くじ


 私がその男に出会ったのは、新しい生活を始めた最初の日だった。男は年の頃なら五十代半ば、若い頃放蕩のかぎりを尽くしたとでもいうような、どこか崩れた雰囲気をただよわせていた。あるいはもっと若く、もしかすると私と同年輩なのかもしれない。いずれにせよ、こういう生活をしようという人間にはどこか得体の知れないところがあるようだ。男は新しい獲物を見つけたとでもいうように興味深げに私に近寄ると、問わず語りに話し始めた。


 人間には二種類あるって知ってるかい。男と女? いや、もっと本質的なちがいだ。くじに当たる奴と外れる奴。商店街の福引きで一等の自転車を手に入れる奴と、いつもポケットティッシュしか貰えない奴。こいつは厳然とわかれている。あんたはどっちのタイプだい。俺かい? 俺は小さい頃からくじに外れたことがない。というか、特等か一等以外とったことがないんだ。うちにある電器製品はすべて俺がくじで引き当てたものだ。家族で温泉に行った。海外旅行にも行った。みんな何かの景品さ。近所じゃ有名人だったな。おかげで商店街の歳末福引きには出入り禁止になっちまった。商店会の会長が頼みに来たっけ。一等相当の景品を差し上げるのでどうか福引きはご遠慮願いたいってね。学校の試験じゃヤマを外したことがなかった。一夜漬けで暗記したところが必ず出るんだから、あんただって馬鹿馬鹿しくて勉強なんかする気になれないだろ。ひと儲けをたくらんで俺に宝くじを買わせたり競馬場へ連れていこうとしたりする奴も出てきた。だが生憎宝くじも馬券も当たらなかった。下心があって当てようとするとうまく行かないんだと俺はすまなそうに言い訳をした。なあに、欲に駆られた奴らに次から次とつきまとわれると鬱陶しいからわざと外してやっただけのことさ。そのうち奴らもあきらめて寄りつかなくなった。宝くじを当てるのなんざ造作もないことさ。一度買ったつもりでチラシの裏に番号を書いておいたら、案の定一千万の当選番号だった。なぜ買わなかったかって? 賞金なんて貰っても面倒なだけだ。それにわざわざ宝くじなど買わなくたって金なら黙ってても向こうから押しかけてくる。サラリーマンの給料程度の金ならパチンコ屋に一時間もいれば苦もなく手にすることができた。はした金であくせく働く気なんか天からなくて、高校を出たら家でぶらぶらしてた。ぜひにと拝み倒されてしかたなく会社の社長になったら一年で売上げが一桁増えた。天から降ったか地から湧いたか女がひっきりなしに寄ってきた。ミスなんとかの勲章を首からぶら下げた女たちが引きも切らずに擦り寄ってきたが俺は鼻もひっかけなかった。そういう女たちは俺の強運が目当てに決まってる。俺はもし結婚するなら俺のことをまったく知らない女とするつもりだった。俺は人生に心底うんざりしていた。くじに決して外れない人生のあじけなさって、あんた、わかるかい? 俺は社長を辞めてあてもなく旅に出た。旅先で一人の女と出会った。一目でこいつが俺の求めている女だと思った。なあに、出会うべくして出会ったのだから外れるわけがない。思った通り付き合いはじめてすぐにあらゆる点で俺の理想どおりの女であることがわかった。女も俺のことを気に入ってくれた。俺は結婚を申し込んだ。ところが、あろうことか女は断りやがった。俺の人生で初めての体験だった。何かをやろうとして支障を来たしたり失敗したりしたことは一度もない。俺はうろたえて女にわけを問いただした。女は告白した。私はくじに一度も当たったことのない人間なの。そう、女は俺と正反対のタイプだった。今までの人生やることなすこと裏目だったわ。もう生きてる甲斐がない。死ぬつもりで旅に出てあなたと出会ったの。あなたとの交際もきっと外れにちがいないと思ったけれど、当たりだろうと外れだろうともうどうでもよかった。どうせ死ぬつもりだったのだから。でもあなたは今まで出会った男とはちがった。心から愛することのできる初めての人だと思った。そしてあなたから結婚を申し込まれた。私もあなたと結婚したいと心底願っている。でもそうするときっとあなたを不幸にするわ。だから断ったの。俺は女の告白を聞いてさすがに迷ったね。今までなら一笑に付しただろう。だが今度ばかりは事情がちがう。いわば最強のカード同士の一騎打ちだ。俺はさんざ迷った末ついに決断をくだした。俺はおまえを愛している。おまえも俺を愛してくれている。お互いに愛し合っているのに結婚できないなんて道理があるだろうか。結果がどうあろうとそれは俺たちふたりで引き受けていくしかない。俺は今までの人生で努力などしたことはなかったがこれからはせいいっぱい努力する。この結婚が外れだったなどと決して思わせはしない。だから結婚してくれないか。俺がそう言うと、女は涙ながらに頷いた。あなたがそうまでおっしゃって下さるなら私に否やはございません。ふたりで力を合わせて幸せになりましょう。固く誓い合って俺たちは結婚した。俺は生まれて初めて人生に目的を見いだしたような気がしたもんさ。これからが俺の人生の本当の始まりだってね。それが、そうさな、かれこれ二十年前のことだ。それで結果はどうだったって? あんたはどう思う?


 男は私の顔を覗き込むようにそう言うと、私の返事も聞かずに地べたにゴロリと横になった。男の身につけているものから、なんとも言いようのない臭いがただよってきた。私には判断のしようがない。男が今の生活を幸せだと思っているのなら、幸せにちがいあるまい。幸せか不幸せかなんて他人に決められるものじゃない。私は曖昧に口ごもりながら「さあ」と言うしかなかった。だが新参者としては、この段ボールハウスの生活もまんざら悪くはないと思う。いや、そう思わないとこれからやっていけないじゃないか。
 「それで奥さんは……」と言いかけて様子を窺うと、手枕をしたままいつのまにか男はすやすやと寝息をたてていた。