いずれにせよ静謐で戦慄的なイメージの歌だ。
ふしぎな楽器とは短歌という詩型の謂いでもあるが、そもそも器官とはオルガン、すなわち楽器にほかならない。
平成十二年一月二十六日、永井陽子はひっそりとこの世を去る。享年四十八、知命に満たぬ夭逝であった。
歌人・永井陽子のすべてはこの大部の歌集一巻に存すると言うべきかもしれない。だがそれでもなお、こののちいくばくかの時がもし彼女に与えられたなら、いかなる成熟を遂げたであろうかとの思いもまた禁じえない。
本書の扉に彼女のポートレートが掲げられている。口元をわずかにほころばせた清楚な人は、いま、おだやかな天のねむりのなかにいるのだろうか。
鹿たちも若草の上(へ)にねむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦楼羅(かるら)
(「マリ・クレール」2005年4月号掲載)
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- 作者: 永井陽子
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